下総國・一之宮
香取神宮 【後編】
今回は、「聖性が強い」と言われる
「奥宮」に向かいます。
【奥宮】
~放たれているパワーが強すぎる、と感じる方も少なくないようです。
*ちなみに、奥宮の御朱印もあります。(2020年・追記)
※それでは、『香取神宮~後編」を順を追って見ていきましょう。
【境内点描】
◆神楽殿
~現在の拝殿が造営される前は、こちらが拝殿でした。
◆三本杉
~右の老杉、木肌に両の掌をあてがうと、 精霊のエネルギー が伝わってきます。
◆正体不明物件
~四方を結界して、その中に砂山を築いています。「立砂」にも似てなくもないのですが、それとは違います。駒木諏訪神社にあった、「浄砂」と同じかもしれません。
◆御饌殿(みけでん)
~神様が集まって、食事する場=食堂みたいなものです。
◆天降神社(あまくだし神社)
御祭神:伊伎志爾保神(いきしにほのかみ)
~伊伎志爾保神は鑰守(かぎもり)の神です。ニギハヤヒが天降った際に随伴した神です。
この神社は、美しい老木たちに囲まれて、ひっそりと鎮座しています。
◆護国神社
~境内にある“向坂の丘(むくさかのおか)”に鎮まっています。当社では、香取市ならびに旧香取郡の戦没者、4,213柱をお祀りしています。
◆要石
地震を未然に防ぐための霊石(=装置)
~石を地中深く差し込んで、ナマズが暴れる(=地震)のを防いでいます。鹿島神宮の要石がナマズの頭を、そして香取のそれが尾をそれぞれ押さえつけています。
◆雨乞塚(あまごい塚)
~奈良時代(=天平4年)の大旱魃の時、この地に祭壇を設けて雨乞いした歴史があります。
【奥宮】
◆神明鳥居
~軽く石段を上がります。
◆古木
~杉の巨木が迎えてくれます。
◆参道
~砂利道の先、突き当りに「奥宮」が見えます。
◆御門つき瑞垣
~木製のシンプルな瑞垣が神殿を包んでいます。
◆本殿守護
~扉を施錠し、さらに榊が護ります。
◆ご本殿
御祭神:経津主大神の 荒御魂
~奥宮の社殿は、昭和四十八年『伊勢神宮 御遷宮』の折の古材を拝領して造営しました。
◆本殿裏手
~本殿裏は、竹林になっています。
奥宮を出て、次に向かうは『浜鳥居』。二の鳥居から再び自転車を使って、2~3km走ります。そこは、利根川の河岸です。
【鳥居河岸】とりいいがし
*別名=津宮浜鳥居(つのみやはまとりい)
~経津主大神は、海路この地点から上陸されたと伝えられています。このあたりは、その昔「香取ヶ浦」と呼ばれる海でした。鳥居も水中に建っていたため「浜鳥居」と呼ばれました
かつて、海と川を経て、こちらに上陸した参拝者たち。彼らが辿った道を順次見ていきます。
◆常夜燈
~高さは2.8mです。昼につけ、夜につけ、利根川を行き交う船の目印となりました。
鳥居をくぐり、土手を下って 『香取神宮』 へと向かう「旧・表参道」に入ります。
◆忍男神社(おしお神社)
御祭神:伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
~「おしお」は、「御潮」からきているのでしょうか。海を連想させる社号です。一の鳥居。
◆二の鳥居と玉垣
~別名=「東の宮」 古くは、こちらの神社で「夏越の祓」を行っていた、との伝承があります。
◆董橋(ただすばし)
~例幣使* が参向した際は、この橋の下で身体を清めてから向かったと言われています。
橋名の由来は、ここに衛兵の見張り所があり、通行者を《正して》いたことによるそうです。
*例幣使・・・朝廷から神社への奉納物を届けるために遣わされた勅使のこと。
◆鹿苑
~鹿島・タケミカヅチだけでなく、香取・フツヌシも鹿に乗って奈良まで飛んでいきました。
◆桜の馬場
~明るい森です。かつてはこちらで流鏑馬の神事が行われていました。今では、春の桜、秋の紅葉といった名勝地になっているようです。
桜馬場を越え、「北参道」から本殿の裏手に向かいます。
【境内社】
◆鹿島新宮
御祭神:武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
~香取神宮のオーラス写真は鹿島神宮につなぐ意味をこめて『鹿島新宮』にしました。
【御朱印帳】
~前編では、御朱印をアップしたので、こちらでは御朱印帳をご紹介します。この形状の雲or霞は、葛飾北斎の版画に頻出します。
【参拝ルート】
START=JR成田線「佐原駅」~徒歩~①「佐原観光協会」~自転車~②『諏訪神社』~自転車~ ③『香取神宮』~自転車~④境外摂社「忍男神社」~自転車~⑤『津宮~浜鳥居(利根川河岸)~自転車 ~⑥「佐原の歴史的街並み」~自転車~⑦「佐原観光協会」~徒歩~⑧JR成田線「佐原駅」=GOAL
【ひとこと】
◆祭神=経津主(ふつぬし)
~「フツ」とは刀剣の鋭い様を表した言葉といわれています。これに関連する「フツノミタマ」という神剣は、物部氏の氏神「石上神宮」に祀られています。物部氏は、神剣フツノミタマを奉じて各地を征討しました。結果、各地でフツノミタマを神格化したフツヌシが祀られました。忌部氏による『古語拾遺』によれば、祭祀氏族(香取氏)の本源は、物部氏であったとしています。
◆経津主の別名
伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)
~イハヒヌシ」とは「祭事の執行者」を意味する神名と推測されます。このことから、「鹿島=朝廷の神」に対する「香取=在地の神(=奉仕する神)」という、伊勢神宮の内宮・外宮に似た祭祀構造も指摘されます。また、神祀りは女の仕事なので、祭神を女神とする見方もあります。
◆藤原氏の影
~藤原氏が中央で成り上がりました。自らに都合の良い『記紀』を作り上げる過程において、権威づけを目的として、関東の(=物部氏の)鹿島と香取を力で奪い取ったという説があります。さらには、蝦夷征伐。これは、東の豪族に東の「野蛮な」蝦夷を討たせる。つまり、「東をもって東を制す」策に出て、東国全体のパワーを削いだ。という説もあります。それを監視するための香取神宮だ、と。 (了)