2018年 3月、伊勢を旅して神社を巡りました。
松阪神社
~当社は、松阪城の城内社だった?と言っても過言ではない立地でした。松阪城跡に隣接する「四五百(よいほ)の森」に静かに鎮座していました。
◇鎮座地:三重県松阪市殿町1445
◇最寄駅:近鉄・松阪駅
(循環バス→市役所前バス停~550m)
◇御祭神:誉田別命、宇迦御魂神
◇御朱印:あり
【表参道】
◆一之鳥居
~鳥居手前から右方向が石畳になっています。右に進むと観光スポットである「御城番屋敷」。鳥居の向こうはアスファルト道路。両サイドは桜並木です。
3月下旬なので、桜は6~7分咲きでした。道路右端には透明な水が流れる水路。
◆二の鳥居
~このあたりから、上り坂になり「四五百の森」に入っていきます。
◆石段
~この感じは神域が近いことを予感させます。右手には、お城の石垣が見えます。
◆三之鳥居
~石段を登りきって、三の鳥居をくぐれば境内です。一之鳥居から三之鳥居まで、ひとつ潜るたびに聖性が高まっていきました。
◆手水舎
~真新しくて、清潔な手水舎です。。
水盤は、天然石の素朴さを残すべく、最低限の加工に留めていました。柄杓受けの素木が清潔感満載で和ませてくれます。
【社殿】
◆拝殿
~妻入りの建屋と大きな破風。この意匠に、伊勢・猿田彦神社を想起しました。社格としては、『延喜式』神名帳にある「伊勢国飯高郡 意悲神社(おいじんじゃ)」の後裔社とされます。
奥の欄間に掛けられた額には祭神&合祀神の一部が列挙されていました。合祀神は、天照皇大神はじめ、33柱にも及びます。
創建年代は不詳ですが、古くからこの地に鎮座し、国司の飯高氏が産土神として崇敬しました。1588年、蒲生氏郷が当社の森に松坂城を築城。八幡神を合祀した上で、城の鎮守としました。以降、江戸時代まで「御城八幡」と呼ばれました。
◆本殿
~社叢に覆われていて見ることが叶いませんでした。神明造の美しい本殿のようです。
【境内社】
◆少名彦那神社
御祭神:少名彦那尊(すくなひこなのみこと)
~合祀された神々33柱の中に、少名彦命が含まれますが、こちらは、それとは別の形で祀られているお社かと思われます。これは、頻出するケースです。
「みこと」という言葉に「命」でなく「尊」という文字を用いているところに、こちらの神様への敬意を感じます。
鳥居、狛犬が設置されていて、この摂社には、松阪神社の並々ならぬ思いを感じました。
◆拝殿
~少名彦命は、オオナムチと常に行動を共にし、芦原中国の国づくりに大きく貢献しました。
左の石碑には「建速須佐之男命」の文字。
【境内点描】
◆ご神木
樹齢 900年超の巨大な楠
~鳥居が建てられ、四方が柵で護られています。樹高は22m、幹周は6.49m。
注連縄から下の根元付近は、大部分が朽ちています。その結果、空洞ができています。この空洞は、松阪城本丸の井戸とつながっている、と伝わっています。
◆遥拝所
~皇居遥拝所と神宮(=皇大神宮)遥拝所です。石碑の下には小型の三宝。
◆神楽殿
◆神輿庫
~神輿庫なのに狛犬が護っている。見かけない形です。神輿2基が格納されていました。
【御朱印】
~年月日のみ墨書です。
【参拝ルート】2018年 3月23日
START=伊勢パールピアホテル~徒歩~①『豊受大神宮』→バス→②『皇大神宮』~徒歩~③『猿田彦神社』~徒歩~④『上田神社』~徒歩~⑤『月讀宮』~徒歩~「五十鈴川駅」・駅前バス停→バス→⑥『倭姫宮』→バス→「宇治山田駅」→近鉄→「松阪駅」→バス→「市民病院前」~徒歩~⑦『本居宣長ノ宮』~徒歩~ ⑧『松阪神社』 ~徒歩~「市役所前」バス停→循環バス→「松阪駅」=GOAL
【編集後記】
◆松阪城
~このあたりの桜は、満開の一歩手前で美しかったです。
◆御城番屋敷
~道の左右に武士たちの館が立ち並んでいます。しかし、いわゆる武家屋敷ほど大きくなく、おそらく、下級武士たちの家でしょう。
◆隣り合う神社
~松阪神社は、お隣の『本居宣長ノ宮』境内づたいに入れます。「松阪神社 参道」と刻まれた道標が両社の中間地点に建てられていました。
(了)