小岩神社 (こいわ)
鎌倉時代、当地一帯を治めていた葛西氏が伊勢神宮に土地を寄進。この辺りは、「葛西御厨(かさいみくりや)」となり、その関係で伊勢神宮の遥拝所を設けました。
1536年に行徳(千葉県市川市)から「五社明神社」を遷座。以降、小岩の総鎮守です。
(注)御厨=皇室や伊勢神宮、賀茂神社が所有する荘園・神領のこと。
◇鎮座地:東京都江戸川区東小岩6-15-15
◇最寄駅1:JR総武線・小岩駅~700m
◇最寄駅2:京成線・小岩駅~850m
◇御祭神:天照皇大御神、住吉大神(=表筒男命、中筒男命、底筒男命)、天児屋根大神、八幡大神(=誉田別命)、衣通媛大神*
→*衣通媛大神(そとおりひめ→知性と美貌を授けてくれる姫神)
◇御朱印:あり
【参道】
◆大鳥居
~元・神明社だったため、鳥居は神明系です。また、「五社明神」の文字に歴史を感じます。
◆手水舎
~植栽に囲まれ、落ち着いた雰囲気の手水舎です。
◆水盤
~天然石を組み合わせた、野趣あふれる水盤。水は岩の上の方から供給されます。流れ落ちるというより、ポトポト垂れてくる感じです。
◆神門
~神門両サイドに木戸が設けられています。三輪鳥居をデフォルメしたようなデザインです。
神門は、築40年ほどの物件です。
【社殿】
◆拝殿
~向背代わりなのか?社名入りのテントが張ってありました。宮司さんは、見た目の美しさより、実用性を優先。参拝者が雨に濡れないよう、気遣ってくれていることが窺がえます。
例によって、江戸時代までは、神仏混淆状態でした。明治になってすぐに、神仏分離となり「天祖神社」と改称しました。そして、明治12年(1897)、さらに「小岩神社」へと改称しました。
◆本殿
~瑞垣の高さと相俟って、内部が見えにくく、たぶん覆い殿なんだと思います。
【境内社】
◆境内
~拝殿手前、左手スペースの景色です。左:富士塚、右:わらじ石。2つの鳥居の間を石畳の参道が社叢の奥へと延びていきます。
◆わらじ石(=撫で石)
~足の健康、足の病気やケガの治癒を祈りながら、この石を撫でます。草鞋(わらじ)について、民俗学の見地から何らかの知見を得られないか調べたところ、「巨大わらじ」、「村の守り神としてのわらじ」などがありました。背後の草鞋は、お礼参りの際に奉納されたものです。
◆奉納わらじ
~こうした習俗は、昭和の半ば頃まで全国各地で見ることができたようです。筆者は、埼玉の川越氷川神社、千葉の飯香岡八幡宮の境内社でもこうした草鞋を見ました。そうそう、長野・善光寺に奉納されたおびただしい草鞋は、TVニュースで頻繁に取り上げられます。
◆富士塚
~1メートルあるかないかの低い富士塚ですが、クロボク=富士山の溶岩+祠(=石碑)で最低限の要件は備えていました。
◆下社=道祖神社
~御祭神は、猿田彦大神です。こちらより上は、どれも山関連の神社です。
◆中社=日枝神社
~「山王三社大神」と刻まれています。日枝神社=神猿ですね。江戸時代、山王権現は、天台宗の鎮守神でした。明治時代に神仏分離令が最初に実行されたのは、日吉大社だとされています。仏像・仏具などが燃やされ、廃仏毀釈運動は日本全国に広がりました。
◆三峯神社
~小さな社には、神符が納められています。
◆上社=浅間神社
◆和魂神社
~富士塚の裏手にある護国神社です。和魂は、「にぎたま」でなく「みたま」と読ませます。
扉には、十六弁菊の装飾。
◆水神社(すいじん社)
~和魂神社の裏手、神域の隅っこ、寂しい場所に鎮座しています。すぐ近くを江戸川が流れています。昔は、水害などにも見舞われていたでしょうから、水神社の鎮座には納得です。
◆稲荷神社
~拝殿に向かって、右サイドのスペースに鎮座しています。周囲を笹が覆っていました。
こちらの神狐は、「撫でキツネ」化していました。
【境内点描】
◆神楽殿
~欄干や雨戸はていねいに清掃されていて、気持ち良い建屋でした。左は、稲荷社。
◆神輿庫
~境内・南西の奥まった場所です。しかも、社殿ではないためか、落ち葉が凄かったです。
◆紅葉
◆社務所
【御朱印】
~御朱印は、社務所の左サイドから連なる「授与所」でいただきました。宮司さんの奥様と雑談していたら、ワンちゃん(=黒ラブ)が奥から様子を見に出て来ました。人懐っこい子でした。
【参拝ルート】2018年12月 5日
START=JR総武線・小岩駅~徒歩~小岩駅南口バス停→京成バス・瑞江駅行き→浅間神社バス停~100m~①『篠崎浅間神社』~浅間神社バス停→京成バス・小岩駅行き→小岩警察バス停~160m~ ②『小岩神社』 ~850m~京成線・京成小岩駅→京成上野行き→京成高砂駅~350m~③『高砂天祖神社』~京成高砂駅=GOAL
【編集後記】
◆大事なこと
~手水舎・水盤の岩陰に潜む 狐に気づいたときは、一瞬ドキッとしました。置きたいなら、境内社の稲荷に置きましょう。手水舎は、心身を清浄にする場、禊の場です。この場所は、神様的にはニュートラルでなくてはいけません。あるいは、龍神や水神がいるのですから。百歩譲って、眷属の動物ならまだ理解できます。しかし、小岩神社は稲荷神社ではありません。
◆撒撰(てっせん)
~御朱印(=初穂料 500円)とともに、「ご由緒」と神前のお供え物を拝受しました。
◆元・御厨
~小岩神社の鎮座地域は、「葛西御厨(かさいみくりや)」内でした。武蔵国における、伊勢神宮の荘園は、他にも相馬御厨や夏見御厨などがあります。前者には、塚崎神明社(柏市)が、後者には、意冨比神社(船橋市)があります。この3社とも、主祭神は天照大御神です。やはり、伊勢神宮の料地ですからこうなるのは必然でしょうか。
◆わらじ石
~電車やクルマがなかった時代、旅や移動の手段は徒歩でした。したがって、健脚でないとどうしようもなかったわけです。そういう時代においては、「わらじ石」や草鞋の奉納などが行われたこと、理解できます。草鞋は奉納されても、手袋は奉納されないのです。
◆後記
~小岩神社は、一之鳥居から拝殿までの神域がていねいに清掃されていました。また、全体的印象としては、地味な神社でした。けれども、地域住民に崇敬されている神社であり、近隣の人びとから愛されている宮司家であること。これは、境内を見学して伝わってきました。(了)