立川諏訪神社
《隣接地には元宮の跡地も》
創建は平安時代初期。立川柴崎村の鎮守として、諏訪大社を勧請したのが始まりです。
◇鎮座地:東京都立川市柴崎町1-5-15
◇最寄駅:立川駅~900m
JR中央線、青梅線、南武線
◇御祭神:建御名方神
◇御朱印:あり
【疑問】
「諏訪」と言えば、梶紋です。
しかし、当社は梶紋を使っておりません。「三つ巴」しか見当たりませんでした。
なぜ、梶紋を使わないのでしょう。
【諏訪大社の梶紋】
◆左:上社=諏訪梶(根が4本)
◆右:下社=明神梶(根が5本)
~全国各地の分社では、基本的に梶紋が使われます。
【諏訪の森公園】
表参道から入る予定でしたが、諏訪の森公園に着きました。帰りに寄るつもりだった『元宮跡』を先にしました。
◆舊宮趾(=元宮跡)
~公園は、神社の北に隣接しています。かつては、こちらも神域でした。公園の片隅に「舊宮趾」と刻まれた石碑が建っていました。
※当社は、 811年に信濃「諏訪大社」より勧請されたと伝えられているものの、創建から近世に至るまでの歴史は空白です。梶紋を使わないことが、これに関係あるかもしれません。
【表参道】
◆大鳥居
~この大鳥居から拝殿までの参道は、途中、神門を経て一直線です。つまり、参道の突き当りが拝殿・本殿です。
◆社務所
~参道を行くと、ほどなく左手に出現します。参集殿かと思いましたが、社務所でした。巨大です。鉄門の神紋は梶紋ではありません。
◆手水舎
水盤も「三つ巴」でした。それにしても、この赤茶色はどうしたのでしょう。水が鉱物を多く含んでいるのでしょうか。クチを漱ぐのがためらわれます。
◆神門
~両脇に武具を持った右大臣&左大臣。様式は、隋神門です。
風合いから判断して、総檜だと思います。神門には、木製玉垣が連なります。
【社殿】
◆拝殿前庭
~とても広々とした空間です。相模国・一之宮「寒川神社」の神域を連想しました。
◆拝殿
~中央に「諏訪神社」、向かって左に「八幡神社」、同右に「稲荷神社」を配した、三社同殿となる拝殿です。賽銭箱も個別に用意されていました。
◆八幡神社と稲荷神社
~八幡神社は、明治40年(1907年)に近隣地からこちらに合祀されました。明治政府の合祀政策によるもの、かと思われます。
◆社殿は苦難の歴史
安土・桃山時代に、野火により社殿を焼失。江戸時代前期に再建。平成6年、不審火により社殿焼失~再建。と、辛酸をなめています。
◆瑞垣御門
~境内は、丁寧に掃き清められていて、清々しさが溢れます。天祖神社や浅間神社といった、天津神系神社のような雰囲気を感じました。
◆立川という地名
~武蔵国の国府があった府中付近から見て、東西に連なる山々を多摩の横山と呼んでいました。その多摩の横山から見て、多摩川がタテ方向(=南北)に流れている近辺(現在の立川・日野)を立の河と呼んでいました。立の河が変化して現在の立川になったと言われています。
◆本殿
~ガラス張りの大きな覆い殿。内部には、ご本殿が安置されています。
◆八幡神社本殿
~御祭神:誉田別尊。左手に見える、白い社殿です。
◆稲荷神社本殿
~御祭神:倉稲魂命。右手に見える、白い社殿です。社殿前に狛犬。横に、狛狐が1対。
【境内点描】
神楽殿、境内社などが東側に集中していて、西側には何もありません。この配置には、何らかの意味があるのかもしれません。
※相撲場は西側なのですが、これは神門~玉垣の外に設置されています。
◆境内社1
~「目の神様」。近づくと、龍の口から水が流れ出ます。
◆境内社2 「寄せ宮」
~右から、浅間神社、金刀比羅神社、日吉神社、疱瘡神社。浅間神社は、茅葺屋根でした。
※疱瘡神社とは、疱瘡(天然痘)を封じるために祭祀された神社です。悪神を丁重に祀ることで、神とするパターンです。
◆相撲場
~土俵は現役で、「立川夏祭り」で奉納相撲が行われます。また、「獅子舞」もこの土俵で行われており、その写真は神社のリーフレット表紙にもなっています。
◆神楽殿
【その他の参道】
諏訪神社には、4つの参道があります。表参道、東参道、公園参道(北参道)、北裏参道です。
◆西門
~注連柱上部に神紋「三つ巴」。門を出て、右に進むと「北裏参道」になります。
◆公園参道
~「諏訪の森公園」とつながっています。
◆錬成館 (=弓道場)
~公園から入って大鳥居をくぐり、直進すると、左手に見えます。ちなみに右手は、瑞垣。
◆水盤
~表参道の水盤より、やや小ぶりですが、水はふんだんに流れ出ていました。清浄な水で禊できるのは、表参道と公園参道だけです。残り2つの参道に手水舎はありません。
◆注連柱
~公園参道を直進して、突き当りの右手にある門、東門です。注連柱門は、玉垣の東西に設置されています。
※東鳥居、社号標、東参道の写真は撮り忘れました。
【御朱印】
~初穂料は、300円。受付時間は、08:30~16:30 です。
【参拝ルート】 2018年11月14日
START=JR・五日市線「武蔵五日市」駅~徒歩1.2km~①『阿伎留神社』~徒歩「武蔵五日市」駅→五日市線→「東秋留」駅~徒歩270m~②武蔵國二之宮『二宮神社』~徒歩~「東秋留」駅→五日市線→「立川」駅~徒歩900m~ ③A『立川諏訪神社』~徒歩110m~③B『諏訪の森公園・舊宮趾(=諏訪神社・元宮)』 ~徒歩750m~「立川」駅→JR・南武線→「分倍河原」駅→京王線→「聖蹟桜ヶ丘」駅~徒歩700m~④武蔵國一之宮『小野神社』~徒歩~「聖蹟桜ケ丘」駅=GOAL
【ひとこと】
◆古事記のタケミナカタ
~出雲国で建御雷之男神(タケミカヅチ)と力を競い、かなわず。科野国の州羽海(信濃の諏訪湖)まで追い詰められて降伏。国譲りを承諾すること、諏訪の地より外に出ないことを条件に、命を保証されました。
◆日本書紀のタケミナカタ
~持統天皇5年(691年)、「信濃の須波(すわ)」に使者を遣わして祀らせた。とあるだけです。
◆諏訪大明神絵詞(えことば)のタケミナカタ
~タケミナカタは、越国(こしのくに)で生まれたとされています。大国主がヒスイを求めて越に行き、高志沼河比売(こしのぬなかわひめ)と結婚。そして、タケミナカタが誕生します。成人後、糸魚川を遡り、松本から諏訪に着いたとされています。
◆立川諏訪神社
~社殿や境内が新しく、爽やかな雰囲気が漂っているのですが、「何か違う」感をずっと抱えたままのお参りでした。神社の歴史から来る、負の先入観のせいでしょうか。つまり、平安時代初期の創建から安土桃山時代の野火による社殿全焼までの期間が欠史であること。また、諏訪を称しながら、梶紋を使ってないこと。などが、原因なのかもしれません。 (了)