初音森神社 (はつねもり)
《拝殿と本殿の距離が1km》
当社は、拝殿の最寄り駅が浅草橋。本殿は両国駅です。
①儀式殿(拝殿)
◇鎮座地:東京都中央区東日本橋2-27-9
◇最寄駅:浅草橋駅~250m
(JR総武線、都営浅草線)
◇御祭神:豊受比売命(宇迦之御魂神)
◇御朱印:あり
【関連図版】
◆左:『名所江戸百景』広重
~「馬喰町 初音の馬場」
◆右:当社儀式殿・資料室(筆者 撮)
~初音の馬場は1551年の当社の前にOPENした江戸最古の馬場でした。
◆鳥居
~ビルに張り付くように建てられています。
◆ビルの2階
~このような近代的な高層ビルの2階部分に初音森神社「儀式殿」があります。
◆階段(=参道)
~鳥居の下からの眺めです。
◆エントランス
~おみくじが置かれた踊り場を左に折れます。突き当りに鳥居と賽銭箱。入り口は右手です。
◆オブジェ
~馬に縁(ゆかり)ある神社なので、馬のオブジェがありました。
◆正面玄関
~お守り、神札、ご朱印はこちらで対応してくれます。 筆者もこちらで参拝&御朱印拝受。
◆神殿
~御朱印を待つ間に撮影。
【資料館(1階)】
~2018年に新装なったばかりです。
◆御門柱
~どちらの、どのような建造物の門柱なのでしょう?
◆六角神輿
◆境内社
~1階の階段下に鎮座する、稲荷神社。
《移転のこと》
①幕府からの移転命令
~室町時代以来、日本橋馬喰町付近に鎮座していた初音森神社。 江戸時代「明暦の大火」後、関東を治める「郡代屋敷」の建設がこの地に決定。幕府から神社に移転命令が出ました。
②代替地へ
~代替地は隅田川の対岸、下総国葛飾郡の未開地(現在の墨田区千歳=両国地区)でした。両社は直線距離で約1kmです。しかし、その間に隅田川が立ちはだかり、しかも当時、両国橋はまだ架けられておりません。渡し舟による大引越しだったと思われます。
*両国橋とは、武蔵国と下総国の両方の国をつなぐ橋、という意味です。
②ご本殿
◆一之鳥居
◇鎮座地:東京都墨田区2-4-8
◇最寄駅:JR総武線・両国駅~700m
◇御祭神:豊受比売命(宇迦之御魂神)
◇御朱印:あり→儀式殿にて授与
◆両国から日本橋へ執念の復帰
~遷宮後も氏子たちの崇敬は厚く、隅田川を渡って参拝や例祭を行なっていたそうです。そうした不便の中、ついに関係者の宿願がかないました。昭和25年にかつての社殿近くに帰ってこれました。じつに、300年ぶりのことでした。
【御朱印】
~東日本橋の儀式殿で拝受しました。 馬のシルエットを象ったスタンプが押されています。
【参拝ルート】2017.09.21
START:東京メトロ・溜池山王駅~230m~①山王日枝神社~900m~②赤坂氷川神社~750m~東京メトロ・六本木駅→日比谷線→秋葉原駅~乗り換え~JR秋葉原駅→総武線→浅草橋駅~90m~③銀杏岡八幡神社~350m~④(A)初音森神社・拝殿~240m~JR浅草橋駅→総武線→両国駅~700m~ ④(B)初音森神社・本殿 ~200m~⑤江島杉山神社~650m~JR両国駅→総武線→亀戸駅~1km~⑥亀戸天神社~550m~⑦亀戸天祖神社~1km~東京メトロ・押上駅=GOAL
【編集後記】
◆神田川と隅田川
神田川は、武蔵野市「井の頭公園」を出発して隅田川に合流します。合流地点は、両国橋付近。合流直前、神田川に架かる最後の橋が「柳橋」、その1つ手前が「浅草橋」です。
◆馬場
この地に「馬場」があったことなど、現在の街並みから見てまったく想像できません。徳川家康が「関ケ原」に向かう前に、初音の馬場で馬揃えし、軍勢を整えた。という伝承が残っているようです。
◆忠臣蔵も
近所に、『忠臣蔵』の吉良上野介の邸宅跡がありました。突き当りに吉良氏の木像。
右写真:「みしるしの井戸」→この井戸で吉良氏の首を洗った、との伝承。
◆宮司さん
~当社「儀式殿」では、短時間でしたが、宮司さんとお話する機会を持てました。とても感じの良い宮司さんで、楽しいひとときを過ごすことができました。ありがとうございました。 (了)