蛟蝄神社
(こうもう)
《関東最古の水神様》
社伝によれば、創始は約2300年前。現在の「門(かど)の宮」の場所に水神を祀ったのが始まりです。のちに、東方の台地に遷座しました。その際、旧社をそのまま残し両社を一体として、祀ってきました。 by『房総の古社』菱沼 勇(有峰書店新社)
「蛟」=「みつち」
→龍の属もしくは、蛇類を表す言葉
「蝄」=「すだま」
→山や川の精
◇鎮座地:門の宮=利根町立木2184
◇鎮座地:奥の宮=利根町立木 882
◇最寄駅:JR成田線・布佐駅からバス
利根ニュータウン東・バス停~2.5km
◇御祭神:罔象女神
◇相殿神:埴山比賣命、句句廼馳大神、軻遇突智大神、金山彦大神、倉稲魂大神、素戔嗚尊、菅原道真公、誉田別大神
◇社格等:延喜式=式内社、社格=郷社
◇御朱印:あり
◎アクセスは《JR常磐線・取手駅からバス》となっています。by当社HP
しかし、これは1日2本。話になりません。
筆者は、JR成田線・布佐駅からのバス+徒歩によるルートを発見しました。
☆疑問☆
主祭神・罔象女神(ミツハノメ神)は、水神には違いありません。しかし、社号=蛟蝄を踏まえると、龍との関係がより深い高龗神(タカオカミ神)のほうが、整合性があるように思います。
→①社号に龍があるように、拝殿天井には、巨大な龍が描かれていること。
②「龗」という文字が、「龍」の古語であること。
などから、このように考えます。
【奥の宮】
◆石段
~石段は76段。暑い1日でしたが、10段目を越えた辺りから、ハッキリと涼しくなりました。
◆「門の宮」の地から遷座した理由
①水害を避けるため
②民家が近すぎるため
以上2つの理由だそうです。by公式HP
◆合祀
~明治時代になって、近隣の地からいくつかの神社を合祀しました。
→八坂・天神・稲荷・八幡など。境内社は造らず、すべて相殿神として祀っています。
◆手水舎
参道はじめ、境内全体がていねいに掃き清められていました。素晴らしかったです。
◆猫のような狛犬
~かなり丸みを帯びているため、猫っぽかった狛犬。イヌではなく、ネコ(=唐獅子)かもしれません。口蓋はともに半開きで、阿吽の違いが分かりにくかったです。
社殿は銅板葺きの屋根、入母屋造。安定感のある社殿です。拝殿の注連縄は、のれんのようなタイプです。
【拝殿内部】
龍の天井画を拝見したい、と宮司さんにお願いしたところ、拝殿内に上げてもらえました。
◆真榊
~緑・黄・赤・白・
◆龍神図
~天井一面に広がる龍です。
◆本殿
~建築様式は、屋根の長さの相違から推して、「流れ造り」かと思われます。
◆主棟鬼飾り
~屋根には「主棟鬼飾り」があり、神仏習合の痕跡が見えます。千木は「内削」。これは、女性神を祀っていることと整合します。また、鰹木を数えませんでしたが、同じ理由で偶数本かと思われます。
【境内社】
境内社はありませんでした。あったのは、こちらだけ。
◆中臣一万度 行事の石碑
~千葉県野田市の「櫻木神社」にも同様の石碑が建てられていたことを想起しました。
◆中臣×(大祓詞 と 一万度)
よい機会ですので、標記を整理してみます。
~前者は、穢れを祓うために唱えられる祝詞で、中臣氏が奏上しました。有名な神詞である「祓へ給ひ 清め給ふ ~」の文言もこの中にあります。ただ・・・、
当初は、大祓の際に神職が《参集者に対して聞かせる》ものでした。
しかし、いつしか《神に対して唱えられる》ようになりました。
つまり、祝詞はベクトルが変わりました。
◎問題は、「中臣一万度」です◎
~中世、仏教などの影響から、 《祝詞を唱えるだけで功得が得られる》 と考えられるようになり、唱えれば唱えるほど功得が増す。と、何千回も唱えるようになりました。これが「一万度行事」です。マニ車を1回転させると、お経を唱えたことになる。あの世界です。
要するに、「中臣大祓詞」は、神道の核心の1つです。
しかし、「中臣一万度」は、神道と隔絶した世界のように感じます。
◆社務所・授与所
~御朱印は、こちらで。
◆参集殿
【蛟蝄の「蛟」(みつち)】
~ミツチの「ミ」は水に通じ、「ツ」は「~の」。「チ」は「大蛇(おろち)」の「チ」と同源とされます。
すなわち、ミツチ=「水の蛇、水の龍」となります。・・・①
その一方、「チ」を「霊」と訳すこともできます。
この場合、ミツチ=「水の精」となります。・・・②
よって、現代語訳だけでは、どちらを意図したのか。あいまいさが残ります。
このことから、
祭神は・・・
①なら高龗神
②なら罔象女神
という解釈となりそうです。
当社公式サイトによれば、「はるか昔、この辺りが海だったころの地形が蛟(みつち=伝説上の龍)に似ていたためこの名がついた」とのことです。
【門の宮】
「奥の宮」の西、800mに「かどの宮」が鎮座します。こちらは、キホン無人社です。
◆両部鳥居
~石段を5段上がると、鳥居です。
鳥居から先は、21段の石段。
◆手水舎
水盤内は古い溜水。水道栓をひねっても水が出なかったような・・・。
こちらの注連縄も暖簾タイプです。
◆神額
~カスレていますが、揮毫は、縦書きの2列です。右列=相馬郡一宮、左列=蛟蝄神社
◆本殿
~「奥の宮」同様、流造のようです。
◆中臣祓一万度行事
~「一万度」の石碑については、「奥の宮」の記事で扱っています。
◆猿田彦大神
~猿田彦大神は、このような石碑で祀られていることが多いように思います。
◆境内社?
~トタン屋根の覆い屋に石祠が4つ祀られていました。正体不明です。
◆大銀杏
~注連縄は張ってなかったのですが、「ご神木」レベルのかなり大きな銀杏でした。
【御朱印】
~素朴で豪快な筆致です。
【参拝ルート】2019.05.13
《関東最古の水神を参拝する》
START=JR成田線・布佐駅~大利根交通・布佐駅北口バス停→「利根ニュータウン東」行き(10分間乗車)→終点下車~2.5km~ ①『蛟蝄神社・門の宮』~徒歩800m~②『蛟蝄神社・奥宮』 ~4.0km~③柳田國男記念公苑~270m~④『布川神社』~1.8km~JR成田線・布佐駅=GOAL
【編集後記】
◆ばかまち
~蛟蝄神社例大祭の別称で、最も重要なお祭りとして、毎年、旧暦の9月14日午後10時に古式にのっとり神事を行います。以前は、当社の神馬と鹿島の神鹿との交歓のある日として「馬鹿待ち(ばかまち)」と、親しみをこめて呼ばれていました。奥の宮で神御衣替えの神事→儀式終了後、松明を先頭に門の宮に移動。 門の宮でも同じく神衣替えの神事を行い、再び奥の宮に戻り、湯立(ゆだて)神事。 最後に御衣焚(みそたき)神事と続きます。 (了)