愛宕神社
《桜咲く 西参道》
・ 桜が美しい西参道 から入ります。
・境内には、 太郎坊社 もあります。
当社は、天然地形の山頂に鎮座します。(標高26m)
◇鎮座地:東京都港区愛宕1-5
◇最寄駅:神谷町駅~300m
(東京メトロ日比谷線)
◇主祭神:火産霊命=火の神さま
◇相殿神:罔象女命・大山祇命・日本武尊・将軍地蔵尊・普賢大菩薩・弁財天社
◇御朱印:あり
当社を紹介するメディアは、表参道から始まる記事が溢れています。おなじみ、「出世の石段」からです。
しかし・・・、
この季節は、西参道が美しいのです。
【西参道】
◆愛宕隧道(ずいどう)
愛宕トンネルは、天然の山をくり抜いています。この種のトンネルは、「隧道」と呼ぶそうです。トンネル内は、両側に歩道。1車線の車道は、一方通行です。
「愛宕西参道」は、トンネルに向かって左サイドに石段が造られています。
石段のてっぺんは、頂上ではありません。踊り場です。石段は右に折れてさらに上ります。
西参道には、弱点が1つあります。
それは、道なりに拝殿に向かうと、鳥居をくぐる機会がないこと。
つまり、俗と聖の結界を通過できない、という問題に直面します。
◆頂上
NHK放送博物館&愛宕神社駐車場のところに出ます。このあたりは桜が多い場所です。
◆結界問題の解決策
右手に茶店を見つつ直進。
左に手水舎~拝殿
右が二之鳥居~出世の石段
このような「交差点」に出ます。
ここをいったん右折(=拝殿と逆方向へ)
そうすれば、鳥居を潜れます。
そののち、手水舎に向かえば問題解決です。
◆二之鳥居
「出世の石段」を上りきった場所に、二之鳥居があります。左の屋根は、手水舎。正面は神門の屋根です。(写真は2017年・夏)
◆手水舎
浄水は龍から吐水されます。手水については、なんの問題もありません。
水盤には「洗心」の文字。これは、「(我)洗心」という漢文。「洗フ心ヲ」に返り点をつけて「(我)心を洗う」と読みます。こちらでは、「洗心」を右から書いています。
◆神門
徳川家康は江戸入府以来、町づくりを進めました。1603年征夷大将軍になったタイミングで京都の「愛宕権現」を勧請。江戸を火災から守るため、防火の神さまとして祀りました。
神門から拝殿を遠望してみました。
この神門は常にピカピカです。(2017年・夏の写真)
扉には、徳川の家紋がつけられています。
勧請の経緯をふまえれば納得できます。
※総本社=京都・愛宕神社
京都の「愛宕神社」は、大宝年間(701~704)に、修験道の祖とされる役小角、白山の開祖として知られる泰澄、この両者によって、朝日峰に神廟が建立されたのが始まりです。その後、修験道の道場として信仰を集めました。
【社殿】
◆拝殿
『延喜式神名帳』に「阿多古神社」の記載があります。これは亀岡市の愛宕神社を指すと考えられています。
しかし、当社は、上記の式内社を勧請したのではありません。
当社は、京都のお寺さんの勧請ということになります。
現在、京都の総本社では、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵、奥の院には、天狗の太郎坊が祀られています。
当社でも、勝軍地蔵と太郎坊を祀っています。
と、このように、当社は神仏習合が現代に息づく神社と言えるでしょう。
◆オーブ
軒下にオーブ(聖なる光)が出ています。
賽銭箱にも「三つ葉葵」です。
◆本殿
愛宕勝軍地蔵が祀られています。
お地蔵さん。すなわち、仏像です。
~徳川家康が天下取りを祈願した神仏のひとつに、愛宕勝軍地蔵があります。地蔵は、京都の愛宕権現の本地仏(=神道の神になる前の本来の姿)で、戦国武将たちから「戦勝の軍神」として崇敬されました。
愛宕神社に祀られている、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)別名・火産霊神(ほむすびのかみ)は、中世以来、京都の防火・防災の神として、その名は全国に知れ渡っていました。
【境内社】
①太郎坊社
御祭神:猿田彦神
太郎坊とは、京都・愛宕神社の「奥の院」に祀られている天狗を指します。
こちらでは、天狗=猿田彦ということです。
太郎坊社は、境内末社とはいえ、京都での位置づけを考えれば、ほぼ摂社と考えてよいでしょう。当社とは密接な関係にある、天狗さんです。
◆太郎坊と雨乞い
京都・愛宕神社には、雨乞いの伝承があります。干ばつの際、愛宕山に登り、太郎坊天狗の硯石の上に溜まった水を汚れた柄杓でかき回す。すると、天狗が激怒して雨を降らすそうです。注意点は、登山道を使わず、道なき道をよじ登ることだそうです。
②愛宕弁財天舎
御祭神:市杵島姫命
祭神は、日本古来の神「宗像三女神」の中の1柱です。神仏習合がフツーのことだった江戸時代の鎮座ですので、弁財天と市杵島姫の同一視です。
◆炎と水
当社の主祭神は、《火の神》火産霊命です。また、《水の神》罔象女命も配祀されています。
つまり、 炎と水の神さまを祀る ことで、火災を伏せるための装置としての役割を期待されたのかもしれません。
神紋は、ミツウロコと波。水神宮などで、よく見かける神紋です。
③大黒天社
御祭神:大國主命・事代主命
~写真は割愛します。
④福寿稲荷神社
御祭神:宇迦之魂命
太郎坊社の写真片隅に映っています。
【境内点描】
◆神池
小さな小さな滝から清冽な水が流れ落ちています。
◆絵馬掛け&石祠
拝殿前の斎庭、左手です。石祠は、正体不明です。
◆招き石
高札を見ると、古来からのものではなく、近年の奉納のようです。
参拝を終え、表参道から帰路につきます。
往路は、西参道でしたので、復路は表参道を使うことにします。
【表参道】
◆出世の石段
急峻な八十六段。ここを馬で駆け上がったサムライが伝説化しています。直近の成功例は、1982年。『史実に挑戦』と銘打ったテレビ特番において、安全策を施した馬術のスタントマンが32秒で登頂しました。
◆狛犬
質感から、石でなくブロンズのようです。
【ご朱印】
~左:2019年、右:2017年 です。
【参拝ルート】2017.12
START=東京メトロ銀座線・虎ノ門駅~徒歩~①『虎ノ門 金刀比羅宮』~徒歩~ ②『愛宕神社』 ~徒歩~③『芝大神宮』~徒歩~浜松町駅→JR山手線&東京メトロ丸の内線→後楽園駅~徒歩~④『小石川大神宮』~徒歩~後楽園駅→東京メトロ南北線・飯田橋駅~徒歩~⑤『東京大神宮』~徒歩~東京メトロ・飯田橋駅=GOAL
【編集後記】
◆火事
~江戸時代、「大火」と呼ばれた大延焼事件が何回かありました。火事は現代でも怖いです。しかし、当時は今以上に恐れられていました。なぜなら、住まいが主に紙と木でできていたからです。したがって、ひとたび火災が発生すると、たちどころに燃え広がりました。「愛宕神社」が崇敬を受けた背景には、火事を恐れる人々の切実な思いが重なっていたのです。
◆『名所江戸百景』広重
~「芝 愛宕山」
【図版について】
手には、巨大しゃもじ、腰にスリコギ。ザルに御幣を立て、橙(だいだい)に「うら白」を挟んで兜として被る。さらに、素襖(すおう)と昆布の錣(しころ)を着け、肩には幣束。男は、この姿で山麓の別当寺に乗り込み、山盛りご飯を僧侶に無理強いする儀式=「強飯式(ごうはんしき)」 を終えました。そして、意気揚々と愛宕神社に帰ってきた図です。
◆西郷と勝海舟
~明治元年(1868) 3月13日、官軍が江戸城総攻撃を予定していた直前、幕府の勝海舟が官軍の西郷隆盛を誘って愛宕山に登った記録が残されています。ここから、江戸市中を眺めつつ、江戸城を無血開城する意思を確認し合ったそうです。 (了)