布多天神社 

(ふだてんじん)

 

『延喜式』に記された正式な社号

→布多天神社

(ふたてのかみのやしろ)

 

 延喜式に記載された古社が「天神信仰」に転じたのは、いつ頃か。また、それは何故なのか、などを探ります。

◇鎮座地:東京都調布市調布ヶ丘1-8-1

◇最寄駅:京王線・調布駅~500m

◇御祭神:少彦名命、菅原道真公

◇御朱印:あり

◇社格等:延喜式=式内社、旧社格=郷社

 

 

 ※当社は、『延喜式』神名帳の「多磨郡八座」の中の1社です。式内社一覧には、「布多天(フタテ)」との読み仮名がつけられています。 

byウイキ「武蔵国の式内社一覧」

 

つまり、千年前の布多天神社は、

 

 ふたてのかみやしろ 

 

と、呼ばれていたようです。

 

 

【参道】

調布駅から徒歩3分ほどで、参道入り口に着きます。参道は商店街でした。写真の社号標を起点として、大鳥居まで約250m。道は一直線です。

 

 

◆大鳥居

~参道は、商店街であり、電気通信大の通学路でもあります。よって、神社参拝とは無関係で雑多な人々が歩いていました。

実質的な参道は、こちらの鳥居から始まります。

 

 

◆忠魂碑

~鳥居の先、右手に石碑が3つ。通常、忠魂碑の周辺は、ヒンヤリとしていることが多いのですが、こちらは異なりました。他の場所とさほど変わりません。

 

 

◆手水舎

~参道左側は樹木もまばらで、不自然に広いスペースになっています。江戸時代まで、寺院関係の建物があった場所かもしれません。

 

 

◆水盤

~正面のみならず、裏手、左手、右手からも使える仕様です。蛇口が6か所ありました。小さな水盤なので効率化を図っているのでしょう。

 

 

◆祓所

~予習段階で、玉垣の内側左手に「祓所」の存在を確認していました。祓所は、敷地を方丈に確保し、御白石を敷き詰めている場合が多いです。

~祓所は、元来、神職のための場であって、参拝者がお詣りする場ではありません。よって、賽銭箱はありません。とはいえ、御幣に正対して「祓い給い 清め給え」とつぶやきました。別途、拝殿の横に境内社・祓戸神社が鎮座しています。

 

禊祓えを完了しました。

~心身が浄化されたので、拝殿に向かいます。この時期ですので、拝殿前には茅の輪がありました。型通りの作法をもってくぐらせていただきました。※写真は割愛します。

 

 

 

【社殿】

◆祭神①:少彦名命

~少彦名命は、高皇産霊神の御子(=日本書記)もしくは、神産巣日神の御子(=古事記)です。すなわち、少彦名命は、天津神。 したがって、布多天神社は、天津神を祀る神社でした。武蔵国の国府(=府中市)が近いので、納得です。

 

 

◆祭神②:菅原道真公

~布多天神社は、遷座(1477年)の際に菅原道真を合祀しました。

つまり、天津神を祀る神社なのに、その子孫にタタリまくった怨霊神を合祀した のです。

まあ、950年頃から500年間奉斎した後なので、怨霊は御霊に変わっていたのでしょうが・・・。

 

 

◆恐怖の怨霊神

~道真公が「タタリ神」として猛威を振るったのは、909年から930年です。藤原時平、醍醐天皇、皇太子ほかが次々と病死&変死。さらに、御所の清涼殿に落雷~炎上。慌てた政権は、947年に北野天満宮を創建。慰霊に努めました。ちなみに、大宰府天満宮は919年創建です。

 

 

◆変化

~式内社「布多天神社」は、菅公の合祀を境に変わった。と、想像できます。

→少彦名命を祭神としていた時代=「ふたてのかみやしろ」

→菅公合祀後=「ふだてんじんしゃ」

社号の文字面は同じでも、読み方が変わり、祭神が増えたことで神社の雰囲気も変わったことでしょう。

 

 

◆なぜ、道真公を合祀したのか

~布多天神社は洪水を避けるため、多摩川べりから現在地に遷座しました。その際、菅原家ゆかりの広福長者(こうふくちょうじゃ)子孫の要請を受けて菅原道真公を合祀しました。

 

つまり・・・、当初は、天津神を祀る神社(少彦名命)でした。

しかし、1477年に 地域有力者の肝いりにより、菅公を合祀したのでした。カネを出すから、俺の祖先神も一緒に祀れ、と。

 

 

 

【参考】菅公合祀の類似ケース

①湯島天満宮(文京区湯島)

当初は、天津神を祀る神社(天之手力雄命・あめのたぢからをのみこと)でした。

しかし、1355年に菅公を合祀。 地域住民の請願に応えるものでした。

 

②五條天神社(台東区上野)

当初は、天神地祇を祀る神社(大己貴命&少彦名命)でした。

しかし、1641年に菅公を合祀。社名に「天神」とあるので菅公を合祀しよう、と僧侶が発案。菅公像の開眼供養が行われました。

 

 

 

 

◆本殿

~拝殿右サイドからズーム撮影。千木や鰹木を配し、きちんと造られた覆い殿です。

 

 

 

【境内点描】

◆神楽殿

 

 

 

 

◆社務所&授与所

~御朱印はこちらで拝受。できあがった御朱印は、お祓いした上で、手渡してくれます

 

 

 

【境内社エリア】

~拝殿に向かって右サイドに境内社が集められています。主祭神の1柱が少彦名命なので、「相方」の大国主命が祀られていてもよさそうなのですが・・・。ただし、大国主命と同神と言われる大己貴命が祀られています。

 

 

◆手水舎(遺構)

~右手に小さな祠が見えたので、先にそちらへ。

 

 

①厳島神社

~社号から、祭神=市杵島姫命かと思われます。

 

 

②金刀比羅神社&大鳥神社

~祭神は、大己貴命と日本武尊。国津神と天津神が同殿しているということです。

 

 

③寄せ宮

~左:御嶽神社(=日本武尊)、中:祓戸神社(=祓戸四神)、右:疱瘡神社(=祭神不詳)

 

 

④稲荷神社

~拝殿&本殿に最も近い場所に鎮座する境内社です。祭神は、倉稲魂命。

 

 

◆参道脇の稲荷神社

~鳥居つきですが、狛狐はおりません。また、赤色幟は1対だけ。スッキリとした稲荷社です。

 

 

 

【境内西側】

~神社の西隣に電気通信大学が広がります。境内西側の道路が通学路になっているため、多くの学生が歩いています。よって、境内西側は彼らが視界に入ってきて落ち着けません。

◆入り口①

~玉垣外側の境内へ入ることができる入路です。このエリアに手水舎があります。

 

 

◆入り口②

~玉垣の内側に入ることができます。しかし、手水を使うには不便な入路です。

 

 

 

【御朱印】

~初穂料500円

 

 

 

【参拝ルート】 2019年 6月26日

◆狛江・調布の古社を歩く

START=小田急線「喜多見駅」~徒歩1.4km~①『喜多見氷川神社』~徒歩~「喜多見駅」→小田急線→「狛江駅」~徒歩~南口バス乗り場→小田急バス・多摩川住宅行き→「水神前バス停」~徒歩30m~②『水神社』~徒歩120m~『万葉歌碑』~徒歩500m~③『伊豆美神社』~徒歩700m~「狛江市立緑野小学校バス停」→京王バス→「調布駅南口バス停」~徒歩550m~ 『布多天神社』 ~徒歩900m~⑤『虎狛神社』~徒歩700m~⑥『池の上神社』~徒歩500m~⑦『青渭神社』~徒歩120m~「青渭神社前バス停」→小田急バス→「三鷹駅南口バス停」~徒歩~50m~JR総武・中央線「三鷹駅」=GOAL

 

 

 

【ひとこと】

◆タタリにうろたえた

~菅原道真没後わずか30年の間に起きた数々のタタリを受け、道真には、太政大臣追贈などの慰撫措置が行われました。また、990年頃、本来は天皇・皇族を祀る神社の社号である「宮」号の使用までをも認めました。 (ウイキペディアを要約)

 

◆地名由来

~狛江から調布にかけての地域は、武蔵国狛江郷と呼ばれていました。狛江郷は、「布」を「調えて(ととのえて=手作りして)」、租税として納めていました。地名はこれに由来します。 

 

◆「せいれん」より「せんれん」

~布多天神社の境内は、《神社的な清廉》よりも《都会的な洗練》をより強く感じました。これは、「亀戸」や「湯島」でも同様でした。ただ、「谷保」は、例外的に清々しさを感じました。

 

◆布多天神社

~今回記事では、知識的な収穫がありました。それは、執筆準備の読書で、延喜式が出た頃(西暦900年前後)の社号の訓みを知ったことです。

 布多天神社が「布多・天神社」ではなく、「布多天・神社」だったとは・・・。 (了)