伊豆美神社と水神社 

今回は、伊豆美(いずみ)神社とその元宮と言われている、多摩川べりの水神社です。

 

 ①伊豆美神社 

《龍神を祀る多摩川沿いの古社》

 当社には、妙玉郷社大善神(みょうぎょくごうしゃ大善神)いう名の 龍神 が祀られている小祠があります。

 

◆一之鳥居

◇鎮座地:東京都狛江市中和泉3-21-8

◇最寄駅:小田急線・狛江駅~1.1km

◇主祭神:大國魂大神(=大国主命)

◇配祀神:六所宮=小野大神、小河大神、永川大神、秩父大神、金鑽大神、杉山大神

◇御朱印:あり

◇社格等:郷社

 

 ※祭神からも分かるように、当社は武蔵國総社「大國魂神社」の御神霊を分霊しました。また、大和國・大神神社のような「大蛇伝説」もあります。

 

 

【参道】

◆社号標

~新旧の社号標が並んでいます。

 

◆常夜燈

~倒壊防止のため鉄柱で囲ってありました。

 

 

◆参道入口

~小型の常夜燈にも倒壊防止措置。

 

 

◆二之鳥居

~喜多見氷川神社とほぼ同型の鳥居です。注連縄も同じく棒状です。

 

 

 

 

◆空気が変わる

~参道を半分以上進んできました。どうやら、ここからご神域のようです。石畳には「正中」を歩かせぬよう、衝立が置かれ、両サイドでは狛犬が睨みをきかせます。

 

 

◆狛犬

~この造形、この表情は、武蔵国一宮・小野神社の神門に彫られた「風神や雷神」を想起しました。

 

 

◆手水舎

~2本の柱を稚児柱で補強したタイプは、これまた喜多見氷川神社と同じでした。

 

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

~創建以来、ずっと「六所宮」でした。明治になって、地名の和泉(いずみ)を用いた神社名に変更。1音1字の表記を採用して「伊豆美」としました。

向背の柱には「武州 狛江  総社 伊豆美神社」と刻まれています。

 

最近交換されたと思しき賽銭箱には、十六弁の菊花。

 

 

◆本殿

~風通しが良さそうな覆い殿です。

本殿と拝殿は渡り廊下でつながっています。

格子のデザインが美しい覆い殿です。

 

 

 

【境内社1】

 ◆龍神の祠 

~この祠には、 妙玉郷社大善神 (みょうぎょくごうしゃ大善神)いう名の龍神が祀られている。と、宮司さんに教えていただきました。

当社には、大蛇が棲む松がありました。これが落雷で裂け、ウロができた。倒れないようにするため、ウロの上方にかめを伏せ、根元をコンクリートで固めました。すると氏子さんの夢枕に大蛇が現れ、「息ができないで苦しい」と訴えました。そこで、コンクリートの一部を外し、大蛇を祀る石祠を建てたそうです。(by 狛江市HP)

 

 

 

【境内点描】

◆神楽殿

 

 

◆神輿庫

~表参道、手水舎の手前に建てられています。

 

 

◆ポンプ式井戸

~掲示は、「おみくじは、あらなわ(の)ところにむすびつけ(て)下さい」と書かれていました。

 

 

◆参集殿

 

 

◆社務所

~向かって左手の玄関内で御朱印を拝受できます。場所は、一之鳥居のすぐ先です。

 

 

 

【境内社2】

◆神明宮

御祭神:天照皇大神、豊受皇大神、素盞嗚尊、熊野大権現、柳久保稲荷大明神、水速能売大神、菅原道真公霊位

 

 

◆合祀殿

福徳稲荷神社・諏訪神社
御祭神:福徳稲荷大明神、諏訪大明神、建御名方主大神、白幡菅原朝臣、源頼朝公霊位

 

 

◆靖國神社

~護国神社ではありません。靖國です。

 

 

◆合祀政策

~明治時代、「1村・1神社」政策のため、地域にある多くの神社が、伊豆美神社の境内に遷座しました。全国各地において、特定神社の境内に末社や境内社が多い、主たる理由はこの政策の結果なのです。

 

 

◆石祠1

~右から、厳島神社、疱瘡神社、山際神社

 

 

◆石祠2

~こちらの3社は不明です。

 

 

 

【御朱印】

~”豪快な筆致”というよりも、ワイルドな筆致!といった表現がしっくりきます。

しかし・・・、この御朱印は、時間の経過とともに、どんどん滲んできて陰影は、悲惨な状態になりました。赤インクでも使用しているのでしょうか。しかも、それを水で薄めた、とか。

 

次は、当神社から直線距離で約400mの場所に鎮座する「水神社」です。こちらは、当社の境外末社であり、「元宮」です。

 

 

 

 ②水神社 

◇鎮座地:東京都狛江市元和泉2-36

◇最寄駅:狛江駅

 →小田急バス→水神前バス停~30m

◇御祭神:水速女命(みつはのめのかみ)

◇合祀神:小泉次大夫(六郷用水を造成)

◇御朱印:なし

 

 

◆多摩川堤からの眺め

~現代の多摩川はおだやかですね。この場所から、土手を町側に降りると、水神社です。

 

 

◆水神社の外観

~889年、この地に「六所宮」が鎮座しました。約700年後となる1550年に多摩川の氾濫によって、社殿を流失。のちに、水害を避けるため400mほど離れた土地に遷座しました。

そして、跡地には多摩川の平安を祈って、『水神社』を建てました。

したがって、当社は『伊豆美神社』の元宮 ということができそうです。

 

 

 

 

【参拝ルート】2019年 6月26日

◆多摩川流域 狛江・調布を歩く

START=小田急線「喜多見駅」~1.4km~①『喜多見氷川神社』~徒歩~「喜多見駅」→小田急線→「狛江駅」~徒歩~南口バス乗り場→小田急バス・多摩川住宅行き→「水神前バス停」~30m~ ②『水神社』~120m~『万葉歌碑』~500m~③『伊豆美神社』 ~700m~「狛江市立緑野小学校バス停」→京王バス→「調布駅南口」~550m~④『布多天神社』~900m~⑤『虎狛神社』~700m~⑥『池の上神社』~500m~⑦『青渭神社』~120m~「青渭神社前バス停」→小田急バス→「三鷹駅南口バス停」~50m~JR総武・中央線「三鷹駅」=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆狛江1

~地名由来は、朝鮮半島から渡来した「高麗(こま)の人が住む入り江」から「狛江」になったという説が伝わっています。

 もう1つの説として百済国王が高麗人を日本に帰化させた地で「狛(高麗)の里」と呼ばれていたことを由来として「狛江」となったという説もあります。 by狛江市HP

 

◆狛江2

狛江には、古代豪族の墳墓である古墳が数多くあり、狛江古墳群と総称されています。出現時期が5世紀後半で、「コマエ」の地名が高麗(コマ)と類似することもあって、これらを渡来系集団の古墳群とする学説が支持されてきました。しかし、近年の発掘において3世紀末のものも発見されています。渡来人の移住が5世紀末なので、彼らの古墳という可能性は皆無なものもあります。狛江はかなり古くから栄えていたことを示唆します。by狛江市HP (了)