戸香取神社 

 

《勝ち運を授ける神社》

 当社は、勝ち運の神様として、スポーツ関係者に広く名を知られた神社です。また、境内にはレア物件=《神道式 墓地》 の一角があって、見学することができます。

◇鎮座地:東京都江東区亀戸3-57-2

◇最寄駅:亀戸駅(JR・東武線)~550m

◇御祭神:経津主神

◇相殿神:武甕槌神、大己貴神

◇御朱印:あり

 

 

【関連図版】

◆左:『名所江戸百景』広重

~「亀戸梅屋舗」

◆右:当社・社号標(筆者撮影)

【図版について】~亀戸梅屋敷は、江戸時代に梅の名所として名を馳せていました。今の亀戸3丁目付近にあったそうです。香取神社と同じ町内です。◇梅の花を注意深く見てみると、ひとつひとつの花の向きが異なっています。◇この版画は、ゴッホが油絵で模写しています。

 

 

 

【参道】

◆一之鳥居

 交通量が多い、蔵前橋通りに面した一之鳥居。ここから、二之鳥居まで商店が続きます。寺院や神社の参道で見かけるタイプとは異なり、郵便局まである、ごくフツーの商店街です。

 

 

◆常夜燈

 一直線の参道に、こうした建造物が点在します。こちらは、二之鳥居の手前にありました。

 

 

◆二の鳥居

 

 

 

 

◆手水舎

 参道の左手に建てられています。

 

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 祭神は、「国譲り」に関係する3柱。アマテラスの全権将軍は、『古事記』がタケミカヅチ(=常陸國・鹿島神宮祭神)。『日本書紀』では、フツヌシ(=下総國・香取神宮祭神)としています。

 『古事記』では、タケミカヅチが「力比べ」した上でオオクニヌシ(=オオナムチ)からの国譲りを成功させたこと。『日本書紀』では、フツヌシが国譲りを達成したこと。などが書かれています。つまり、前者は、天津神が暴力的に国を奪ったことを示唆します。一方、後者は平和裏に事を成し遂げた、ということでしょうか。

 

 

◆拝殿神額

 『江戸名所図会』において、当社は「香取太神宮」として紹介されています。

 

 

◆拝殿軒下

 拝殿の正面扉は、木製が一般的です。一方、こちらはスモーク仕様のガラス扉。拝殿扉としては、どうなのでしょう。筆者は、違和感を覚えました。また、この扉には、オリンピック・メダリストなどのサインが掲示されています。 (2018年 3月 撮)

 

 

◆天水桶

 ガン・ブラックに塗られた天水桶。そして、ツリー型の鉄棒に結ばれた神籤。

 

 

◆本殿

 由緒:西暦665年、中臣鎌足公(*) が東国下向の際、当地に来訪。香取大神を勧請し、太刀ひと振りを納め、旅の安泰を祈りました。これが、創立の起因です (by 香取神社御由緒記)

(*)・・・wiki はじめ、多くのメディアが「藤原鎌足」としています。しかし、これは正確さを欠きます。厳密に言えば、中臣鎌足です。鎌足が危篤状態のときに、天智天皇から大織冠を授けられ、「藤原」姓を賜りました。そして、翌日に逝去。つまり、藤原姓を生きたのは1日だけです。

 記録に残る社殿再建は、1372年が初出です。現社殿は、昭和63年に建立されました。

 

 

 

【境内点描】

◆勝ち石

 巨石の上には、剣が置かれています。当社創建のキッカケとなった、中臣氏が奉納した太刀のレプリカなのか、布都御魂(ふつのみたま)を象ったものなのか。はたまた、単なるオブジェなのか。この石に触れることでパワーを授かりましょう。と、神社は推奨しています。

 

 

◆神道式墓地

 境内には、墓地があります。おごそかな雰囲気が漂ってはいるのですが・・・。

 

 

◆穢れ(ケガレ)

 当たり前ですが、墓には遺骨が入っています。遺骨は、穢れた遺体を変換したものです。穢れの中でも死穢が最上位です。なので、葬式帰りは塩で清めます。穢れを徹底的に嫌う「清浄教」が神道。これをふまえれば、神社に墓があるのは、驚異的なことなのです。 

(参考) 伊勢神宮では、僧侶が神域に入れない時代がありました。僧侶は穢れていると考えられていたからです。

 

 

◆亀が井

 亀戸の地名のもとになった井戸ですが、遺構ではありません。復元されたものです。

 

 

◆お水掛け

 大国主神像と恵比寿神像に水鉢の水をかけ、身体の痛い場所を洗い清めます。

 

 

 

【境内社】

◆全貌

 境内社は、境内の東側。明治通りに背を向ける形で、集中的に展開しています。どの社殿も状態が良く、近年まとめて再建したことが想像できます。

 

 

◆三社殿

 右から、①水神社(水波能女神)、②三峯神社(国常立命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、日本武尊)、③熊野神社(家津御子大神ほか天神地祇13社)

 

 

◆福神社

御祭神:事代主神、大国主神

 社殿は、祭神の総本社の社殿をふまえ、「大社造」風に建立されているようです。

 

 

◆稲足神社

御祭神:面足神、惶根神、金山毘古神、宇賀御魂

 神社名は、荷+面ということかも。

 

 

◆天祖神社(入神明宮)

御祭神:天照大御神

 江東区最古の神社とのこと。昭和63年から香取神社の境内社です。旧地では、石錘(せきすい)と呼ばれる、漁業用の石器が大量出土しています。この辺りが海だったことの証です。

 

 

 

 

【御朱印】

 2019年 2月 7日。御朱印帳への直書きです。

 

 2017年&2018年は、どちらも書置きを拝受しました。ちなみに、東京都江東区は、その昔、下総國・葛飾郡でした。下総國の一之宮は、千葉県香取市に鎮座し、正一位勲一等の神階を持つ『香取神宮』です。

 

 

 

【参拝ルート】2019.02.07

《東武亀戸線で行く神社》

START=東武亀戸線・亀戸水神駅~240m~①『亀戸水神社』~350m~②『亀戸石井神社』~400m~ ③『亀戸香取神社』 ~210m~④『吾嬬神社』~400m~⑤『小村井香取神社』~350m~東武亀戸線・小村井駅→亀戸線→亀戸駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆亀戸と言えば梅

 2018年 3月 7日に撮影しました。拝殿に向かって左手の天水桶のところに咲いています。1本1本の枝には、可憐な花がびっしりとついています。

 

 

◆分布

 香取神社は、主に利根川・江戸川沿いを中心に分布します。南の荒川沿いには氷川神社、それらに挟まれる元荒川沿いには久伊豆神社が分布し、その分布圏は境界を侵すことなく分かれていることが民俗学者・西角井正慶により指摘されています。(by wiki)

 

◆神道式墓地

 墓地=お寺ですが、神社にも墓地があります。めったに目にする機会がありませんので、当社を訪れた際には、見学されてみてはいかがでしょう。手水舎の傍らに竹垣があります。その木戸から入ることができます。神社サイドが施錠しないのは、静かにご見学ください、という意味ではないでしょうか。今回も、そして昨年(2018年)も開錠されていました。

【注意】墓地に入ると穢れます。退出したら、手水舎で身を浄めることをおススメします。(了)