式内社
稲田神社
『延喜式』神名帳に記された社号
常陸國新治郡3座(大1座・小2座)
→名神大社 稲田神社
(いなたのかみのやしろ)
当社の別名は、稲田姫神社、姫之宮
境内の外、裏山には奥宮が鎮座します。
◇鎮座地:茨城県笠間市稲田763
◇最寄駅:JR水戸線・稲田駅~1.1km
◇御祭神:奇稲田姫命
◇合祀神:明治 6年に近隣5社を合祀。
→香取神社(經津主命)、天満宮(菅原道眞)、山王宮(大山咋命)、神明宮(大日孁貴命=天照大御神)、稲好井神社(祭神未詳)
◇御朱印:あり
◆『大日本史略図会』
素戔嗚尊(画・月岡芳年)
巫女コスプレで祈るクシナダヒメ。
奇稲田姫
木花開耶姫神の姪であり、素戔嗚神の妻。
と、家系図的なことくらいしか分かっていない謎多き女神です。
今回は
稲田姫を考えてみます。
【表参道】
◆一之鳥居
参道には民家が並び、世俗的です。ところが、この先の石段付近から民家が消え、樹木が鬱蒼としてきます。つまり、聖性を感じられるようになります。
◆石段
石段の段数を数えました。40段上って、踊り場。そこから、さらに26段。合計66段でした。石段を登りきった場所に、神明系の二之鳥居が建っています。
◆斜面の末社
石段横、崖の中腹に祀られていました。傍らに、天満宮(菅原道真公)と刻まれた社号標。天満宮を参拝するには、ほんの少しの危険を冒さねばなりません。筆者は、スルーしました。
◆手水舎
稲田石の水盤でしょうか、白っぽい石なので水がよりきれいに見えます。
浄めの水は、湧水方式。水盤周りに目障りなものが一切なく、スッキリしています。
『稲田姫宮神社縁起』
ある若者が清水を汲むため、稲田の「好井」に来ました。すると、泉の傍らに女性が現れ、次のように告げました。
「われは、奇稲田姫。当地の地主神である」
さらに、姫の父母の宮・夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作り祀るよう神託を下しました。
【社殿】
◆拝殿・正面
間口が広く、大きな拝殿です。屋根は瓦風の銅板葺きでした。注連縄は、大蛇がのたうっているかのように見えます。
繰り返しますが、当社は式内社です。しかも、格式が高い 名神大社 に列せられています。
諸国の一之宮の多くが名神大社です。
◆社務所
画面左の建屋が正体不明でしたので、宮司さんの奥様にお尋ねしたところ、社務所とのことでした。渡り廊下で拝殿とつながっています。ふだんは無人、行事があるときに使用します。
◆拝殿と本殿
拝殿と本殿を横から眺めました。拝殿より本殿のほうが背が高くなるように造られています。これは神社建築の基本です。
本殿は、総欅流造で屋根は銅板葺きです。
【境内社】
境内社では、稲田姫ファミリーを祀っています。
写真左=本殿、右=八雲神社
◆八雲神社
祭神:素戔嗚尊=夫神
◆手摩乳神社
(てなづち神社)
祭神:手摩乳命=母神
拝殿に向かって左サイドに鎮座。
◆脚摩乳神社
(あしなづち神社)
祭神:脚摩乳命=父神
拝殿に向かって右サイドに鎮座。
◆大山祇神社
祭神:大山祇命=祖父神
境内の東端に鎮座。
【稲田姫の実像 Ⅰ】
◆稲田姫と血縁神
①両親
「手なづち」を分解すると・・・
「な」=「無い」
「つ」=「~の」(国津神などに使われる「つ」)
「ち」=「神霊」
すなわち、手無しの神霊。「足なづち」も同様、足無しの神霊となります。つまり、四肢の無い神霊。これは、蛇を措いては考えられません。両親は蛇神。と、言うことができます。
②祖父
大山祇おおやまつみ
「つ」=「~の」
「み」=「巳」
大いなる山の蛇、となります。祖父も蛇神という見方ができます。
③稲田姫命
”稲田を守護する神”すなわち、稲を荒らすネズミの天敵である蛇(=蛇神)と考えることができます。
祖父、両親、そして、姫自身も蛇と言えるのではないでしょうか。
by『山の神ー易・五行と日本の原始蛇信仰』
吉野裕子(人文書院)
【ご神木】
ご神木はファミリーに寄り添うように聳えます。
◆夫婦杉
本殿の後背地にそびえています。スサノオ&クシナダヒメのメタファーみたいなものです。
◆杉 巨木
手摩乳神社の横です。
◆椎 巨木
脚摩乳神社の背後にそびえます。
【社叢】
◆社叢1
杉巨木の向こうに、本殿を遠望しました。
◆社叢2
かなりの樹齢と思しき巨杉が切り倒され、その残骸がいくつか転がっていました。
【奥宮へ】
境内から北西に約400メートルほどです。
◆境外から見た境内社叢
神社の後背地に広がる鎮守の杜です。
◆紅葉
オレンジ色と黄色に紅葉しています。杉の幹から「ひこばえ」していました。
◆石垣と老木
古びた石垣の上は、梅の木が並んでいました。
【稲田姫の実像 Ⅱ】
◆『櫛田大明神縁起』
(佐賀県神埼市 櫛田宮 所蔵)
この古文書に 櫛稲田姫の凄まじい霊威 が記されています。蒙古襲来時の逸話です
→「われ、異国征罰のため博多に向かう」
①蒙古との戦のさなか
→博多の海に数千万の蛇 が浮かびました。
②戦の3か月後
→博多 櫛田神社に傷を受けた、たくさんの蛇 が現れました。
③お告げ
→「われ、傷を受けたが、蒙古は降伏して国に帰った」 と、お告げがありました。
by『姫神の来歴』高山 貴久子(新潮社)
◆本質
この逸話の真偽を問うことは、枝葉の問題です。
本質は、櫛稲田姫が「異国征伐の神」として古くからあがめられていた事実。国難に際して、「数千万の蛇を使って蒙古を征罰した」と記された古文書が存在する事実。
こうした事実こそが重要なんだろうと思います。
【参道】
◆直線の道
この杉巨木の位置から、山に入っていきます。画面左手に『稲田姫宮神社縁起』に書かれた「三枚田」でしょうか、ひとつが畳1枚くらいの小さな水田×3がありました。
◆神池
この池が、件(くだん)の若者が水を汲みに行った「好井(よしい)」なのか否か。現時点では、清水が湧き出る”好い井”という感じではありませんでした。
◆石段
石段の登攀口に小さな社が祀られていましたが、祭神は不明でした。とても狭い石段で、不整地なため、足を踏み外しそうでした。要注意な石段です。
【稲田姫の実像 Ⅲ】
スサノオは、稲田姫を櫛(くし)に変えて自身の髪に挿し、大蛇退治しました。
これは、姫を本性である蛇神に戻して、その霊力を身につける呪術。しかも、古代の櫛とは、形状が放物線状のものが多く、これは蛇の頭部に相似である。
by『日本人の死生観ー蛇 転生する祖先神』 吉野裕子(人文書院)
以上、 《Ⅰ~Ⅲ》 を根拠として
櫛稲田姫は《蛇を眷属とする蛇神》
である、とする説を考えてみました。
【奥の院】
◆覆い殿
「奥の院」という呼称は、神仏習合の名残なのでしょう。しかし、神社なので「奥宮」と呼んでほしいところです。覆い殿の内部には小祠。
◆覆い殿&巨岩
その名は「太鼓岩」。社殿の隣なので、大きさが分かるかと思います。直径は約3メートル。
◆磐座?
この巨岩に、稲田姫が降臨したと伝えられています。しかし・・・、そうは言うものの、この岩には、注連縄や紙垂が皆無でした。
「奥の院」参拝後は、当該日最後の訪問地である「常陸國總社宮」を目指し、急ぎ稲田駅に向かいました。
【御朱印】
参道石段の手前に右側に宮司さん宅があり、御朱印はこちらで拝受します。「奥の院」に行くのでしたら、その前に御朱印を拝受しましょう。
→電車利用の場合、一之鳥居~宮司さん宅で御朱印拝受~拝殿~本殿~境内社~奥の院~稲田駅という順路でしょうか。
【参拝ルート】
2018年10月30日
START=JR常磐線・水戸駅~徒歩~水戸駅北口バスターミナル→茨城交通バス・那珂湊行き→大洗神社前バス停~40m~①神磯の鳥居~40m~②大洗磯前神社~徒歩~大洗ホテル前バス停→茨城交通バス→JR・水戸駅→JR常磐線+JR水戸線→稲田駅~1km~ ③稲田神社 ~400m~ ④稲田神社・奥の院 ~1.1km~稲田駅→JR水戸線+JR常磐線→石岡駅~1.1km~⑤常陸國總社宮~徒歩~石岡駅→JR常磐線=GOAL
【編集後記】
◆ご神気に溢れる境内
短い時間でしたが、御朱印拝受の際、宮司さんの奥様と話すことができました。境内の大木が倒壊したときの話をしてくれました。1度は本殿近く、もう1度は八雲神社の近く。2度とも、社殿を避けて倒壊したのだそうです。「よくこんな狭いところを選んで倒れてくれた」と、関係諸氏は御祭神のご神威に鳥肌が立ったそうです。
◆出雲系神社
稲田神社の周辺には、出雲系の神社が数多く鎮座します。主だったところでも、佐志能神社、鴨大神御子神主玉神社、大国玉神社、など。これらは、1,000年以上続く式内社であり、出雲系神社です。また、すべて、JR水戸線の沿線(=茨城県・内陸部)に鎮座しています。
◆常陸国=天津神というイメージ
常陸国は、鹿島神宮の存在が大きく、天津神系が強い地域という、個人的なイメージがありました。しかし、上記のように、どうもそうではありません。今回巡った3つの神社では、大洗磯前神社と稲田神社が出雲系です。 (了)