安房国一之宮 

 安房神社 

(あわ神社)

『延喜式』に記された正式な社号

→安房坐神社(あわにいます神社)

 

 ”千葉県最古の神社” 安房神社。その歴史は、2670年以上に及びます。 by「古語拾遺」

館山に上陸した天冨命。彼が千葉のほぼ全域を開拓後、祖父である天太玉命をお祀りしたのが安房神社の始まりです。

*天玉太命・・・天照大神が天岩戸に隠れた際、大神の出御のために活躍した神です。

◇鎮座地:千葉県館山市大神宮 589

◇最寄駅:JR内房線館山駅

JR関東バス→「安房神社前」バス停~徒歩5分

◇御朱印:あり

◇参拝日:①2019年 5月 5日、②2017年 4月20日

◇社格:延喜式=名神大社、旧社格=官幣大社、神階=正三位 勲八等、安房國一之宮

 

 

 

【参道】

◆神宮橋

 バスを下車すると、すぐに橋が見えます。安房神社・宮司によれば、大昔、この場所は船着き場で、その北側は海だったとのことです。by「房総の古社」菱沼 勇

 

 

神宮橋を渡り、一之鳥居・二之鳥居と続く参道は 全長300mほどです。

 

 

◆一之鳥居

 安房神社は、《上の宮》 と 《下の宮》によって構成されています。

◇忌部の「忌」には、不吉なイメージを持たれる方が少なくないでしょう。本来は、「斎(いつく)」と同義で、「清らか」という意味です。

 「忌」という文字は、仏教の受容によって、意味が変化してしまいました。

 

 

◆総の国(ふさの国)

 忌部・天冨命。館山に上陸し、麻や穀(かじ=梶)を伝えました。当地が麻の生育に適していたので、『総の国』と命名しました。

  「ふさ」=麻を指す古語です。

 

 

◆御手洗池

 参道の右手です。

 

 

◆二之鳥居

 

 

◆神郡(しんぐん・かみのこおり)

 神郡とは、郡全体を特定神社の所領と定めたものです。神社には、徴税権もありました。

『延喜式』によると、神郡を持つ神社は日本全国に7社しかありません。

 

 ①伊勢神宮=伊勢国・度会郡と多気郡

 ②安房坐神社=安房国・安房郡

 ③香取神宮=下総国・香取郡

 ④鹿島神宮=常陸国・鹿島郡

 ⑤熊野坐神社=出雲国・意宇郡

 ⑥日前神社&国懸神社=紀伊国・名草郡

 ⑦宗像大社=筑前国・宗像郡

以上、7社です。

 

 

 

◆手水舎

気持ち良く使うことができました。

海が近いからか、柱に鯛が彫刻されていました。彫刻はこれだけ。スッキリした手水舎です。

 

 

 ◇神聖な植物=「麻」  

 天岩戸神話において、麻は天照大神を岩戸から招き出すための聖具でした。

伊勢神宮のお札は、大麻(たいま・おおぬさ)と呼びます。祓具である大麻(おおぬさ)も麻製です。幣につけられた白い紙は元来、麻で作りました。注連縄も麻縄で作られました。

 

 こうして

 《麻は神が宿る繊維》として、神聖視されました。

 神話&現実世界で、麻に関わることを一手に引き受けたのが、忌部の神&その子孫でした。

by『天皇即位と大嘗祭-徳島阿波忌部の歴史考-』 林 博章

 

 

 

 【上の宮】 

◇主祭神:天太玉命=忌部氏の祖神

 (あめのふとたまのみこと)

 

◇相殿神:天比理刀咩命=主祭神の后神

 (あめのひりとめのみこと)

 

◆拝殿

 吾谷山(あつちやま)の麓、東北に面して建造されています。

*屋根=銅板葺き、鰹木=7本、千木=内削ぎ、社殿はコンクリート造。

 

 

 ◎伊勢神宮で奉斎 

 御祭神=天太玉命は、豊受大御神の相殿神として『外宮』の正殿に祀られています。

→こうした部分にも、忌部氏と皇室の関係には、ただならぬものを感じます。

忌部氏ゆかりの神社なので、注連縄は《麻縄》かもしれません。

 

 

◆相殿神(上の宮)

 忌部五部神 が祀られています。

①櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)

 =出雲忌部の祖→玉を貢納

 

②天日鷲命(あめのひわしのみこと)

 =阿波忌部の祖→麻や木綿(ゆう)を貢納

 

③彦狭知命(ひこさしりのみこと)

 =紀伊忌部の祖→宮殿用木材を貢納

 

④手置帆負命(たおきほおいのみこと)

 =讃岐忌部の祖→竹や盾を納めた

 

⑤天目一箇命(あめのまひとつのみこと)

 =筑紫忌部&伊勢忌部の祖→鍛冶に携わった

 

※忌部五部神とは、神であり職能集団でもあります。

早くから地方移住を命じられ、各地の開拓&産業振興に携わりました。

 

 

 

 

◆香取神宮VS安房坐神社

 前者は、藤原氏と深い関係にあり、後者は安房忌部氏の氏神です。

 

 古代の朝廷祭祀は、中臣と忌部が担当しました。神話でも、中臣祖神=アメノコヤネと忌部祖神=フトタマは祭祀担当でした。しかし、朝廷内で藤原が成り上がったことで、同族の中臣が引き立てられました。結果、藤原政権の扱いは香取>安房。待遇面で差をつけられました。

 

 

◆本殿

 神明造です。伊勢神宮と同様、釘は1本も使われておりません。*屋根=檜皮葺、東側から撮影

 

 

◆渡り廊下

 こちらは、西側から撮影。2つの砂山は『お砂取り』のためのものです。

 

 

◆神饌所

 神様に食事を供する、美しい社殿。渡り廊下によって本殿と結ばれています。

 

 

 

【聖なる水と木】

◆ご神水

 後背地・吾谷山(あつちやま)から湧き出る天然水です。『お水取り』が可能です。

 

 

 

◆ご神木

 槙の古木。大事な根元を踏み固められぬよう、近年、玉垣を巡らせました。良いことです。

 

 

◇大嘗祭と忌部氏

 忌部氏は、ヤマト王権の成立に参画し、宮廷祭祀や祭具製造を担った氏族です。忌部氏は、大嘗祭において、麁服(あらたえ)を皇室に調進します。

 

 麁服とは、大嘗祭において、皇位継承者が天皇霊と一体化する際にまとう聖衣です。

 その素材は、忌部の代名詞である麻です!

 

 

 

 【下の宮】 

◇御祭神:天冨命

 (あめのとみのみこと)

 =天太玉命の孫神。

 →忌部一族を率いて阿波国を出帆。千葉に上陸~開拓した神。

 

◇相殿神:天忍日命

 (あめのおしひのみこと)

 =天太玉命の弟神

 

 

◆石垣と石段

 房神社の中で、《最も 美しい風景》 のひとつ だと思います。

 

 

◆古代的

 本殿の背後に山が迫っているところに、 古代的な雰囲気》 を感じます。

吾谷山は神体山ではありません。しかし、こうした立地環境は、三輪山に抱えられた、狭井神社、檜原神社などを連想します。 ※吾谷山を神体山とする説もあります。

 

 

◆拝殿

 社殿は緑に包まれ、清浄と静寂が漂います。 (屋根=銅板、平入り、鰹木=3本、千木=外削ぎ)

 

 

◆拝殿軒下

 建築様式的には、土間拝殿になるのでしょうか。

 

 

◆幣殿

 妻入りです。

 

 

◆本殿

 

 

◎「下の宮」には、狛犬や社殿彫刻など、過剰なものが一切ありません。

 

 

 

 ◆荒(あら)&和(にぎ) 

 大嘗祭で調進される聖衣は、「麁服(あらたえ)」だけではありません。

三河国から、絹製の「繪服(にぎたえ)」が調進されます。

 

 ちなみに、伊勢神宮の神御衣祭(かんみそさい)では、天照大御神に「荒妙・あらたえ(麻布)」と「和妙・にぎたえ(絹布)」の反物をお供えします。

こうした言葉遣いには、神様の 「荒魂・あらたま」と「和魂・にぎたま」を連想 します。

 

 

 

【斎館】 さいかん

◆斎館への道

 「下の宮」の石段を下り、右手に御手洗池を眺めつつ、道なりに進みます。

「斎館」とは、神職などが神事に携わる前に、心身を清めるため籠る建物です。

 

 

◆斎館

 神職が心身を浄める。これを厳格に遂行するのは大変です。例えばトイレ。用を足し、手を洗った後、「小」の場合は廊下で再度手を清めます。「大」の後は、水か湯を浴びなければならないそうです。

 次に、食事。神様に供する食事と同じように、火鑚臼(ひきりうす)でおこされた「忌火(いみび)=清浄な炎」を使って調理されたものを食べます。

 

このように、斎館はケガレを徹底的に排除し、清らかさを極める場所なのです。

 

 

 

【境内社】

◆厳島社

御祭神:市杵島姫命

 拝殿の手前、左手に海食岸の巨岩があります。それをくり抜いて祠としています。

この巨岩は、古代の磐座(いわくら)であり、祭祀の対象だったとする説があります。

 

 

◆琴平社

御祭神:大物主神

 安房神社は狛犬不在でした。しかし、ごく最近、こちらの琴平社に設置されてしまいました。

 

白壁の建物は、庫裡もしくは祭器庫でしょうか。

 

 

 

【境内点描】

◆お仮屋

 かつて、祭礼の際に近隣から出御した神輿がこちらに入りました。今は、9社一斉入祭は行われておりません。

 

 

◆伊勢神宮遥拝所

 伊勢神宮の方を向いて設置されています。となると、参拝者は、伊勢神宮に尻を向けてしまうような・・・。

 

 

◆社務所

 大正時代の建物です。周辺環境もきちんと整えられていて、清浄感が漂います。

 

 

◆参拝者控え所

 「上の宮」拝殿の手前にある、休憩所です。緑茶の無料サーバーが置かれています。

 

 

◆歴史資料館

 忌部氏は、麻だけではなく「穀(かじ)=梶・楮」も伝えました。穀を繊維にしたものが木綿(ゆう)です。穀が生育した土地をユウキと称し、のちに結城の字が当てられました。

*木綿(ゆう)・・・神聖な繊維で、神事などに使われます。木綿(もめん)とは異なります。

 

 

◆洞窟遺跡

 斎館裏手に、海食洞窟の遺跡があります。1932年に井戸掘削工事の際に発見されました。人骨、貝製の腕輪、石製の丸玉、縄文土器などが出土しました。人骨22体のうち、15体に抜歯(=縄文人の習俗)の痕跡が見られました。この洞窟、現在は埋め戻されています。

 

◆忌部塚

 安房神社では、上記の人骨を忌部一族の遠祖として偲び、忌部塚として祀っています。毎年7月に『忌部塚祭』を執り行っています。 

※洞窟遺跡は、立ち入り禁止。忌部塚は、行きそびれました。

 

 

 

【御朱印】

 左:2019年 5月

 右:2017年 4月

 

 

 

【参拝ルート】

2019年 5月 5日

◆房総・館山の古社を行く

START=JR内房線・館山駅~館山駅前バス停→JR関東バス 安房白浜行→ 「安房神社前」バス停~450m~安房神社一之鳥居~参道~ ①安房國・一之宮『安房神社』 ~「安房神社前」バス停→JR関東バス・館山駅前行→「洲の宮」バス停~徒歩270m~②安房國・二之宮『洲宮神社』~ハイキング~「運動公園前」バス停→JR関東バス・館山駅前行→「館山駅前」バス停~1.5km~③安房國・総社『鶴谷八幡宮』~JR内房線「館山駅」=GOAL

 

 

 

【編集後記】

◆3つの律令制国

 総(ふさ)の国は、「大化の改新」により制定された国郡制によって、3国に分けられました。安房、上総(かみつふさ→かづさ)、下総(しもつふさ→しもうさ)です。

 

◆上総が下に位置し、下総が上 !?

 越前・越中・越後などと同じで、都から見ての距離に応じた呼び名です。都に近い国を「前」とか「上」と呼びました。奈良時代以前の東海道は、海路がメインだった、という前提があります。海路、上陸する房総中部が「上総」、都から遠くなる北部が「下総」となります。

 

◆吾谷山

 斎館の裏手から吾谷山に登れます。写真は、この山の「見晴らし台」から撮影しました。眼下に広がる海の彼方に、忌部氏の故郷=阿波国があります。

 

 

◆麻の葉を神紋とする神社

 左:忌部神社(徳島県)

 中:麻賀多神社(千葉県)

 右:大麻比古神社(徳島県)

 

 

◆聖なる植物

 麻の学術名を御存じでしょうか。

なんと!その名は

 

 「カンナビス」  

 

≒神奈備(かんなび)   (了)