中山神社 

別称:中氷川神社、氷川簸王子神社

 当社の核心は、《アラハバキ神&火渡り神事》です。

◇鎮座地:埼玉県さいたま市見沼区中川143番地

◇最寄駅1:JR大宮駅・東口

 →国際興業バス・中川循環→中山神社バス停

◇最寄駅2:東武アーバンパークライン・岩槻駅

 →国際興業バス・大宮駅行→中山神社バス停

◇御祭神:大己貴命

◇御朱印:あり(キホン書置きです)

 

 

◇中山神社の特徴◇

①アラハバキ神

②火渡り神事

 

 

 

【表参道】

◆一之鳥居

「中山神社」バス停を下車したら、拝殿と逆方向に160mほど進みます。鳥居は、鉄骨で補強されています。

 

 

◆「中山神社」バス停

 一之鳥居から二之鳥居に向かいます。来た道を引き返し、県道を横断します。

 

 

◆趣ある表参道

 県道を渡ると、両側は樹木に覆われた道となり、参道らしさ溢れる景色が続きます。

 

 

◆二之鳥居

 一之鳥居から、この地点まで約260m。緑の参道をたっぷりと味わいました。

 

 

◆手水舎

 二之鳥居を潜った左手にあります。かなり、地味な手水舎です。

 

 

 

◆狛犬と常夜燈

 どちらも意外に大きいです。台座を含めると、2m50cmくらいの高さでしょうか。

 

 

◆御祭神と社号

 古くは、氷川社と称し、大己貴命を祀っていました。

また、大宮・氷川神社と浦和・氷川女體神社の中間に鎮座するため、中氷川神社とも呼ばれました。そして、明治時代末期に現社名である中山神社へと変更しました。

 

 

 

【社殿】

◆拝殿正面

 向背の真っ赤な柱が特徴的です。

 

◆注連縄

 こちらの神社の注連縄は、3本の房?がついているパターンです。

 

 

◆八雲

 神額「氷川神社」と紋幕「八雲」、さらには、壁代(かべしろ)にも「八雲」の紋様です。

 

◆絵馬

 大絵馬。なんらかの神事を描写しているのでしょうが、何やらさっぱり分かりません。

 

 

◆神具

 榊やそこに下がる神具、錦の御簾など、いくつかの聖なる物品。

 

 

◆特徴的な赤色

 柱が赤く塗られているのは、神事「鎮火祭」の炎を暗喩しているのでしょうか。

 

 

 

◆本殿と瑞垣①

 拝殿に向かって右側から裏へ進みます。瑞垣の屋根は、ターコイズ・ブルー!

 

 

◆本殿と瑞垣②

 本殿裏手。千木や鰹木も含め、本殿の姿は、こちらがもっとも見やすい位置でしょうか。

 

 

◆旧・本殿

 覆い屋内に鎮座します。奥に向かって、拝殿→本殿→旧本殿と並びます。

 

 旧本殿は、社殿前に階段を設け、屋根の軒を前方に伸ばしています。本格的な「流れ造」への過渡期的な建築物になっている、とのことです。

 

 

◆武蔵國の氷川神社群

 大宮を中心とする氷川神社群(氷川神社、中氷川神社、氷川女體神社)に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めた神社群はオリオン座の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川と見立てれば、「地上に天空を映している」とも言われています。

 

 

 【御火塚と鎮火祭】 

◆御火塚

 かつては、境内で伝統神事「鎮火祭」が執り行われていました。それが、1981年から中断していました。以降、境内の「御火塚」が往時を偲ばせるにすぎませんでした。

 

しかし、2007年、「鎮火祭」は、偉大なる復活を遂げました。

 

 

◆鎮火祭

 ひとこで言えば「火渡り」の儀式です。まず、この場所に神様が降臨する神籬(ひもろぎ)をしつらえます。神職が祝詞を奏上して、神事がスタート。薪を一気に燃やします。そして、燃跡を平坦にならし、塩で清めます。参列者がそこを渡り、無病息災を祈願します。

 

 ※こちらの地名は、中川です。鎮火祭の炎によって、「中氷川」の氷が溶けてしまったため、中川と呼ぶようになったそうです。

 

 

 

 【荒脛神社】 

(アラハバキ)

 二の鳥居を潜った右手に鎮座しています。

参道内の摂・末社は、道の脇で参道の方を向いているケースが圧倒的に多いのです。参拝者は参道を右折なり、左折なりして社に正対します。しかし、こちらは拝殿や本殿と同じ向き。神社にとって重要な社、という位置づけです。

◆「アラハバキ神は、民間信仰的な神の1柱。この神は不明な点が多く、諸説ある。神社としては、客人神(門客神)として祀られている例が多い」 by ウイキペディア~要約

 

◆「門客人神社」は、武蔵一之宮・氷川神社にもあり、御祭神はアシナヅチ&テナヅチ。

【足無津チ&手無津チ であり、「津」は天津神の津で、意味は「の」。「チ」とは原始的霊格の古語。

つまり、足無しの神霊、手無しの神霊。すなわち、蛇神です。】  

by『山の神ー易・五行と日本の原始蛇信仰ー』(吉野裕子)人文書院

◆追記・・・「ハバキ」の「ハハ」は蛇の古語。「ハハキ」とは「蛇木(ははき)」あるいは「竜樹(ははき)」であり、直立する樹木は蛇に見立てられ、古来祭りの中枢にあった。 

by『日本人の死生観』(吉野裕子)人文書院

 

 →であるならば、

 アシナヅチ、テナヅチ、アラハバキは、蛇神であることにおいて共通します。

また、当社の鳥居に巻き付いているのは、注連縄というより、藁蛇です。→cf.冒頭写真

 

 

 

【境内点描】

◆緑の境内

 大古の昔は、周囲に巨大な見沼(みぬま)があったこと。そして、この深い緑。広大な神域が存在していたことに思いが馳せます。見沼には、龍神伝説がいくつも残っています。よって、龍神や蛇神の棲む沼➡巳沼➡見沼、なのかもしれません。 写真左手には、神楽殿。

 

 

◆見沼とは

 古代の巨大湖沼です。右辺=東武スカイツリーライン、左辺=JR京浜東北線、上辺=東武アーバンパークライン、下辺=JR武蔵野線、によって構成される広大な四角形。かつては、その中の大部分が見沼でした。現在でも、ほんの少し面影が残っています。

 

 

 【見沼(≒巳沼)周辺の氷川三社】

①大宮氷川神社→「門客人神社」=蛇神

②浦和氷川女體神社→「龍神社」=龍神

③中山神社(中氷川社)→「荒脛神社」=蛇神

 この三社は、「スサノオ・ファミリー」を主祭神としています。

と、同時に 三社とも、自社にとって重要な神=龍蛇神を祀っています。》 

 

これは、《巨大湖沼=巳沼》周辺に鎮座する、という地理を踏まえると、先住の龍蛇神を無視することができなかった、ということでしょう。

 

 

 

【境内社】

◆寄せ宮

 「稲田宮主社」はじめ、8社が同居します。

→稲田宮主(イナダノミヤヌシ)とは、アシナヅチとテナヅチ・2神の総称です。by日本書紀

 

 

◆稲荷神社

 奥に社がありますが、鳥居だけアップします。また、「お稲荷さん」は、もう1社ありました。

 

 

 

【御朱印】

 左:通常版

 右:別称ヴァージョン

中山神社は、氷川信仰の御祭神・須佐之男命の息子(=王子)とされる、大己貴命を祀っているため、「簸王子」という別称があります。

 

 

 

【参拝ルート】

2018年 7月31日

START=JR京浜東北線・浦和駅~650m~①調神社~浦和駅→京浜東北線→大宮駅~大宮駅・東口バス停→国際興業バス「中川循環」→中山神社・バス停~160m~ ②中山神社 一之鳥居~300m~中山神社』 ~150m~富士見ヶ丘・バス停→国際興業バス「岩槻駅行き」→岩槻駅→東武アーバンパークライン→八木崎駅~250m~③春日部八幡神社~八木崎駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆アラハバキ神と氷川神社

 この地には、元々、アラハバキ神を祀る人々が先住していました。そこへ、出雲系の武蔵国造一族が移住してきました。もちろん、出雲系の神さまを祀ります。その際、アラハバキ神は、摂社として祀られることになりました。

 武蔵一宮・氷川神社において、アラハバキ神はその摂社からも追われ、アシナヅチ&テナヅチに差し替えられました。

 

◆スサノオ命と氷川神社

 氷川神社は、ご承知のように『延喜式』に掲載されている古社です。そして、スサノオを祀る神社としても有名です。しかし、記録を遡ると、氷川神社の主祭神がスサノオであるという明確な記述は江戸時代までしかたどれないそうです。(了)