懐かしの名機、鬼武者3
4号機の頃に散々打ちまくった。
当時はゾーン解析等は新台が出て数週間してから
スロマガや必勝本等の雑誌で数値を知るのが通常だった。
なので、解析が出る前に攻略ポイントを探していた。
その頃は難波を拠点としていて
今はなき心斎橋123なんかは新台を大量導入してくれたり、繁華街である千日前商店街のド真ん中にあったこともあって稼働は良かったので、たまに行っていた。
鬼武者3の初動はまぁまぁ良かった。
世間は今では通常仕様になっているサミー系のドーナツビジョン筐体が現れてザワザワしていた。
確かポパイがその新筐体第一弾だったかな?
けっこうなハズレ台だったけど。
ポパイチャ~ンス!
でそのドーナツビジョンで鬼武者3も現れた。
当時のロデオの台は、サラ金、旋風の用心棒、カイジなんかもヒットしていて結構好きだったメーカーさんだった。最後に出た 俺の空も好きだったし。
でも機械割が低かったということもあり
早めに人気は落ちていって長くメイン機にはならなかったと思う。
同じ時期に鬼の名前を引っさげて出たノーマークの鬼浜の方が人気があり、立場は逆転していっていた記憶がある。
鬼武者3の機械割は確か
110%を切ってたんじゃないかなと。
当時は119%の台がゴロゴロあったので
いくら711枚大量獲得機といえど、110%もないのはキツイという印象。
せっかく出来は良かったのに少し残念に思った。
でもその残念な機種だからこそ、後に自分の歴代で1番お世話になった機種に昇格した機種になった。
まず、導入初日に心斎橋123で鬼武者3のシマを徘徊していた時、データ履歴にある違和感を覚えた。
「200G台で当たってる台が多い………?」
当時の連チャン機のほとんどは、吉宗の193Gまでが天国ゾーンだった。
そう、193Gが世界基準だった。
銭形も181Gだし、ほんと全ての台の天国が
193G以内だった。
なのでヤメられている台は193G前後が多い。
鬼武者3も大体その辺のゲーム数でヤメられていた。
だけど、あまりにも200台半ば頃で当たっている台が多い………。
気になってそのゾーンを打ち歩いてみることにした。
千円でほぼ百鬼モードには入るのと
まぁまぁな割合で当たったりしたので
少し確信じみた根拠が確立できた。
後に天国ゾーンは256Gという解析が公表された。
発表されるまで他機種の設定狙いよりも
鬼武者3の200G前後台狙いという立ち回りを徹底した。
稼げた。
まだ経験値が浅かった自分が、他人よりも優位に動けた。初めて攻略できた気になって嬉しかった。
ただ、それは解析が出るまでの短い立ち回り法。
解析が出るや否や、たちまち256Gヤメが増えた。
なかなか拾えなくなった自分はまた北斗の設定狙いにシフトしていった。
そしてその後しばらくして究極の低投資攻略法を見つける。
鬼武者3は設定変更後、すぐに当たることが多い。
どれぐらいすぐなのかというと………本当にすぐ。
千円で当たる。
まぁそんなのはどの機種もそうなんだけど
言い方を変えると1Gで当たるかどうかがわかる
設定変更後、1G~3Gに注目。
宝箱やドアから小役矛盾ナビが出たりの確定演出が発生しやすい。
確定演出が出たら後は前兆を消化するだけ。
鬼武者はリセット後、1G目のみ7をテンパイさせると「見たか!俺の実力をー!!」とボーナス確定のスペシャルテンパイ音が流れるが、これは確定ではないのでバグか何かだと思う。
けど、小役矛盾ナビはハズれない。
しっかり当たってくれる。
しかもBIG比率が高め。
大量獲得機。
千鬼モード(天国B)に入ると設定1と3はループ率超優遇。
なので、大量導入している全リセのホールを探せるかどうかが大事になってくる。
当時は今みたいな「全リセしてないホールは悪」みたいな風潮はなく、全リセのホールの方が少なかった。少なかったというかそれが普通だった。
今思えば、SNSなんてなかった時代に
なるべくガラガラで全リセをしてくれてるホールを探すこと自体が難しかったなと
あの頃は毎日平気で他県まで遠征に行ってたし
P-WORLDの会員も100件近く登録していた。
休む日なんて作らなかったし、勝つ為の努力は惜しまず行動していた方だと思う。
正月や誕生日もいつもと変わらずホールに並んで夜まで稼働していた。
今じゃ絶対にできないけど。
そして今じゃ出禁になる立ち回りだけど。
あの頃はその、ある程度が許容されていた時代。
だって、気は遣っていたとはいえ
リセット狩りなんて今は多分出禁対象にすらなる時代だから。
気を遣うというのは気配を消すスキルということ。
朝イチ素早く1Gずつ回してカニ歩くという愚行はしない。
朝イチは最後尾入場でフラ~っと入り
何気なしに千円札をゆっくり入れて
メダルが落ちてくるのをぼーっと待ってるフリをしながら必死で左手にメダルを並べながら右手で掴んだ3枚のメダルを投入して回す
トントントンとやる気なさげにストップボタンを押し終わるとウエイトが切れるまでに新たに3枚のメダルを投入
そのウエイトが切れるまではまた必死で左手にメダルを並べ続ける
データ機の回転数が12G 13Gになるくらいまで回したらゆーっくり台移動
「よっこらしょっと…」て感じでやる気なく
んで、ゆっくりメダルを入れて回す
スペックの低い鬼武者3を朝イチから狙う人なんていなかった頃なので、確定演出が出ても百鬼にさえ入ってなければ平気で捨てる
当たってしまったらその台を打って
ボーナス後BETで百鬼に入らなければ数ゲーム回して移動
あえて数台は回さずに放置
勿論、1台ずつ台移動なんてことはしない
データ機をいじりながら「この台にしよかな~」みたいなことを言ってそうな素振りをしながら着席する
で、それらが終わると確定演出が出た台に戻る
勿論、どの台だったかは記憶している
誰も朝イチ12G回っている台を打とうとは思わないので普通に空いてる
実際は本前兆中の大量獲得機台なんだけども
でもそうしていてもライバルはやってくるわけで
長きに渡る独壇場はそのライバルによって崩壊した。
その人、めっちゃ動き早いねん。
最初見た時「ちょちょちょ!?」って声でましたからね。
「なんでそんな怪しい動きすんのさ!?」って。
カニ歩きめっちゃ早い。
隣の椅子まで最短距離で移動してんのかってくらいスムーズで早い。いや速い。
1Gヤメバンバンするし。
スペシャルテンパイ音も鳴らしまくる。
「見たか!俺の実力をー!!」ゆーて。
いやいやいや!?!?
見たかー!じゃないやん?めっちゃ目立つやん?って毎回思ってた。
そうして我らツートップで鬼武者3を攻めてたら
第三の刺客もやってきて
こっちの人はまだマシだったんだけど
流石に三人体制はキツイなってなってきて
カイジや梅松なんかにも手を出し始めた。
梅松も大量獲得機だからめっちゃアリ。
人気なかったけど。
ああ、懐かしい。
何回思い返してみてもそんな末期の狩り具合は
今じゃ完全に出禁対象。
目先の利をなりふり構わず奪いに行く姿は貪欲な姿勢で逞しく見えるものの、短命で終わってしまうリスクを孕んでいるので最良の気がしてどうしても真似したくなかった。
ただ、それで解ったことは
ホールさんも容認していたんだと思う。
流石に目立つから。
それでも対策をしてこなかったということは
それでも稼働を上げたかったのかなと
なので後半は贖罪ではないけれど、なるべく持ちメダルで期待値の薄い他のリセット機種を打ってたりした。雷蔵伝とか。懐。
あの二人はどういう思いで打っていたんだろう。
今でもスロットを打っているのかな。
語ってみたいなぁ。
出世とかしてたらなんか嬉しいなと
思うのです