2020年 3月24日・更新→2018年 3月、3年ぶりに伊勢を訪れる機会に恵まれました。
伊勢神宮・内宮
皇大神宮
(こうたいじんぐう)
「お伊勢さん」と、親しまれる伊勢神宮は、正式には「神宮」といいます。by公式HP
→ 「神宮」は、神の住まいを意味する普通名詞です。それを固有名詞として使用するところに尋常ならざるものを感じます。
※ギリシア人は、永遠に存続するものと信じて神殿を大理石で建造した。
一方、日本人は伊勢神宮を建立するにしても、20年以上はもたないと知りつつ、いずれは腐ってしまう材料で造った。(by ドナルド・キーン)
しかし、石の神殿は時とともに風化しました。
木と草で造った神殿は、というと
20年ごとの造り替えにより、若々しさが永遠に続きます。
伊勢神宮は、世界で最も古く、しかし、最も新しい《聖地》 なのです。
【参道】
◆宇治橋鳥居
~神々しさの極みです。
◇鎮座地:三重県伊勢市宇治館町1番地
◇最寄駅:「外宮前」バス停→バス10分→「内宮前」バス停
◇御祭神:天照坐皇大御神
(あまてらしますすめおおみかみ)
◇ご神体:八咫鏡
◆木除け杭(きよけくい)
~五十鈴川の上流側に柱が8本建てられています。これは、流木などをブロックして、橋脚を破損から護るためのものです。8本のうち、2本は増水に備えて、河原に建てられています。
◆宇治橋
~年間800万人が渡リます。よって、次の架け替えまでに、床板が8cmもすり減るそうです。橋の全長は101.8m。美しい風景に気をとられ、長さを感じません。
※橋を渡ると、ほぼ全員が右に進みます。
しかし、一度、左に進みましょう。宇治橋の美しさを味わうことができます。
◆御手洗場
~筆者は、内宮では手水舎を使いません。古(いにしえ)からの慣わし通り、五十鈴川で心身を浄化します。
◆二之鳥居
◆四至神
(みやのめぐりのかみ)
~四至神は社殿を持ちません。
「四至」すなわち、 神域の四方の境界を守護する神さま です。
次はいよいよ「正宮」です
【正宮】
古代の伊勢神宮は、民衆を寄せつけない 《大王だけの社》 でした。
~「私幣禁断」すなわち、皇族・臣下を問わず、個人的な参拝祈願は許されませんでした。この禁を破れば島流しとなりました。
つまり、古代伊勢神宮は、天皇と一体のものとして、特別な意味を持った神社だったのです。
→”お伊勢さん”として、庶民に親しまれるようになるのは、江戸時代からです。
◆板垣南御門
~鳥居がついた板垣をくぐり、「外玉垣南御門」(≒拝殿)にて天照坐皇大御神を拝みます。
外宮と同様、こちらも白い絹でできた御幌(みとばり)が下がっています。
何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
→訳文:どなた様がいらっしゃるのか分かりませんが、畏れ多くてありがたくて、涙が溢れ出て止まりません。
これは、西行が神宮を訪れた際に作った歌です。彼は歌人であり、僧侶でした。当時、僧侶は神前まで行けませんでした。西行は、今の二之鳥居付近から遥拝し、この歌を作りました。
神仏習合が極まった江戸時代でさえ、伊勢神宮だけは別次元。僧侶は、五十鈴川対岸の「僧尼拝所」での参拝を強いられました。仏教者は川を越えることができなかったのです。
◆参拝を終えたら、こちらの石段へ
~御正殿は、四重の塀で護られています。内側から順に、瑞垣→内玉垣→外玉垣→板垣。
【荒祭宮へ】
※暗黙のルール
~正宮を参拝した後は、何をおいても荒祭宮にお詣りです。
御正殿に沿った道を進むので、時折、右手に板垣が姿を見せます。
◆板垣西御門
~正宮の横側となる板垣と西御門です。板垣という名称ですが、板どころか重厚な塀です。
◆御稲御倉
(みしねのみくら)
御祭神:御稲御倉神
~神嘗祭に用いるコメの倉庫でもあり、神社でもあります。内宮の所管社です。
◆外幣殿
(げへいでん)
~織り機、手箱、枕、食器、刀、馬具、衣服、鏡、玉、楽器、文具など、神さまの生活必需品が収められている倉庫殿舎です。
緩やかな上りです。画面左から右へと上っていきます。
◆原始の姿
~伊勢神宮の森(宮域林)は立ち入りが制限されており、許可無く森に入れません。2000年に渡って守られてきた神域の森は、原始の姿を今に残しています。
◆板垣北御門
~正宮の真裏です。御稲御倉からだいぶ登ってきました。ここを左折して、石段を下ります。
◆下り石段
※ここを下れば、上りの石段=荒祭宮への参道です。
【荒祭宮】
御祭神:天照坐皇大神の荒魂
~正宮の御祭神は、おだやかな働きの「
◆幄舎(あくしゃ)
~伊勢神宮では、社殿前にテントのような建屋=「幄舎」が建てられています。
幄舎がブラインドになって、社殿正面の美しさが台無しです。幄舎が一番に目立っています。
◆神職の都合による産物
~伊勢神宮の祭祀は、社殿の前庭で斎行するのが基本。幌舎は、雨天の際に濡れないように、と人の都合で造られました。こんなもの、昔はなかったそうです。
◆石段
~この石段は、江戸時代に作られ、明治時代に位置を少し変えました。その際、「(邪魔だけれど)杉はそのまま残す」という決定がなされ、現在に至っています。良いと思います。
◆古殿地 (こでんち)
~小屋がポツンと建っています。遷宮前に御正殿があった場所を示しています。『外宮編』で記したように、遷宮から6ヶ月経過すると、古殿地は「新御敷地(しんみしきち)」と呼ばれるようになります。次に新社殿が立つ予定地という意味です。
※祭神の別名について
~「神道五部書」など、いくつかの古文書が荒魂の別名=瀬織津姫、 と定めているそうです。
また、西宮市にある廣田神社は、主祭神=天照大神荒御魂です。戦前の廣田神社・由緒には、《主祭神=瀬織津姫》と記されていたそうです。
しかし・・・、
荒魂は和魂と表裏一体という認識に基づけば、もしも荒魂が瀬織津姫だとしたら、和魂もまた瀬織津姫でなくては辻褄が合いません。そうなると、天照皇大御神の別名が瀬織津姫、ということになってしまいます。それは、どんなものでしょう。
【風日祈宮へ】
御正宮から荒祭宮と進めば、次は風日祈宮です。
途中、酒や御供え物などを納めた倉を眺めます。
◆左:御酒殿(みさかどの)
◆右:由貴御倉(ゆけのみくら)
~左:古くは、御酒殿で神酒を醸造していました。現在は、三節祭
右:由貴とは、清浄でけがれのないという意味。かつて、由貴御倉では、お供えものや果物などを収納していました。
【風日祈宮】
(かざひのみのみや)
当宮に行くには、表参道・神楽殿の前、南に向かう脇参道を進みます。
◆風日祈宮橋
~昔は、「五十鈴川橋」と呼ばれていました。この橋から見る景色は秀逸で、とくに秋の紅葉が見事です。
◆島路川
~橋から見下ろす、島路川。この先で五十鈴川に合流します。
◆風日祈宮
御祭神:級長津彦命・級長戸辺命
~元は、農耕に適した風雨をもたらす神で、「風神社」と呼ばれる末社でした。しかし、元寇において神風を吹かせ、国難を救ったとして別宮に昇格しました。
◆国難を救う神社
~「元寇」以降、当社は国難に際して日本を救う祈願の対象となりました。朝廷は、幕末にも、攘夷の祈祷を当社で15日間ほど行っています。
風日祈宮での「ご挨拶」を終えたら、休憩を兼ね、静謐な空間にて時を過ごします。
【静謐な空間】
◆清らかなせせらぎ
~このあたりは、表参道から外れた脇道。観光客の姿をあまり見かけない地域です。
◆第3の手水舎
~「禊場」は、表参道の手水舎と御手洗場だけではありません。「境内図」に記載されない手水舎があります。それが、こちら。付近の空気は、きわめて清澄です。
◆もう1つの火除橋
~もう1つの「火除橋」です。せせらぎの岸には、二段構えの石垣。美しく苔むしています。
石垣の上に、斎館の塀が見えます。筆者は、この辺りの静謐な空気感が気に入っています。
◆神楽殿
~この坂道は、神楽殿の側面を見つつ、表参道に途中合流します。
【境内点描】
◆子安神社&大山祇神社
~木華開耶姫命、大山祇神=娘&父が祀られるエリアです。
神宮に「子安神社=木華開耶姫命」が祀られているのは、この姫神が皇統に連なるためかと思われます。天孫・瓊瓊杵尊と木華開耶姫命の子らが神武天皇につながります。
◆饗膳所(きょうぜんしょ)
~神楽殿で御祈祷された際の「直会(なおらい)」の場として使用される簡素美の建屋です。
※直会=神事のあとに催され、「直る=元に戻る=日常に戻る」の意味です。神様に捧げた御神饌と御神酒を神職の方と一緒にいただき、神事の緊張を解き放ちます。
【桜】
神社にとって、桜は華美に過ぎるためか、広大な宮域にごくわずかしかありません。
◆神宮司庁入り口付近
~神宮司庁は、神宮全般の事務を執り行う機関です。
◆宇治橋北詰
~青空・桜・大鳥居、この幸福な組み合わせが、ささやかな感動を呼び起こします。
【御朱印】
~「かたじけなさに 涙こぼるる」 的な心境で拝受いたしました。
【参拝ルート】2018.03.23
START=宇治橋鳥居~宇治橋~神苑~火除橋~一之鳥居~五十鈴川御手洗場 or 手水舎~瀧祭神~二之鳥居~四至神~御正宮~御稲御倉~外幣殿~荒祭宮~御酒殿・由貴御倉~風日祈宮橋~風日祈宮~もう1つの火除橋~御厩~饗膳所~大山祇神社・子安神社~宇治橋=GOAL
【編集後記】
◆宇治橋の擬宝珠
~ラストから2個めの擬宝珠を撫でると、「再び伊勢神宮に来れる」と、伝わっています。
観光客らが嬉々として触るため、この擬宝珠だけ極度に変色しています。
◆おみくじ
~観光客は、伊勢神宮でも「おみくじ」をひきたがります。しかし、ありません。
(神宮の見解)
①おみくじは、日頃から参拝できる身近な神社で引くものである。
②「一生に一度」とされたお伊勢参りをした日が大吉でないわけがない。
などがおみくじを用意しない理由とされています。(了)