《麻賀多 全18社の総本社》
麻賀多神社 (まかた神社)
2018年 8月20日、旧・下総國印旛郡の式内社「麻賀多神社」の里宮と奥宮を参拝しました。
◇鎮座地:千葉県成田市台方字稷山(あわやま)1番地
◇最寄駅:京成線「公津の杜」駅
→コミュニティバス「麻賀多神社前」
◇御祭神:稚産霊命
(わくむすひのみこと)
◇御朱印:あり→毎月1日と15日のみ拝受可能。
※麻賀多神社は、千葉県・印旛沼(いんばぬま)の東側から南にかけての地域にだけ存在する珍しい神社で、その数わずか18社。今回は、”ALL 麻賀多”18社の総本社である、成田市台方に鎮座する麻賀多神社です。
【表参道】
◎麻賀多は、「まがた」でなく 「まかた」と 読むべきかもしれません。例えば、上賀茂神社の「賀茂」は、「がも」でなく「かも」です。伊勢神宮の「多賀宮」も「たが」ではなく、「たか」です。
◆社頭
~この鳥居は、「二之鳥居」です。鳥居の両サイドにそびえる杉巨木が雰囲気を作っています。ちなみに、一之鳥居は西に1kmほど離れた、印旛沼の湖畔に立っています。
◆社号標
~この「正面玄関」からは、歴史だけでなく、神秘性をも感じます。鳥居の額束部分には、十六弁菊を奉じていました。
◆手水舎
~簡素な手水舎。浄めの水は、とめどなく湧き出ていました。手水舎の造りとか彫刻は、言わば枝葉末節な問題です。大事なことは・・・。
大事なことは、《水の供給》です。
神社が参拝者をどのように浄めようとしているか、これこそが本質だと思います。
◆石段PART1
~20段ほど上がると広いスペースに出ます。左手に社務所、右手に納札所。さらには、嬉しいことに祓戸社もありました。
《麻賀多神社の参拝者浄化システム》 と、三諸が勝手に名付けました。
ー表参道ー
①杉巨木の間をくぐる=鳥居をくぐる=俗世界から神域に入る
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②手水舎で禊(みそぎ)=聖なる水で心身を清める
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③石段(part1)を上がる=禊をすませて、拝殿に接近する
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④祓戸社で祓(はらえ)=祓戸大神の力で罪やケガレを除去する
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⑤石段(part2)を上がる=禊と祓をすませて、さらに拝殿に近づく
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参拝者は、清澄な心身にて拝殿の前に立つことができる
麻賀多神社は、このような《清浄化プロセス》を作ってくれているのです。これにより、筆者は清々しい気持ちで、神さまと向き合うことができました。
→筆者が参拝した千葉県の神社の中では、検見川神社、小御門神社、櫻木神社、麻賀多神社(奥宮)、が禊と祓を終えてから、拝殿に向かう形になっていました。
◆祓戸社
御祭神:祓戸大神=瀬織津姫、気吹戸主、速秋津姫、速佐須良姫
~「災厄、汚穢、罪障などを解除するため お祈りする所です」との高札がありました。境内に、祓戸 or 祓所を見つけると、個人的には気分が高揚し、心身が引き締まります。
杉古木を「守護霊」のような格好にして、鎮座しています。また、社の背後に見えるスロープは、2か所の石段をスルーできるバリアフリーの参道です。参拝者への配慮が素晴らしい!
◆石段PART2
~禊と祓を済ませ、美しい拝殿を眺めながら石段を上る。気分は、爽快このうえなし!です。
◆麻賀多神社の分布
~印旛沼周辺の神社は、鳥見、宗像、麻賀多、以上3社に特徴的な分布が見られます。
昔の印旛沼は、右上方向に進む蛇のような形をしていました。印旛沼=蛇として、神社分布を蛇の部位にたとえると、頭部分=鳥見神社、背の部分=宗像神社、腹の部分=麻賀多神社。ザックリ言うとこんな感じになります。
【社殿】
◆拝殿
~木の香が漂っていて、まだ再建して間もないような、そんなピカピカな拝殿でした。
◆棟鬼飾り&懸魚
(上:むねおにかざり、下:けぎょ)
~神紋は、麻の葉です。「この地方は、二千年の昔から、麻の産地として名が通っていた。当時、麻は織物類の原料として貴重品だった。都人が身に着ける衣はこの土地から献上されていた。」このことから、麻葉を神紋とした、とのこと。また、忌部氏との関連も想定できます。
~素木のベージュ色、屋根の淡いレンガ色。そして、白壁。三者が見事に調和しています。
◆本殿
御祭神:稚産霊命
~記紀では、日本の国造りの神、五穀豊穣の神、産業を司る神として記されています。また、天照大神=姉神、豊受大神=子神、経津主命と武甕槌命=弟神。すなわち、伊勢神宮の内宮・外宮、香取神宮、鹿島神宮、といった神さまで作る家族の一員です。
◆瑞垣
~本殿は、1間社流造。千木=内削ぎ、堅魚木=2本。寛文13年(1673年)建立とのこと。
◆本殿懸魚&青モミジ
~派手な彫刻は見当たらず、壁板を重ねただけの壁面。黒&赤という配色も悪くないです。
さて、神気が強いことで有名な麻賀多神社でのご挨拶を終えました。次は、「さらに神気が強い」と言われる、境内社(=2社)に向かいます。
①天日津久神社(あまのひつく神社)
御祭神:天之日月神(あまのひつく神)
~両側には、「露払い」のような恰好で古木がそびえていて、聖なる雰囲気が溢れています。
◆日月神示
~終末世界を告げた「日月神示」を降ろされた御神霊が鎮座します。少し、ウイキを調べてみたところ、御神霊とは、国常立尊らしいです。何やら、いろいろな予言が書かれていました。
~大東亜戦争のさなか、岡本天明という人が、天日津久神社を参拝後、同社・社務所にて神憑りました。そして、”神のお告げ”=「日月神示」の自動書記を始めたそうです。
◆「麻賀多大権現社」へ
~神聖な杉林が広がる、美しい社叢です。
②麻賀多大権現社
御祭神・麻賀多大権現さま
~一見して、古墳!?と見紛うほどの盛土があり、その上に鎮座していました。
こちらの神社も、両脇に古木がそびえます。
◆石祠
~注連縄が張られた、素木の覆い屋。幣と榊で守護された石祠が見えます。
◎天日津久神社&麻賀多大権現社は、「軽い気持ちで参拝してはいけないな」と、参拝者に襟を正させるような、そういう雰囲気を醸し出していました。
【ご神木】
~神気強大な境内社をあとにして、こちらもまた「神気が強い!」と言われる『大杉』に向かいました。
◆大杉
~樹齢1400年超の立派な大杉。「大願成就前には梢より霊光が輝き、神のお告げがある」という言い伝えがあります。つまり、この杉には、神霊が宿っているということです。
「大杉」の周囲をひと回りするための木道が作られていました。
昔から不老長寿を授かるご神木として崇拝され、多くの祈願が「大杉」の下で行なわれたそうです。したがって、長年、人々の願いや思いを受け止め続けている。そういう御神木です。
◆大杉周辺の社叢
~落ち葉が堆積しています。この下は、おそらく腐葉土でしょう。とくに規制がなかったので、歩いてみたところ、感触はふかふかでした。また、御神木の周辺だからでしょうか、空気がとても澄んでいました。
【その他の境内社群】
◆境内社①
~右から左に、猿田彦神社、青麻神社、幸霊神社。
このほか、三峯神社、古峯神社、馬來田郎女神社、印旛國造神社、などもありました。
以上、7社が神木「大杉」への進路を囲む形で鎮座していました。
◆境内社②
~こちらの「天神神社」だけが、上記7社と別エリアに鎮座しています。背後は深遠な森。
【境内点描】4点
◆神輿庫
~拝殿との統一感があります。それは、背後のトイレも同じです。
◆注連縄が張られた石造物
~正体不明物件です。→ブログ仲間からの御教示がありました。これは、石臼でした。
◆神楽殿
~少々、傷んでいますが、拝殿との統一を感じます。
◆社務所
~扉という扉が施錠されていました。窓口には、由緒書と参拝者記録帳が置いてありました。
◆神社名について
~以下のような、起源と名称変更の歴史があります。
①その昔、日本武尊が当地を訪問。杉に鏡を懸け、根元に玉を埋めて伊勢の大神を遥拝。
②3世紀、印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)が①の鏡を神体として稚日霊命を祀る。
③伊都許利命が杉の下から①の玉を掘り、これを神体として和久産巣日神を祀り、「麻賀真(まがたま)の大神」と崇める。
④7世紀、この地に宮居を建て、麻賀多の大宮と名づける。(以上、境内の由緒石碑を要約)
※③が三種の神器=勾玉と同じ音であることを憚り、「真賀多」に改称。さらに、この辺り一帯が麻の産地であることから、真賀多を麻賀多に改称。という説あり。
【御朱印】
~毎月、1日と15日に宮司さんが来ます。この2日間のみ拝受可能です。
【参拝ルート】 2018年 8月20日
START=京成線「公津の杜駅」~徒歩50m~成田市営コミュニティバス・北須賀ルート「公津の杜・バス停」→バス(15分)→「麻賀多神社前・バス停」~徒歩40m~①『麻賀多神社』(里宮)~徒歩1.2km~②『麻賀多神社』(奥宮)&③『伊都許利命墳墓』~徒歩1.1km~千葉交通「消防署前・バス停」→バス(6分)→「成田駅西口・バス停」~徒歩400m~京成線「京成成田駅」=GOAL
【編集後記】
◆神秘的な麻賀多神社
~麻賀多神社は、聖性が強かったのは言うまでもありませんが、それ以上に 神秘的な雰囲気が強い神社 と、そういう印象を強く持ちました。この日、雨雲レーダーによれば、成田上空は雨雲がびっしり。しかも、平日&不便な場所。それゆえに、人っ子ひとり来訪しておりませんでした。神秘の神社を独り占め、最高の気分でした。
◎次は、本社をあとにして、北に向かいます。
行く先は、船形の麻賀多神社=『奥宮』です。田園地帯をノンビリと、1kmほど歩きました。(了)