五條天神社 

(ごじょうてんじんしゃ)

 元来、社号の天神は天つ神(あまつかみ)を意味し、菅原道真を祀る天神(てんじん)信仰とは別物でした。

 しかし、江戸時代から菅公を祀るようになりました。その理由は、本文にて。

◇鎮座地:東京都台東区上野公園4-17

◇最寄駅:上野駅、京成上野駅

◇主祭神:大己貴命、少彦名命

◇相殿神:菅原道真公

◇御朱印:あり

 

 

 

【表参道】

◆大鳥居

 京成上野駅を出発し、上野公園の清水観音堂を経て坂道を下るルート。また、上野公園と不忍池の狭間を通る「動物園通り」から、坂道を上るルートがあります。

 

 

◆社号について

 『五條天神社』は、同名の神社が京都にあります。

あちらは、元々「天使社」とか「天使の宮」と呼ばれていた神社でした。後鳥羽上皇の時代に「五條天神宮」と改称しました。「てんじん」でなく「てんしん」と読ませるようです。

 

 

◆京都と当社の関係

 当社の由来には、京都・五條天神社からの勧請・分霊などの記述はありません。したがって、直接的には無関係かと思われます。

 

 しかし、当社が鎮座する上野山は、京都を意識した部分が多々あります。以前、書いたことの繰り返しになりますが、少し書きます。

 例えば、寛永寺。寛永年間に建てられた寺院で、年号を社号にしています。これは、延暦年間に建てられた延暦寺を意識しています。山号を東叡山としたのも「東の比叡山」という意味合いからです。また、不忍池は琵琶湖。弁天島は竹生島にそれぞれ見立てられています。また、清水寺を模した清水観音堂には、小さいながらも「清水の舞台」まであります。

 

 このように、「京都趣味」に溢れる上野山です。したがって、当社の社号が京都・五條天神社を意識して命名された可能性を否定できないと思います。

 

 

◆手水舎

 形状は、変八角形です。

 

 

◆屋根の鳳凰飾り

  神田明神・手水舎の上方にもこちらとほぼ同じ意匠、同じ顔の鳳凰がいます。

 

 

コロナ以前は、柄杓が並んでいました。今は、ご覧の通りです。

 

 

◆拝殿を遠望

 賽銭箱の位置をご覧ください。かなり手前です。ほぼ「遥拝」な感じです。

祭神は、薬祖神としての少彦名命。これは、京都・五條天神社と同じ。当社は、ほかに大己貴命も主祭神として祀っています。

 

 

◆由緒

 社伝によれば、日本武尊が東征のおりに大己貴命と少彦名命を忍が岡(=上野の旧名)に祀ったものとされています。

 

 

◆記録

『北国紀行』に文明18年(1486年)「五條天神」関連の記述がある、とのこと。したがって、室町時代中期には既に忍ケ岡に鎮座していたことになります。

 

江戸時代は、寛永寺の拡張の度に社地の移転を余儀なくされたようです。

 

 

 

【菅原道真の合祀】

 菅原道真公は、江戸時代・寛永18年(1641年)に相殿神として合祀されました。

相殿神とは、創建時から時を経てたのち、合祀された祭神のことです。

 

 ◇安易な合祀理由

  →社名が「天神」なのだから、「菅原道真公の像がなくては・・・」と、偶像を設置。

 

 ◇僧侶が合祀した

  →菅公像は、幕府の宗教顧問=僧・天海によって《開眼供養》されました。仏教儀式を経て相殿神を迎える・・・。なんとアクロバティックな合祀なのでしょう。

 近隣庶民は「下谷天満宮」とも呼んでいたようです。

 

 

◆神職

 ご祈祷を終え、社務所に戻ろうとする神職。(2017撮影)

 

 

◆天水桶

 所詮、防火用水として雨水を溜め置く器にすぎません。しかし、鳥獣被害からプロテクトしています。

胴体には梅紋。

 

 

 

【境内点描】

◆神楽殿

 

 

◆神輿庫

 当社は、”千貫神輿”と呼ばれる大神輿を保有しています。

毎年5月25日は例大祭です。3年に1度、千貫神輿の渡御があります。上野公園一帯を鳳輦と共に、猿田彦や巫女舞などの大行列となって巡幸する祭典です。

 

 

◆社務所・授与所

 

 

◆末社 「七福社」

 上野の繁栄を願い、寛永寺の各門に祀られた祠の1つと言われています。(2017撮影)

 

 

◆神職住宅

 2017年の記事では、参集殿or客殿?と書きました。

今回、授与所でお尋ねしたところ、「旧・神職住宅」とのことでした。

 

 

 

 

 

 

 

【西参道】

 表参道は石段を下りました。一方、こちらは石段を上ります。

個人的には、西参道の方が好きです。

 

 

◆五條橋

 この橋の名は、京都・五条通の鴨川に架けられた「五条大橋」を想起させます。京都のそれは、牛若丸(=源 義経)と弁慶が出会った橋として知られています。

 

 

◆西の鳥居

 橋を渡ったら、鳥居です。連続して、結界を越えていきます。正面は手水舎。

 

 

 

【御朱印】

初穂料500円。手書きされるのは、数字部分のみです。

 

 

 

 

【参拝ルート】

2022年 2月 8日

START=上野公園・黒門跡(=人工滝)~500m~東照宮・大鳥居~参道150m~①東照宮~230m②花園稲荷神社&穴稲荷神社~(隣接)~ ③五條天神社 ~700m~④境 稲荷神社&弁慶鏡ヶ井戸~550m~台東区循環バス・水上音楽堂前バス停→(めぐりん東西ルート)→浅草駅前バス停→無料乗り継ぎ→(めぐりん北ルート:浅草回り)→今戸2丁目バス停~200m~⑤熱田神社~600m~⑥浅間神社~850m~鷲神社バス停→(めぐりん北ルート:根岸回り)→下谷3丁目バス停~60m~⑦三島神社~500m~東京メトロ日比谷線・入谷駅=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆参道について

①五條天神社は、花園稲荷神社と境内がつながっています。

②よって、4本ある参道はどれも両社への参道、と言えます。

③ただ、社殿への近さを考えると、以下のような仕分けができるかと思われます。

 

 ◇五條天神:南参道1(=表参道)、西参道(=五條橋)

 ◇花園稲荷:南参道2(=表参道)、東参道(=千本鳥居)

 

 
◆上野山の今
 江戸時代の上野は、寛永寺をはじめ、神社仏閣がいくつもある、徳川に縁の「聖なる地域」でした。しかし、明治政府に変わってからその性格を変えました。今は、博物館、美術館、音楽ホール、動物園、水族館などが立ち並ぶ「文化的な地域」となっています。(了)