2018年11月、JR総武線に乗り。標記神社に行きました。

 

 猿田神社 (さるた)

 神域内には、奥宮や元宮のほか「猿田彦大神 御降臨之地」まであります。

◇鎮座地:千葉県銚子市猿田町1677

◇最寄駅:JR総武線・猿田駅~260m

◇主祭神:猿田彦大神

◇相殿神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)

◇相殿神:菊理媛命(くくりひめのみこと)

◇御朱印:あり

→定休日に注意=仏滅の日

 

 

 ※猿田彦は、記紀に登場する国津神です。天孫降臨の際、天の八衢(あめのやちまた) に現れ、天津神の一行を日向の高千穂へと導きました。

 

 総武線には、「八街(やちまた)」、「日向」などの駅があり、神話を連想させます。

 

 

 

【参道】

◆一之鳥居

~天鈿女命が祀られていることには、納得です。猿田彦と天の八衢で出会い、のちに夫婦になっているのですから。その一方、なぜ菊理媛命が祀られたのでしょう。猿田彦命とは、なんら関係がありません。

 

 

◆二之鳥居

~祭神=菊理媛命は、イザナギとイザナミに関係します。

イザナギは、死亡したイザナミに会いに黄泉国に行きます。そこで、妻の変わり果てた姿を見て逃げ出します。しかし、追いつかれ、口論になります。 そこに菊理媛が現れ、仲裁します。

 

 菊理媛は、イザナミとイザナギを仲裁した。=死者と生者を取り持った。すなわち、シャーマン(=巫女)ではないかとも言われています。

 

 

◆先神橋(せんかみばし)

~明治30年、高台に鎮座する猿田神社の崖下を鉄道が通ることになりました。つまり、参道が分断されることになります。そこで、線路と河川をまとめて越えるため橋が架けられました。

赤煉瓦を積んで造られた、いかにも明治時代な美しい橋です。渡り終えたら、神社の石段が待っています。

 

 

◆石段入り口

~石段の登り口に建てられた石碑=「天然記念物 猿田神社の森」

 

 

◆天孫降臨

~アマテラスは、大国主との「国譲り」交渉に完勝。次に打った手は、「天孫降臨」でした。自身の孫・ニニギに葦原中国に行って、国を治めるように命じました。流れとしては、国譲りを終えた出雲に降臨するはずです。しかし、猿田彦の道案内で高千穂の高い山に降臨しました。なぜ出雲でなく日向なのか。その答えは、『火山で読み解く古事記の謎』蒲池明弘(文春新書)に書いてありました。 (参考図版)・・・伊勢『神宮徴古館』所蔵の「天孫降臨図」

 

 

◆手水舎

~賽銭箱がありました。水盤に小銭を置いてしまう、ダメな人への対処。良いと思います。

~水盤は、浄水がとめどなく流れていました。素晴らしいです。

 

 

◆祓舎

~精霊が宿っていそうな古木のたもと、嬉しいことに「祓舎」が鎮座していました。

~祭神は、瀬織津姫をはじめとした、祓戸四神かと思われます。

 

 手水舎と祓舎で《禊&祓》を終え、気持ち良く拝殿に向かいます。

 

 

【社殿】

◆拝殿正面

~大きな向背がつけられた、重厚な拝殿。向背は、よく見ると「三輪鳥居」みたいな造形です。これは、伊勢神宮・内宮近くの「猿田彦神社」の拝殿も同様でした。つまり、4本柱の向背。

 

 

◆拝殿軒下

~伊勢・猿田彦神社の神紋は、「五瓜梅鉢」です。一方、猿田神社は、千葉県の神社らしく「月星紋」です。月星紋の場合、星は1つが一般的ですが、こちらは、月に三ツ星です。

 

 

◆狛犬

~唯一の狛犬は、新しめです。こちらが奉納されるまで、狛犬は不在だったのかもしれません。だとしたら、そのまま不在で良かったのに・・・。

 

 

◆玉垣御門

~拝殿は、横に回ると瀟洒(しょうしゃ)な玉垣御門が設けられています。こちらをくぐると、右手・瑞垣越しに本殿が見えます。石畳や石段はていねいに清掃されています!

 

 

◆本殿・左サイド

~社殿は、三間社流造です。門をくぐって、本殿瑞垣エリアに入ると、ご神気は格段にアップしました。とても気分が良かったです。

 

 

◆本殿・真裏

~瑞垣の本殿・真裏部分に「拝所」が造られていました。この辺りは静謐で、雰囲気がとても良いです。ここから本殿を仰ぎ見ると手を合わせたくなります。よって、拝所。なんですね。

 

 

◆本殿・屋根

~遠目に見た感じ、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)のようです。木の皮は、草(=茅葺)より耐久性があると思います。また、美しさも格別です。

 

 

 

【境内点描 1】

◆ご神水

~「ご神水は湧き水です。水量に限りがありますので大切にお取りください」との高札あり。

 

 

◆稲荷社エリア

~お稲荷さんは、どうにも苦手なのすが、こちらは妖気を感じませんでした。背後に広がる社叢=《木の精》のおかげでしょうか。

 

 

◆石祠エリア

~このエリアは、授与所の裏手にあたります。

 

 

 

【境内点描 2】~建物

境内には、重厚な建屋が並びます。

◆社務所

 

◆授与所

 

◆昇殿者 控え所

~覆い殿のような昇殿者控室です。

 

◆神輿庫

~建屋は古びていますが、ガラス窓はピカピカに磨かれていました。さすがです。

 

 

 ◎猿田神社には、奥宮 と 元宮 もあります。

 

◆東鳥居

~奥宮&元宮は、この鳥居から境外に出て、山間(やまあい)の道を進みます。

 

 

◆裏参道

~左は、「猿田彦の森」、右手は崖になっている杉並木を進みます。空気が澄んでいます。

 

 

 

【奥宮】

 こちらでは、「御神水取り」 と 「御神砂取り」 ができます。

 

◆木製鳥居

~ここをくぐると、空気の質が変わります。

 

 

◆御神砂受所

~崖のノリ面が無秩序に掘られていて、まるで、獣の巣穴です。掲示板には、「御神砂は貴重です。良識ある分量をお持ち下さい」とか「崖崩れにご注意ください」などと書かれていました。

 

 

◆奥宮への道

~杉などの社叢に囲まれた、下り坂を降りていきます。

 

 

◆奥宮

~カーブを過ぎると、目の前が開けます。奥宮、池、ご神水の湧水地などが遠望できます。近づくと、池の周囲には「龍神」や「水神宮」などの小祠もありました。

 

 

◆強いご神気

~奥宮は、石垣の上に鎮座する石祠でした。池を含むこのエリアは、神気に満ちていました。奥宮ということは、こちらが由緒に記された《垂仁天皇25年に宮柱を建立》した場所なのでしょうか。神社リーフレットには、奥宮の由緒に関する記載がありません。

 

 

◆ご神水

~奥宮社叢の土壌に《湧水ポイント》がありました。神気が宿る清澄な水なのでしょうが、なんとなく、直に飲む勇気がありませんでした。

 

 

◎奥宮を出て、元宮に向かいます。

~道中、右手に古墳のようなマウンドも見えます。

 

 

 

【元宮】

こちらは、2013年に整備完了したばかりの新しい神域です。

 

◆大鳥居

~奥宮の鳥居より、はるかに大きな石鳥居。元々は「降臨地」伝承だけだった場所に、社殿などを整備したものと思われます。

 

 

◆元宮社殿

~竣工してからまだ5年しか経過していません。社殿も瑞垣も新しいです。

 

 

 

◆元宮の社叢

~ヒトの体内で血管が連鎖的に広がるさまを連想させる社叢でした。ご神気が強い場所の樹木は、このように変形する、とも言われます。

 

 

◆降臨の地

~「猿田彦大神 御降臨之地」と刻まれた石碑。

 

 

◆石祠

~石の瑞垣で囲まれた中に、盛土。そして、石祠と賽銭箱です。

 

 

 

【御朱印】

~初穂料は300円。右下の陰影は「千葉懸 下總國 猿田鎮座」

 

 

 

【参拝ルート】2018年11月 6日

START=JR「千葉駅」→総武線・銚子行→ 「猿田駅」~260m~①『猿田神社』②『猿田神社・奥宮』③『猿田神社・元宮』 ~「猿田駅」→総武線・上り→「干潟駅」→1.7km(タクシー)→④『鎌数伊勢大神宮』→(タクシー)→「干潟駅」=GOAL  

 

 

 

【編集後記】

◆聖性

~猿田神社は、期待通りの神社でした。拝殿、本殿、奥宮、元宮、と、お参りして感じた 《ご神気》のレベルは、強い順に①本殿「拝所」→②奥宮→③拝殿→④元宮&降臨地、でしょうか。

 

◆神仏習合

~千葉といっても奥地です。カントリーな点では、浦安あたりと大違い。緑濃い地域です。このような場所柄だからか、神仏習合の名残りがあります。社務所は、「仏滅」が定休日。仏さまが亡くなった日など、神社には関係ないはずなのですが、そうはいかないようです。

 

◆由緒

①紀元前5年:垂仁天皇25年に宮柱を建立

②192~200年:仲哀天皇の代に大海原神社を創建

③768年:郡司社として神戸(かんべ/じんこ)の寄進を受ける

④807年:社殿改築の記録

と、社伝によれば、2000年の歴史を誇る古社です。

 

◆小旅行

~当社の最寄り駅は猿田駅。JR千葉駅から<銚子行き>に乗り、終点=銚子駅の1つ手前です。約1時間半の電車旅ですが、車窓風景を楽しめるので遠く感じません。(了)