2019年のG・Wさなか、房総半島の館山を訪れました。
鶴谷八幡宮 (つるがや)
《元は安房国総社宮》
当社は、平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現・南房総市)に安房国総社として創建されました。鎌倉時代に入ると総社信仰が衰微。代わって源氏の影響で八幡神信仰が高まったため、総社から八幡宮へと改称し、現在地に遷座しました。
◇鎮座地:千葉県館山市八幡68番地
◇最寄駅:JR内房線・館山駅~1.2km
◇御祭神:品陀和気命、帯中津彦命、息長帯姫命
◇御朱印:あり
【表参道】
◆一之鳥居
~館山駅から、1.2kmほど北上。市の中心部からやや離れた場所に、5,000坪の神域が広がっています。参道の先に、二之鳥居と鬱蒼とした社叢が遠望できます。
◆忠霊塔
~参道を進むと、右手にあります。日清・日露・大東亜戦争の英霊をお祀りしています。
◆玉砂利
~緑あふれる開放的な参道。玉砂利が敷き詰められており、歩くと良い音を奏でます。
◆二之鳥居
~鳥居の下は、参道を遮断する形で車道が横切っています。境内が広い証でしょうか。
◆参道社叢
~一之鳥居から二之鳥居までの風景と違って、二之鳥居の先は、社叢が広がっています。
◆拝殿を遠望
◆狛犬
◆手水舎
たっぷりの水が流れ続けていて、気分よく手水を使えます。
【社殿】
◆拝殿
~大正12年の関東大震災で倒壊し、昭和7年に再建されました。
賽銭箱や御帳には、五七の桐。
源頼朝が、安房で再起を図った際、当社に詣でて、武運長久を祈念したと伝わっています。
◆拝殿向背の天井
~「百態の龍」と名付けられた龍の彫刻です。
この天井には、度肝を抜かれました。升の1つ1つに龍の彫刻です。ザっと見た感じ、アバウトなものなど皆無でした。これは、労作です。素晴らしい天井彫刻でした。
◆ご神木
◆本殿
~総社宮から八幡宮へ改称したとはいえ、例祭においては、昔の「国司祭」を継承したお祭りが執り行われています。
例祭の初日には、一之宮「安房神社」はじめ、近隣10社から神輿がやって来ます。まさに、「総社宮」です。
◆社号提灯
~「五七の桐」です。これは、日本国のパスポートに使われる、皇室の紋のひとつです。
◆お仮屋
~9ブロックに分かれています。神輿渡御の際、こちらに安置されます。10社から神輿が来るのに、9部屋しかありません。安房神社の神輿は「安房神社遥拝殿」に向かうと思われます。
写真の2社は、忌部氏ゆかりの神社です。ほかには、手力雄神社、山宮神社、山荻神社、莫越山神社、木幡神社、高皇産霊神社、子安神社などの社号標が掲げられていました。
【境内社】
①安房神社遥拝殿
~安房神社の祭神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)はじめ、4神すべてが忌部氏ゆかりの神さまです。
拝殿に向かって、右手に鎮座しています。
②若宮八幡神社
祭神:大雀命(仁徳天皇)
~拝殿に向かって左手に鎮座しています。
祭神である、仁徳天皇は、応神天皇(=品陀和気命)の息子神です。
小さいながらも、きちんと造られていること、素人目にもよく分かりました。
【境内点描】
◆神庫
~神輿庫or祭器庫or庫裡、正体不明です。軒下にはきちんと注連縄が張られています。
◆社務所
~右手の窓口「授与所」で御朱印を拝受しました。
◆小祠
~社務所裏手の社叢に佇んでいました。境内社として、高良神社、鹿島神社、西宮神社などが鎮座しているらしいのですが、社殿は見当たりませんでした。まさか、これらの小祠ということではないのでしょうが・・・。
【御朱印】
~豪快な筆致です。
【参拝ルート】2019年 5月 5日
◆房総・館山の神社を行く
START=JR内房線「館山駅」~徒歩~「館山駅前」バス停→JR関東バス・安房白浜行→「安房神社前」バス停~徒歩~①安房國・一之宮『安房神社』~徒歩~「安房神社前」バス停→JR関東バス・館山駅前行→「洲の宮」バス停~徒歩270m~②安房國・二之宮『洲宮神社』~ハイキング~「運動公園前」バス停→JR関東バス・館山駅前行→「館山駅前」バス停~徒歩~ ③安房國・総社宮『鶴谷八幡宮』 ~徒歩~JR内房線「館山駅」=GOAL
【編集後記】
◆宝物
~土地柄か、『南総里見八犬伝』で有名な、里見家に関わる宝刀や古文書をか収蔵しているようです。
◆践祚改元報告祭
~令和元年 5月 1日、皇太子殿下が天皇としてご即位なさったことを神様にお知らせし、感謝する祭りが斎行されました。神輿・山車・御船が境内に集い、大変な賑いだったとのことです。即位に合わせて、このような祭典があることは良いことだと思います。 (了)