常陸国 出雲大社
《本殿内陣にカラクリあり》
当社は、島根県の出雲大社から分霊して創建されました。しかし、ある事件を機に、出雲大社との包括関係を解消しました。要は、「ケンカ別れ」です。
そうした問題はさておき、とても美しい神社です。また、内陣の祭神鎮座に特徴があります。
◇鎮座地:茨城県笠間市福原 2001
◇最寄駅:JR水戸線・福原駅~900m
→常磐線&水戸線で上野から2時間
◇主祭神:大国主大神
◇御客座:天之常立神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、神産巣日神、高御産巣日神、天之御中主神→学問的には、この5柱を「別天神」と総称します。
◇御朱印:あり
【注】宇麻志阿斯訶備比古遅神
(うましあしかびひこぢのかみ)
→天地開闢の際に生まれた神。八百万の神に先駆けて、造化三神の次に生まれました。
【参道】
◆龍神像
~龍が胸の前で手を合わせ、宙(そら)を見つめています。この姿には、胸がキュンとします。
◆大鳥居
◆石段
~自然の石を寄せて造った石段です。
◆手水舎
~手水舎の意匠には、本殿との統一を感じます。
◆縁結び
~龍の背が作る空間がハート形に見えなくもないです。「縁結び」は、昔から出雲大社です。
◎国譲り
~古事記によれば、大国主は自らが入る神殿の造営を「国譲り」の条件としました。
アマテラスは条件を飲み、「出雲大社」を造営しました。
しかし、造営されたものの、天津神は甘くなかったのでした。それは、本文にて明らかにします。
【拝殿】
~大国主とは、大国を治める王様という意味です。関東で大国主を祀る神社は、当社のほか埼玉県の武蔵一之宮『氷川神社』や茨城県『大洗磯前神社』などの古社があります。
◆注連縄
~出雲大社と言えば巨大注連縄です。
以下3社の注連縄を比較しました。
◇出雲国出雲大社
→長さ=13.5m、重さ=4.5t
◇常陸国出雲大社
→長さ=16.0m、重さ=6.0t
◇信濃国諏訪大社
→長さ=13.0m、重さ=5.0t
なんと!当社の注連縄が最大でした。
◆注連縄の綯い
一般神社=綯い始めは向かって右、綯い終わりを向かって左。
出雲大社=綯い始めは向かって左、綯い終わりを向かって右。
◎なぜ、綯いが逆なのか
~綯いが逆なのは、出雲が「死者の国」だからです。
死者の装束を「左前」(=逆)にするのと同じ意味です。
◆中央祭壇
~拝礼作法は、「二礼・四拍手・一拝」です。
◎なぜ、四拍手なのか
~それは、出雲が「死者の国」だからです。
「四拍手」=「四」→「死」と読み替えます。
◆拝殿内部
~出雲大社では、「神語」を唱える事により、大国主大神から御霊力を頂く事ができ、幸せの縁を結んで頂けるとのことです。
↑写真上:祭壇に向かって左側
※柱に書かれた、「幸魂奇魂守給幸給」(さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえたまえ)こそが「神語」です。仏教の「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」、キリスト教の「アーメン」のようなものです。
↓写真下:祭壇に向かって右側
◆拝殿内部
・左:大国主大神の木像。掌の上は、少名彦那神。
・右:拝殿内に檜の大木。造営にあたって、伐採しなかったということ。
拝殿での参拝を終えました。
次は、本殿に向かいます。
拝殿だけお参りして、お帰りになる方がいるかもしれません。
しかし、本殿に向かわなければ来訪した意味が半減します。
なぜなら・・・
◆本殿に向かう
【本殿】
◆美しい本殿と瑞垣
~社殿には過剰な彫刻などありません。銅板葺き屋根の緑青、素木瑞垣の薄茶色。息を飲む美しさです。
◆御垣内
~大きめの玉石が敷かれ、鳥居も見えます。石の色は「御白石」ではなく、濃い灰色です。
◆大社造
~大社造を見ると、筆者は男女の交わりを連想します。また、階(きざはし)と屋根は平行になっておりません。
◆本殿の鎮座構造
①御客座五神は、南向き
→参拝者は、客神と正対します。
②主祭神は、西向き
→大国主大神は、参拝者に対してソッポを向いています。
*本殿の南に社殿階段。斎庭をはさんで、その南に拝殿があります。したがって、拝殿において、参拝者は大国主命に正対してご挨拶できません。
ヤマトが出雲大社を変則的な内陣にしたことには、意味があります。
【本殿遥拝所】
大国主命に正対してお参りできる場所も造りましたよ。と、ヤマト政権は出雲大社に「遥拝所」を設けました。もちろん、当社にも設置されています。
~神域の西側。本殿の真横に該当する瑞垣にしつらえてあります。
~遥拝所に着いた参拝者は、「大国主に正対してお参りできる!」と、意気込みます。
しかし、それは・・・
ぬか喜びなのです
◎遥拝所のカラクリ
~もう1度、内陣図をご覧ください。正対できるには、できるのです。しかし、 参拝者と大国主命との間に天津神が割って入り、参拝を五重に邪魔する形 に造られていました。
◎大国主を監視
~客座神は、参拝の邪魔をするだけではありません。五柱とも天津神系です。つまり、出雲大社は、多数の天津神が国津神のトップ=大国主を監視する装置としての意味もあったのです。大国主の「部下」は1柱も祀られておりません。独りぼっちです。
◆裏山から本殿を望む
~本殿裏手の小山に登りました。気が咎めましたが、見下ろし撮影。
◆世界の常識
~征服者が被征服者のために神殿を造営する。世界の常識では、ありえないことです。既に存在する社殿でさえ破壊します。例えば、タリバンが仏像を爆破したように。
なぜ、被征服者のために
新社殿を建てたのでしょう
◆タタリ
~それは、大国主を丁重に祀らないと、怨霊神化してしまうからです。大国主のタタリが怖かった。だから、出雲大社を造営した。と、考えられます。
【境内社】
境内社は、摂社が2社。「龍蛇神社」と「薬神社」です。
◆龍蛇神社
御祭神:龍蛇神
~龍蛇神は、海蛇の神様です。《水に住む龍の信仰》は、火難除け、水難除けの守護神。《地に住む蛇の信仰》は、土地の災難除けの守護神。この2つが融合し、広く家内安全や除災招福などの守護神となっています。
◆参道
◆本殿
~龍蛇は、出雲大社の神の使いです。神無月に全国の八百万の神々が出雲に集います。その際、神々の先導役を務めるのが龍蛇神です。
【御朱印】
【参拝ルート】2017年 9月15日
START=JR常磐線・石岡駅~1.3km~①常陸国総社宮~徒歩~石岡駅→常磐線→友部駅・乗り換え→JR水戸線→福原駅~900m~ ②常陸国出雲大社 ~福原駅→水戸線&常磐線→松戸駅=GOAL
【編集後記】
◆天津神VS国津神
~ヤマトは、「国譲り」の代償として、大国主神のために新社殿を建てました。ただし、支配者が建てるのですから、まともな造りにはしませんでした。
しかも、参拝作法は四拍手。すなわち、「四=死」を使わせるという徹底ぶりでした。
◆当社・波乱の歴史
紆余曲折しています。
①平成4年、出雲大社より分霊
②『出雲大社常陸教会』として創建
③ある一件から、神社本庁&出雲大社と対立
④平成26年9月、出雲大社との包括関係を廃止
⑤単立神社となり『常陸国出雲大社』と改称
◆出雲大社総本社のHP
~同ページを見ると【ご注意ください】と、常陸国出雲大社が無関係な団体であることを大きく注意喚起しています。出雲大社にしてみれば、常陸国出雲大社は敵対的存在なのでしょう。しかし、常陸国出雲大社は、出雲大社総本社の分霊です。祭神構成も同じ。社殿も大社造です。詳しいことは知りませんが、あくまでも人間の都合、もしくは意地の張り合いにしか見えません。どちらも、大国主命を真摯に祀っている神社です。
出雲大社総本社のHPは、「大人げなさ」が際立ちます。(了)