飛鳥駅前で電動アシスト付自転車をレンタル。早春の奥明日香、そして飛鳥~大和路をサイクリングしました。

 

 ①天岩戸神社

《磐座を求めて》

今回は、標記神社を参拝。併せて、境内の磐座を見学しました。

◇鎮座地:奈良県橿原市南浦町772

◇最寄駅:JR桜井線・香具山駅~2.9km

   近鉄橿原線・畝傍御陵前駅~2.6km

◇御祭神:天照大神

◇ご神体:磐座

◇御朱印:不明(無人社)

 

 

 

◆天香具山

 当社は、天香具山の南麓に鎮座しています。飛鳥坐神社から香具山目指しました。

 

 

◆鳥居

 腰をかがまなければ潜れない、小型の石鳥居です。

 

 

◆参道

 鳥居をくぐったら、道なりにゆるく左カーブして、直線になります。

 

 

◆拝殿を遠望

 拝殿の前には石燈籠が1対。狛犬はおりません。

 

 

◆手水舎

 手水舎はなく、水盤の水は汲み置きでした。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 内部は畳敷きで上がることができます。壁には、資料が掲示されています。

 拝殿の傍らには、神庫と思しき建屋。

 

 

◆本殿

 石の瑞垣と鉄の御門。内部には、三ツ鳥居風の木製御門です。

 

 

◆ご神体=磐座(いわくら)

~御門の後背地は天香具山です。その竹林の中に、ご神体である磐座が鎮座します。

 

 

◆磐座

 境内の由緒板によれば、《当神社は、天照大神が岩戸隠れされた所と称し、今もなお巨石4個があって、大神が幽居した所と言える岩穴をご神体とし、神殿はなく拝所のみという古代人の原始的な祭祀形態を残している。》と。

 

※岩戸隠れについて

 あたりが暗くなったのは、日蝕が起きたから、という説があります。しかし、日蝕など、たかが数分の出来事です。神々を呼び集めているうちに、明るくなってきます。対処法を相談するまでもありません。この話は、火山の大規模噴火とその噴煙で何日も明るくならなかった。そうした史実の比喩として作られた神話ではないか、という説もあります。

 

 

 

 

 ②御厨子神社

(みずし)

◇鎮座地:奈良県橿原市東池尻町447

◇最寄駅:JR桜井線・香具山駅~1.2km

◇御祭神:根析神、安産霊神、誉田別命

◇御朱印:不明(無人社)

 

 ※御厨子神社の鎮座地は、第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれみかくりのみや)の地であったと推定されています。現在は、鬱蒼な森になっていて、静かで清澄な空間となっています。

 

 

【参道】

 「万葉の森」の東側に沿った道を北上すると、やがて右手に参道が見えてきます。

 雰囲気のある、山道的な参道です。

 

 

◆石段

 石段の頂上には石鳥居。そこに陽光が差し込んでいて、神々しく見えました。

 

 

 

 

◆社務所?

 鳥居の先の石段を上った正面には、社務所と思しき建屋。

 

残念ながら、御厨子神社には、手水舎も水盤もありませんでした。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

~土間形式の拝殿です。

 

 

◆狛犬

 拝殿と本殿瑞垣の間の狭いスペースに1対の狛犬がいました。

 

 

◆根析神(ねさく)

 祭神の中の1柱である「根析神」は、イザナギが火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を切ったときに、流れる血から生まれた神さまです。

 

 

◆瑞垣御門

~この日、午後から気温が上がっていたのですが、瑞垣前は、涼しくて良い気を感じました。

 

 

◆本殿

~左右に小さな境内社を従えるようにして、威風堂々と鎮座していました。

 

 

◆ご神体

 境内東側の林に「月輪石」という名の磐座が鎮座していました。中央部がスパッと切断されています。由緒板には、石拆神を「石神」として境内に祀っている、とのことでした。石神と思しきものがほかに見当たらないので、おそらくこちらの磐座だと思います。

 この鋭利な切断面は、イザナギが火之迦具土神を切ったことを比喩しているのかもしれません。なぜなら、石拆神もまた、イザナギが火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を切ったときに生まれた神だからです。霊威は、祈る者に生気を授けること、です。

 

 

 

 

◆境内社(拝殿に向かって右サイド=2社)

左:高良神社(武内宿禰)

右:蔵前神社(大国主命、少彦名命)

 

 

◆境内社(拝殿にむかって左サイドに=2社)

左:厳島神社(市杵島姫命)

右:恵美須神社(事代主命)

 こちらは、水と海に関係ある神様を祀っているようです。

 

 

 

【磐余の池

(いわれの池)

 御厨子神社の東側には、大津皇子の辞世句に詠まれた「磐余の池」があったとされています。説明板によれば、磐余池の池尻に位置していたことから「水尻神社」と称していたそうです。「水尻・みずしり」→「みずし」と転訛したと推定されています。

 持統天皇が息子・草壁皇子を皇位につけるための邪魔者。それが、実姉の息子・大津皇子でした。「謀反の罪」という、いいがかりに近い罪状?で大津皇子を捕縛~死罪に処しました。

 

 

 

 

 

【御朱印】

~不明

 

 

 

【参拝ルート】

2019年 3月20日 

《飛鳥の古社を行く》

START=近鉄・飛鳥駅~駅前レンタサイクル店(電動アシスト自転車調達)~1.1km~天武・持統天皇陵~4.6km~①飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社~1.5km~②加夜奈留美命神社~5.3km~③於美阿志神社~4.2km~④飛鳥坐神社~1.8km~ ⑤天岩戸神社~1.4km~⑥御厨子神社 ~1.7km~藤原京址~3.2km~神武天皇陵~750m~⑦橿原神宮~1km~レンタサイクル店(乗り捨て返却)~近鉄・橿原神宮前駅=GOAL

 

 

【編集後記】

◆磐座

 「天岩戸神社」、「御厨子神社」、ともに拝殿の向こう側に磐座を祀っていました。ただ、これが1,000年以上の昔からのもの、すなわち古代の祭祀を伝え続けてきたものなのか。それは、調べておりません。どうも連綿と続いてきたものではないような気もします。

 

◆藤原京跡

 古代史好きの端くれとして、飛鳥に来るとこちらも外せずに、来てしまいます。正面は、大和三山のひとつ畝傍山、画面には入っておりませんが、右手には耳成山。飛鳥には、ロマンがあるので大好きです。

 藤原京と言えば、持統天皇。持統天皇と言えば「天孫降臨神話」でしょうか。

 

 

◆天孫降臨神話

 この神話が作られたのは、天武・持統の時代です。持統天皇は息子を皇位に就けたかった。しかし、息子は病弱だったため難しかった。当時は、まだ天皇の兄弟が皇位に就くことに問題がなかったため、息子でなく孫まで引っ張ることには相当な無理がありました。そこで、この神話が作られたのです。なぜ、アマテラスの孫(=天孫)なの?息子ではないの?と思われている方もいらっしゃるかと思います。この神話は、現実の出来事に正統性を持たせるために作られました。アマテラス→天孫・ニニギノミコト、すなわち、持統天皇→実孫・軽皇子(=文武天皇)です。これは、歴史学界で常識化している事柄です。(了)