2019年 5月、新宿区・牛込界隈の神社を巡りました。

 

 多武峯内藤神社 

(とおのみねないとう)

 

《神馬殿と神馬塚》

 当社は、現在の新宿御苑の地にあった高遠藩・内藤家の邸内社でした。藩主が家康から屋敷用地を拝領したのが天正18年(1590年)。神社創建は早くてもこの年です。

 神馬塚と神馬殿を見たい!と、以前からそう思っていた神社です。

◇鎮座地:東京都新宿区内藤町1-8
◇最寄駅:JR総武線・千駄ヶ谷駅

都営大江戸線・国立競技場駅、東京メトロ丸ノ内線・四谷三丁目駅」

どの駅からも700~800m

◇御祭神:藤原鎌足公
◇相殿神:武甕槌命・経津主神・天兒屋根神・姫神・内藤家歴代祖霊

◇御朱印:なし(無人社)

 

 

 

◆表参道

~東京メトロ「四谷三丁目駅」1番出口から新宿方面に進み、外苑西通りを渡って、「四谷四丁目」の信号を左折です。

 

 

◆社号標

~当社は、無人社であるにもかかわらず、境内は清掃が行き届いていました。こちらから入ると、拝殿は直進・突き当りではありません。社務所を右折する形で拝殿に向かいます。

 

 

◆神額

~「鎮守 両祠壇」と揮毫されています。

「雨」に見えましたが、「兩(=両)」でした。2つの社を祀っているという意味かもしれません。

 

 

◆手水舎

~水は大丈夫か?と、心配していました。しかし、それは杞憂に終わり、良かったです。

社務所を右折すると、左手にあります。

 

手水舎から拝殿を遠望

 

 

 

【拝殿】

~豊臣秀吉は、小田原征伐のとき、徳川家康と「連れ小便」しながら、関東移封を伝えました。その後、家康の江戸入りに先駆けて、先陣を務めたのが内藤清成。当社の創始者です。

内藤家は、藤原氏の家系なので、清成は屋敷内に先祖・藤原鎌足公を祀りました。さらに、藤原家の氏神である奈良・春日大社の御分霊を勧請・合祀しました。

 

 

◆多武峯(とおのみね)

~社号である「多武峯」は、奈良県桜井市に実在します。

 

 

◆談山神社(たんざん神社)

~奈良・多武峯には、藤原鎌足公(=談山大明神・談山権現)を主祭神とする、『談山神社』が鎮座しています。このことから、当社は談山神社を勧請したとする説もあるようです。

 

 

 

【境内点描】

◆駿馬塚

~内藤清成が屋敷地を拝領するにあたって、家康から次のように言われました。「お前の馬が一息で回った土地を与えよう」と。清成の愛馬は、今の新宿御苑を含む土地を懸命に走り抜けました。そのおかげで、内藤家は広大な土地を拝領しました。

主君のために走った馬でしたが、疲れ果て過労死。殿さまは、塚を建てて馬を祀りました。石碑には「駿馬塚」と刻まれています。

 

 

◆神馬殿

~こちらには、愛馬の木像が入っています。「神馬舎」ではありません。「神馬殿」です。

 

 

 

 

 

◆狛犬

~あばら骨をくっきりと浮き上がらせた、珍しい造形です。社紋は、下がり藤。

 

まるで、ビーバーみたいな尾です。

 

 

◆神楽殿

 

 

◆東からの入路

~こちらから入ると、石段から拝殿まで一直線になります。

 

 

 

【境内社】

◆合祀殿

~神額には「稲荷大明神」、「八幡大菩薩」と揮毫されていました。

境内社とはいえ、この1社だけなので、手入れは万全でした。

 

 

 

【御朱印】

~無人社のため、拝受できませんでした。

 

 

【参拝ルート】2019年 5月30日

《牛込の八幡神社を巡る》

START=東京メトロ・東西線「飯田橋駅」~徒歩230m~①『築土八幡神社』~徒歩700m~②『神楽坂若宮八幡神社』~徒歩~350m~「飯田橋駅」→東京メトロ・南北線→「市ヶ谷駅」~徒歩150m~③『市谷亀岡八幡宮』~徒歩~「市ヶ谷駅」→東京メトロ・南北線→「四ツ谷駅」→東京メトロ・丸の内線→ 「四谷三丁目駅」~徒歩800m~④『多武峯内藤神社』 ~徒歩~東京メトロ・丸の内線「四谷三丁目駅」=GOAL

 ※東京メトロを1駅or2駅の乗車が多発しますが、「1日パス(600円)」を利用しています。

 

 

 

【編集後記】

◆内藤新宿(ないとうしんじゅく)

~江戸時代、この辺りは「内藤新宿」という地名でした。日本橋と高井戸宿の中間に、新たな宿場を設けたので「新宿」です。「内藤」の地名由来は、信州・高遠藩主内藤家の下屋敷があったため。甲州街道は、当時から産業道路でした。馬の往来が多く、馬糞が目立つ道路だったようです。それは、下の図版からも分かります。

図版:『名所江戸百景』広重

~「四ツ谷 内藤新宿」

 

 

◆四谷大木戸(よつやおおきど)

~1616年、甲州街道における江戸への出入口として、四谷に木戸(=関所)が設置されました。時を経て、徳川の支配が安定し、西から敵が攻めてくる心配がなくなったため、木戸は撤去されました。現在は、四谷四丁目交差点に「四谷 大木戸跡」として石碑が造られています。

 

 

◆良い雰囲気

~多武峯内藤神社は、無人社。との情報を持っていました。なので、さほど期待しておりませんでした。神職不在にもかかわらず、境内は清掃が行き届いていました。これは、地域住民に大切にされている証と言えるでしょう。予想以上に良い雰囲気の神社でした。 (了)