夜都伎神社
(やとぎ・やつぎ)
《春日大社ゆかりの神社》
夜都伎神社は、春日大社との関係が深く、江戸時代末期まで神饌を献上していました。また、春日大社は、古くなった社殿や鳥居を60年毎に当社に下賜する伝統があります。
◇鎮座地:奈良県天理市乙木町765
◇最寄駅:JR万葉まほろば線・長柄駅~1.9km
◇主祭神:武甕槌命
◇相殿神:姫大神、経津主命、天児屋根命、大物主命
◇御朱印:不明
【参道】
◆二之鳥居
~一之鳥居は、ここからさらに西の方にあったらしいのですが、今はもうありません。
◆駒繋ぎの環
~馬で来た場合、ここにつないで参拝したようです。
◆雨に煙る山並み
~当社は、中央のこんもりとした茂みの中です。これは、宮山(たいこやま)と呼ばれる前方後円墳で、ここに境内があります。
朱色鳥居をくぐって、真っ直ぐに進みます。左手から「山辺の道」が合流します。ほどなく、道路は突き当り、左手が当社参道。右手が、山辺の道(檜原神社方面)です。
◆三之鳥居
~二之鳥居から1本道。280mです。ここから、拝殿まで100m足らずです。
「夜都伎神社」は、延喜式・神名帳に記載される古社です。(論社です)
石段を上った正面は、社務所。拝殿は右手に見えます。西向きです。
◆拝殿を遠望
【社殿】
拝殿=茅葺き、本殿=檜皮葺き
◆拝殿
~拝殿前に灯籠が並んでいます。4基すべてが「春日社」と刻まれていました。春日大社からの下賜物件かと思われます。
◆神額
~夜都伎神社の読みは、「やつき」、「やとき」、「よとき」など複数の読み方が存在します。こちらの神額の場合、「つ」でなく「と」という理解になるかと思います。また、地名が乙木(おとき)であることから「おとき」という説もあるようです。
一方、飛鳥学の第一人者である和田萃氏、は「やつぎ」としています。また、彼は、文字について、夜都伎の「夜」」が於都岐(おとぎ)の「於」の誤写である、という説を否定しています。
【本殿】
中央にひときわ大きい武甕槌命社が鎮座し、右(=南)に姫神社・経津主命社、左(=北)に天児屋根命社・金比羅社(末社)
◆武甕槌命社
◆向かって右の2社:内側より、姫神社(姫大神命)、経津主命社
◆向かって左の2社:内側より、天児屋根命社、末社・金比羅社(御祭神:大物主命)
◆御祭神は、当社と関係が深い春日大社の「春日四神」に加えて、当社が鎮座する土地の神さま。すなわち、三輪山の神さま(=大物主神)です。
【境内点描】
◆八坂神社
御祭神:牛頭天王
~本殿神域の左サイドに突出する区画に鎮座する小祠です。小さいけれど、正面に朱塗りの鳥居がしつらえてあります。朱色と黒色に塗られた美しい瑞垣があります。
◆鬼子母神社(きしもじん社)
~勧請由緒や創建時期などは不明です。鬼子母神ということは、神仏習合の祠ですね。
◆社務所
◆常夜燈
~拝殿前の4基はすべて「春日社」と刻まれていて、春日大社からの下賜物件を想像しましたが、こちらは当神社名です。
【御朱印】
~無人社のため不明。
【参拝ルート】 2019年 3月19日
START:JR万葉まほろば線「三輪駅」~徒歩~①志貴御県坐神社~②成願稲荷神社~③大神神社摂社・神坐日向神社~④摂社・神宝神社~⑤末社・天皇社~大神神社二之鳥居~⑥末社・祓戸神社~⑦末社・御炊社~⑧大神神社~⑨摂社・磐座神社~⑩末社・市杵島姫神社~摂社・狭井神社~⑪末社・貴船神社~⑫摂社・檜原神社~徒歩~JR「巻向駅」→万葉まほろば線→「天理駅」→TAXI→⑬石上神宮~徒歩~ ⑭夜都伎神社 ~徒歩~JR「長柄駅」→万葉まほろば線→「奈良駅」~つづく
【ひとこと】
◆上り坂の回避
~朝イチで「山辺の道」南端から北上開始。大神神社~狭井神社~檜原神社と進んだところで「山辺の道」の”中抜き”を断行。檜原神社から駅へ。電車で3駅を北上し、天理駅で下車。そこから石上神宮~夜都伎神社と南下しました。石上から夜都伎神社まで2km以上の道のりには、急な上り坂が皆無。急な下り坂は長いのが1つ。したがって、これらの神社を北上のみで回ると、ゴール間近で、長くて急な上り坂が残ります。よって、今回の方法は正解でした。
◆武甕槌神関係
~当社の東に「鹿足石」という石があります。鹿島神宮から春日に向けて、神鹿に乗って出発した武甕槌神。その途中、当社に立ち寄ったそうです。その際、乗ってきた神鹿の足跡と伝わっているのが「鹿足石」です。その石の傍らに、武甕槌神が休息した「乙女の松(の木)」があるらしく、「乙木」という地名の元になった、とも言われています。 今回は、時間がなく、どちらも視認しておりません。(了)