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こんな仕事をしていると嫌でも人の最期を看取る事がある
日常茶飯事とまではいかないけどそれは度々やって来る

今の病院に勤め出して半年過ぎた
何人送っただろう?
結構いたよな真顔


みんなそれぞれに歩いて来た人生がある
一緒に歩いた伴侶 残した子供




こんな話があった



その人がまだ元気な時、穏やかな人となりで昭和世代の男子らしく少々のお酒とタバコを嗜む普通の男性で良き父親、良き夫


仕事もそこそこ順調で夫婦2人で働いてマイホームを購入して二人の子供も独立し、

巣立って行き、やっと夫婦2人の穏やかな生活を楽しもうとした矢先の出来事だった


それまではなんともなかった足取りがおぼつかなくなり、家の中で転倒が増え、手にも痺れを感じ、小さな物が掴めなくなる


流石に異変を感じて病院に行き、検査をしたところ神経の病に侵されている事がわかった。


家庭での生活が難しくなって入院を余儀なくされた


入院当初はまだ手足は動いていたし会話も出来たし何より細かい事が好きで籐手芸を器用に編んではスタッフにカゴやらペン立てを作ってはプレゼントしていた🎁

入院生活も長くなっていくにつれ、歩けていた日々がいつしか歩けなくなり、ご飯を食べてむせるようになり、誤嚥性肺炎を引き起こす


肺炎になる度に失っていってしまう体の機能


歩けなくなり、話せなくなり、食べれなくなり、自分での排泄が出来なくなった




ベッド上だけの生活








自分の意思が伝えられなくなり








鼻から胃に管を入れ、そこから栄養を摂り






膀胱に管を入れられ、オムツになる


認知が入っていない以上自分がどうなっているのかは分かる


どんな思いだったんだろうか?

食べる事が出来なくなり、24時間ずっと点滴を入れなければ栄養状態を保てず、又緊急時の際の血管確保の意味もあってずっと点滴に繋がれている

どこか痒い所があっても「痒い」と言えない

我慢するしかないのだ



辛かっただろうなと思う


何より長患いすると家族の対応も変わってくる

みんながみんなそうではないだろうけど、この人の家族は・・・

愛情と言うものを感じられなかった


寝たきり状態になり、誤嚥性肺炎で命が危ないと言われた時、家族は最期だからと鼻から管を入れて栄養を入れてやってくれと願い、病院も家族の意思を汲んだ。


しかし、家族の予想に反して命の危機を脱して寝たきりながらも元気になった


その後、度々膀胱炎や肺炎になり命の危機に晒されるもまた復活


そんな日々が2年過ぎた頃、家族は「死」を願うようになった


と言うのもそれまでは面会も出来たがコロナ禍で感染予防の観点からたとえ家族と言えど面会が出来なくなった


顔も見れなくなると情も無くなっていくのかいつしか邪魔者扱いするようになっていった


コロナも落ち着いて面会が出来るようになったが熱を出す事が増え、意思確認(最期をどう迎えるか もしもの時は気管切開をして呼吸器を装着するのか心停止したらマッサージするのかどうするかの確認)を取った所DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)蘇生(Resuscitation)を試みない(Do Not Attempt)ということを意味します


具体的には心停止しても心肺蘇生を行わないことを指します。

心肺蘇生とは心臓マッサージや人工呼吸、心臓に対する電気ショック、心拍再開のための薬剤投与を行うことです。心臓が停止する前の病状が進んで呼吸がうまくできなくなったときにする(口から管をいれての)機械での人工呼吸をしないことも広い意味でDNARに含まれます。


これだけならまだしも本来なら4週間毎に交換しなければなない鼻からの管も膀胱に入っている管も「変えなくていい」と言われました

そう、たとえ管が詰まっても変えなくてよいとの事

挙げ句の果てにコロナも落ち着き、面会可能になって久しぶりに会えたのに
「お父さんもしもの時は何もしなくていいから どうせダメでしょ ねぇお父さん、楽に死んだ方がいいよね?」と言い放った真顔


そんなものですかねぇ
自分の奥さんにそんな事言われてどんな気持ちになるのか想像もつかない

その方の最期は突然やってきました
奥様が地元にいない時に最期を迎えたのはせめてもの抵抗だったんだと私達は信じてます。

この家族は自分達を支えてくれた人に感謝はないのか?
考えさせられる最期でした


終わり