根津神社
《境内社の存在感が際立つ 根津神社》
当社は、日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝わる古社です。
現在地(=根津)に遷座する前は、千駄木に鎮座していました。
◇鎮座地:東京都文京区根津1-28-9
◇最寄駅:根津駅~450m
(東京メトロ千代田線)
◇御祭神:須佐之男命、大山咋命、誉田別命
◇相殿神・大国主命、菅原道真公、
◇御朱印:あり
◇社格等:元・准勅祭社、旧・府社
【表参道】
◆社頭
大鳥居から拝殿までの参道は緩やかに右カーブします。
◆境内図
拝殿と本殿は玉垣で護られ、その形状は「透塀」となっています。
玉垣の門は3か所。唐門(=南門)と西門は参拝者が通行できます。あと1つは本殿真裏(=北門)ですが、こちらは案内図になく、一般人は通れません。
◆楼門
◆楼門と神橋
◆西の神池
池の向う岸は「つつじ苑」です。
◆手水舎
◆唐門
門の内側から撮影してみました。
【社殿】
第五代将軍・徳川綱吉の世継ぎが決定した際に、この社殿を奉建。千駄木の旧社地より遷座しました。世継ぎは、甲府藩主・徳川綱重の子を養子として迎えました。
◆拝殿
赤坂氷川神社の拝殿と当社は「瓜二つ」
◆木鼻
現社地は、甲府藩主の江戸「山手屋敷」を整備。神社として造営しました。
黄金に輝く獏と獅子は、徳川家好みです。
第五代将軍・徳川綱吉には子がありませんでした。これは、生き物を大切にしていないから、と考えました。こうした考えによって「生類憐みの令」が出されました。
◆本殿
◆透塀(本殿裏)
本殿の真裏になります。
◆西門
透塀が連なります。
◆上掲写真と同じ構図の版画
『月の出 根津権現』
笠松紫浪 1932年 木版・紙
以上、観光地的雰囲気が漂う「根津神社」でした。
次は、境内社に向かいます。
境内社は2社。こちらは、根津神社より良い雰囲気だと思います。
【境内社】
根津神社の西側は、丘の中腹に2社が鎮座します。手前には神池。
乙女稲荷神社
祭神:倉稲魂命
◆一之鳥居
西門を出た正面です。
◆千本鳥居
1基10万円で奉納できます。
当社殿は、昭和31年(1956年)に再建されたものです。
◆拝殿
1706年、根津神社がこの地に遷座した後、「つつじが岡」の中腹に穿たれた洞に祀られた社です。古記録には「穴稲荷」とあります。by当社案内板
当社は、霊験あらたかと崇敬者が多く、参道には鳥居の奉納が絶えません。
◆狛狐
◆稲荷宝珠
遺構となった水盤。擬宝珠の上から炎が出ている「稲荷宝珠」
◆見晴らし
拝殿前の舞台からの眺めです。(2017年撮影)
駒込稲荷神社
◇御祭神:稲倉魂命
◇相殿神1:伊弉諾命、伊弉冉尊
◇相殿神2:風神=級長津彦命、級長戸辺命
◇由緒
→言わば、元宮
当地は、徳川綱重(=甲府藩主)の江戸山手屋敷でした。
その邸内社として祀られていたのが当社です。
つまり、当地に元々祀られていたのが、こちらの駒込稲荷神社です。それだからでしょうか、根津神社&境内社の中では、当社がもっとも良い雰囲気でした。
◆玉垣御門
石玉垣には、屋根付き御門がしつらえてあります。
◆木製瑞垣
塞大神
この塞大神、元は中山道と岩槻街道の分岐、すなわち「駒込の追分」地にありました。
邪霊の進入を防ぐ神であり、道行く人を災難から守る神です。
【境内点描】
◆胞衣塚(えな塚)
錆びた鉄門の奥に安置されているものと思われます。(境内図からの推測)
乙女稲荷神社の千本鳥居に最南端から入っていくと、途中に、第6代将軍・家宣の胞衣を埋めた「徳川家宣胞衣塚」があります。
家宣の胞衣を埋めたのは、当地が甲府藩邸だった時、家宣が生まれたことによります。家宣が甲府藩から徳川本宗家に養子入りし、将軍となったことは、先に記した通りです。
※胞衣とは:胎児を包んだ羊膜と胎盤のこと。
◆仏教的なるもの
◆西口鳥居
大鳥居としては、当社唯一の神明系の石鳥居。塗装なし。
◆北口鳥居
表参道と同様、明神系の大鳥居。同一材質・同色塗装。
【御朱印】
初穂料500円
コロナ以降、書き置き対応です。社号はゴム印。
【参拝ルート】
2021年12月 3日
START=東京メトロ千代田線・根津駅~450m~根津神社
【編集後記】
◆つつじの名所
当社の「つつじ苑」は、都内有数の名所です。
亀戸天神の「藤」、湯島天神の「梅」、そして当社「ツツジ」が名物です。
◆谷根千
近年、根津界隈は『谷根千 やねせん』(谷中、根津、千駄木、三地域の総称)と呼ばれて、人気の観光スポットになっています。日本人だけでなく、外国人もかなりやって来ます。コロナ以降、人出はかなり減ったので地元商店の方々は何かと大変でしょうが、神社ブロガーとしてはこのあたり、微妙な気分です。(了)