2018年11月、五日市線に乗って多摩地区の神社を巡りました。
阿伎留神社 (あきる)
《鹿卜(ロクボク)を行っていた古社》
創建年は不詳。『延喜式』神名帳《武蔵国多摩郡8座》の筆頭に記載される式内社です。また、従四位下 勲六等の神階も受けています。
◇鎮座地:東京都あきる野市五日市1081
◇最寄駅:JR五日市線・武蔵五日市駅~1.2km
◇主祭神:大物主神
◇相殿神:味耜高彦根神、建夷鳥神、天児屋根命
◇御朱印:あり
※祭神付記
江戸時代後期の時点で、祭神は味耜高彦根神のみでした。
【参道】
◆大鳥居
~そもそも、「アキル」だなんて風変わりな神社名です。アキルは、「畔切(あきる)」。畔(あぜ)を切り、田を開く。この一帯の開拓が始まった頃に祀られたことを示唆する名称です。
◆参道
~突き当りに社殿が見えます。一般的には、参道の突き当り=拝殿です。しかし、当社は、それが拝殿ではありません。神楽殿です。
◆手水舎
~玉砂利の参道は、右手に手水舎。石垣や苔むした古木が美しい風景を作り出しています。
~中央に渡した竹の蔭から清浄な水が出ていました。噴水式蛇口が隠れていました。
※参道の中ほどで直角に右折。短い石段を上ると拝殿です。
古い神社の拝殿は、参道の突き当りにはないのです。
【社殿周辺】
◆参道から拝殿を遠望
~旧拝殿は、江戸時代(1830年)に火災で焼失。写真の拝殿は明治21年(1888)再建です。
◆狛犬
~「子持ち狛犬」は、親子で正面を睨んでいる造形が一般的です。しかし、こちらは、子が威嚇しておりません。侵入者に尻を向け、親に甘えるのに夢中です。
◆祓戸神社
~軒下には、《祓戸大神》 と揮毫された扁額。となると、瀬織津姫をはじめ、「祓戸四神」が祀られているということです。
◆大麻(おおぬさ)
~「この お祓い用の大麻を左右左と振って、御自身をお清めください」と書かれています。手水舎+祓戸神社=《禊・祓い》の完成。
【社殿】
◆拝殿正面
~阿伎留神社は、出雲・土師氏の系統である、土師連男塩(はじのむらじのおしお)が氏神を祀ったことに始まるとも考えられています。
◆社号提灯と紋幕
~神紋は「丸に三つ柏」。「かしわ手を打つ」という言葉があるように、柏と神社は縁が深く、柏を神紋・家紋とする神社や宮司家は少なくありません。伊勢神宮・外宮の神職家や熱田神宮の大宮司の家なども家紋として用いています。
~千鳥破風でも唐破風でもない造形。二等辺三角形のカチッとした破風です。
【参考】
畔切(あきる)
と
畔放ち(あはなち)
~「切る」と「放つ」は、似たような言葉です。
しかし、両者は逆の意味になります。
①畔切る=春先に畔(あぜ)のキワ部分の土を切り取って、田を作ること。
こうして、モグラやネズミの穴を見つけ、それを突き固めます。この作業を怠ると、水漏れだけでなく、大雨時に穴が空き、畔が崩れてしまったりするそうです。
②畔放ち=畔を破壊して、水を放出させ、田を潰すこと。
→スサノオが高天原で犯した天津罪のひとつです。
◆幣殿と本殿
~祭神=味耜高彦根神は、加茂族の発祥地である葛城に鎮座する「高鴨神社」(加茂、賀茂の総本社)の主祭神でもあります。よって、阿伎留神社は、加茂氏との関連も考えられます。
◆本殿
~高い石垣を築いて、その上に本殿を鎮座させています。神社において、石垣はきわめて稀です。城郭のそれのように、角に稜線まで作り出している、本格的な石垣でした。
~祭神=建夷鳥神は、土師氏の遠祖神です。大物主神と建夷鳥神は、埼玉「鷲宮神社」と共通です。どちらの神社とも、出雲・土師氏が絡んでいます。
◆味耜高彦根神=加茂大神
~相殿神=味耜高彦根神は、大国主大神と多紀理姫(=宗像三女神)の息子神であり、葛城の「高鴨阿知須岐託彦根命神社」→「高鴨神社」の主祭神で賀茂大神と呼ばれています。
当社は、末社に加茂別雷神を祀っていることを含め、加茂氏の影がチラつきます。
~当社は、土師氏だけでなく、加茂氏も関係する神社だということが、薄々、分かりました。
次は、本殿をあとにして、重要末社と神聖な施設を見ていきます。
【重要境内社】
◆占方神社(うらかた)
御祭神:櫛真智神
(くしまちのかみ)
~太占(ふとまに)を司る神様で、「記紀」や神々の系図に登場しません。天児屋根命の別名、とする説もあります。
(注)太占・・・鹿の骨を焼き、そのヒビ割れで吉兆を占います。
◆櫛真智神=大麻等能豆神
~神名帳の天香具山神社の記載事項に、《櫛真智神=大麻等能豆神(おおまとのつのかみ)》と、あります。
東京都稲城市「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)」の御祭神が櫛真智神であることから、このイコールは、腑に落ちる話です。
◆鹿卜(ろくぼく)
~当社には、鹿卜に関する最古の資料、「神伝鹿卜秘事記」が伝わっています。鹿の骨も残っています。祭神=天児屋根命は、この秘術の使い手。「天の岩戸」でも占なっています。
【境内点描】
◆神楽殿
~神楽殿の裏手からの1枚です。社叢に連なるこの辺りは、しっとりとした雰囲気でした。
神楽という言葉の由来は、神座(かみくら)から。というのが有力です。
◆社務所
~社務所もしっとり、です。初代神主は、土師連男塩。現在の宮司家は創立以来70余代目とされています。「連(むらじ)」は、「臣」と共に、高位の豪族が使用した姓です。
◆まいまいず井戸
~水神や龍神が棲むと言われてきた井戸です。そうした石碑などは確認できませんでしたが、清澄な空気を感じた一角でした。井戸は、らせん状に掘る古代技術によっています。これが、カタツムリの殻の形に似ているため、「まいまい(=カタツムリ)」という名称になっています。
◆神輿殿
~大きな木造神輿庫でした。両サイドにはショウ・ウインドウが設けられていて、四神霊獣の木像が飾ってありました。また、軒下には彫刻が施されていました。
◆氏子さん
~駅から神社に向かう途中、地元の老人に道順を確認しました。老人は、氏子さんでした。神社まで同行案内してくれた上、神輿庫を開けて内部を見せてくれました。その際、「六角神輿」の希少価値を誇らしげに語ってくれました。
【境内社】
◆大鳥神社
御祭神:思兼神・大名持神・事代主神 (by 五日市町史)
~大鳥神社=日本武尊ではないの?と思いました。そういうブログも散見します。しかし、「町史」によれば、日本武尊は祀っておりません。
◇大鳥神社は、若電神社・熊野神社も合祭しています。前者祭神・加茂別雷神は賀茂氏が祀った天津神です。
◆忠霊搭
~どの神社でも、忠霊搭(=忠魂碑)の周辺は空気が澄んでいると感じます。忠魂碑は、明治維新以降、戦死した地域出身兵士を称える記念碑です。GHQ(≒米軍)は、これを単なる慰霊碑とは位置づけず、国家主義・軍国主義の象徴と捉え、かなりの数を撤去させました。
※稲荷神社と天満宮は割愛しました。
【御朱印】
~初穂料は300円
『県社・総社用』御朱印帳を提出しました。宮司さんは、確認のためページをめくりました。稲田神社や大洗磯前神社、等のご朱印を見て、「大洗磯前は良い神社ですよね。僕は、3回ほど参拝してます」と、気さくに声をかけてくれました。
【参拝ルート】2018年11月14日
START=JR・五日市線「武蔵五日市」駅~徒歩1.2km~ ①『阿伎留神社』 ~徒歩「武蔵五日市」駅→五日市線→「東秋留」駅~徒歩270m~②『二宮神社』~徒歩~「東秋留」駅→五日市線→「立川」駅~徒歩900m~③A『立川諏訪神社』~徒歩110m~③B『諏訪の森公園・舊宮趾(=諏訪神社・元宮)』~徒歩750m~「立川」駅→JR・南武線→「分倍河原」駅→京王線→「聖蹟桜ヶ丘」駅~徒歩700m~④武蔵國一之宮『小野神社』~徒歩~「聖蹟桜ケ丘」駅=GOAL
【ひとこと】
◆神代文字
~阿伎留神社の境外末社「琴平社」には、神代文字=阿比留文字(あひる文字)で書かれた和歌の版木が伝わっています。この文字は、対馬、出雲でも見つかっています。興味深いのは、《加茂・鴨の影が見える神社に、阿比留文字》が残っていること。すなわち、カモ&アヒル。すごい共通点です。(笑)
◆御旅所
~阿伎留神社と武蔵五日市駅の中間地点、五日市街道にあります。日常的には、たんなる空き地です。しかし、お祭りの期間中、御霊の入った神社神輿が置かれます。3人の神官が張りつき、夜中でも交代で神輿を守ります。
◆美しい社叢
~境内には、とてもイイ感じの社叢が広がっていました。しかし、50年前はもっと美しかったようです。1966年 9月、台風により、杉や檜などの大木が 100本以上も倒れてしまいました。
その結果、昼なお暗かった境内社叢は、半減してしまったとのことです。 (了)