映画「アリー ~スター誕生~」~ロマンチックかもしれないけど…

 

「アリー スター誕生」

公式サイト
 
映画.com
 
 
レディー・ガガ/アリー
ブラッドリー・クーパー/ジャクソン・メイン
アンドリュー・ダイス・クレイ/ロレンツォ
デイブ・チャペル/ジョージ・“ヌードルス”・ストーン
サム・エリオット/ボビー
アンソニー・ラモス/ラモン
ラフィ・ガブロン/レズ・ガヴロン
 
監督  ブラッドリー・クーパー
脚本 エリック・ロス、ウィル・フェッターズ、ブラッドリー・クーパー
 
 
ほぼ最終週の滑り込みって感じで見てきました。
予告からかなりそそられてはいたんですが、ライブシーンは期待以上に素晴らしかったです。かなりの作り込み。
びっくりしたのは、ブラッドリー・クーパーが素晴らしい歌声を聴かせてたこと。それもきちんと「ジャック」としての歌なんですよ。素敵でした。
レディー・ガガも、スターになってからの後半はいかにも「レディー・ガガ」になってくんだけど、前半はとてもシンプルな歌で、これがとても「アリー」としての説得力があって胸に迫ります。
 
…なんですけどねぇ。
なんなん、このオチ…ってことで、ドラマに感動できずに終わって不完全燃焼でした(その辺詳細は後述します)。

音楽をこれだけ強く打ち出してるなら、ジャックとアリーの感情のもつれももっと音楽で描いてくれたらよかったのになーと。ドラマを描く部分は平凡なメロドラマで、音楽抜いたら一昔前のソープオペラ的です。現代に時代を移した割にふたりの会話だったり、起きる出来事だったりがとっても古臭いのです。うーん。

音楽はほんと素敵です。
アリーがジャックに見出されるドラァグクイーンの店のショーシーン、ラヴィアンローズ。そのあとのジャックの弾き語り。
アリーがジャックの前で作った、恋に落ちる過程を歌った「シャロウ」が、ストリートから、ジャックによってステージに引き出され、さらに、アリー自身の歌になる、と何度も使われる印象深さ。

音楽はほんと、とても、良かったです、音楽は。←しつこい




以下、脚本にガリガリに触れてる上にこきおろしてるので未見の方は今、戻ってください。
 
アリーという抜群の歌唱力を持ちながらここまでチャンスに恵まれなかった、それゆえに自信を喪って心が縮こまってる女性が、ひとりの世界的ミュージシャン・ジャックと「運命的な」出逢いによって自分の魅力や才能に気づかされ、やがて自信をつけ、一気にスター街道へ歩んでいく。
一方のジャックは、世界的ミュージシャンでありながら、失聴の可能性に日々怯え、それを兄以外に打ち明けることもできず、酒とドラッグに溺れていく中、アリーとの関係も崩壊していく。
 
そもそもは1937年の「スタア誕生」。何度もリメイクされてきている、いわば、芸能界版マイフェアレディですよね。
当時は映画業界を描いてたわけですが、今回のリメイクでは音楽業界。小道具の類から見るに、現代への置き換えかな。
劇中、携帯やYoutubeも出てくるし、スターになったアリーのコスチュームやメイクはレディー・ガガに近いものだし。
 
そういう設定を現代に置き換えた割には、どうも描かれている人々の感覚が古い気がするんですよね…。
昔のメロドラマ的な。ムードに流されてるっていうか。
 
これ、ジャックのモデルはおそらくはエリック・クラプトン。特に、アルコールとドラッグ依存に陥ってた時期の。
クラプトンは更生して今や赤いほっぺの好々爺にたどり着けましたけど、ジャックはたどり着けないで、自死を選ぶ。
それも「自分がいることが妻の未来の邪魔になるくらいなら」って言う身勝手な理由で。
 
おい、相談しろよ、てか別れてやれよ、それなら。
 
妻の成功に嫉妬してるように外からは見えたかもしれないけど、ジャックはおそらくは孤独だっただけ。
自分が見出した妻は自分ではない敏腕プロデューサーに見出されて「今風に」ヒットしていく。本来の彼女の魅力はそういうスタイルではなくて(アリー自身も最初は戸惑っているのに成功に目をくらまされているように描かれている)、魂の唄だったはずでは、とジャックは何度も警告するのに聞きいれられない。
才能が枯渇したのではなく(そういう描写はどこにもない、むしろ劇中、酔いどれたまま弾くギターはなかなかにすさまじい)、アルコールとドラッグのせいで社会的信用を失ってしまった(アリーのグラミー賞授賞式での失禁はなかなかにハード…)あげくの自死。

誰にも彼は自分のそういう孤独を話さないんだよな。そのナルシスト、自己憐憫ぶりがなんかとっても70年代くさいって言うか…現代的でないのです。

一方でアリーも、彼の内面を探ろうと一切しない。
言ってくれなきゃわかんない、ってスタンスを貫いて、一方では私のことをわかってくれない、と怒ってる。
 
魂で通じ合ってんじゃないのかー!
歌で分かち合ってきたんじゃないのかーーー!!
 
お互いが自分への憐憫におぼれてるようにしか見えず、ラストシーンのジャックへの追悼コンサートで高らかに「あなたしかいらない」って歌ってるアリーを見て、私、完全に白けてました。
 
あなた、ジャックのこと、全然見てなかったじゃない?
化けて出ていいぞ、ジャック。
 
社会にうまく折り合えず、唯一わかってくれたジャックに対するアリーの気持ちはどこ行っちゃったんだ、とか。
自分が見つけた才能がジャックからすれば歪んで育っていくのを見つめるジャックの複雑な思いとか(更生施設にいる間にアリーを思って書いた曲にそれが集約されてるはずなのに、創作過程は回想ででも出てこない…出来上がった歌を聴かせて感激するアリーって場面だけ)。 

もっと色々とふたりの感情を丁寧に描いてほしかったんですが、ライブシーンどばーん!、アリーのステージシーンどばーん!!みたいな派手な方向に時間割きすぎてて(いえ、すごく聴きごたえあったんですけどね)、そういう葛藤を丁寧に描いてないのが非常に不満でした。
細部が粗いんですよ。
 
比較するものでもないけど、同じように音楽シーンが山ほどつぎ込まれてる「ボヘミアン・ラプソディ」でなんでこういう不満がないかというと、実はあの脚本はひとつひとつの場面の意味づけが非常に深い。場面の中にアイコンがたくさん用意されてるし、楽曲と場面や心情とのリンクがとても強い。
ライブシーンも、最後のライブエイドに集約させてあるので実は1つひとつはさほど長くない。でもバックにQUEENの音楽が流れ続けているのでずっとフレディが歌っていたような心地にさせてくれてる。脚本と演出の仕掛けが非常に緊密で細やかです。
 
そういう細やかさがどうも感じられない。
 
ヒーローとヒロインがお互いを思っているのにすれ違ったのではなく、単なる自己憐憫とだけ見えてしまうのは、お互いがお互いのことを心底から考えてることを感じさせるような場面づくりが薄いからだと思う。
ジャックは追うほうなのでまだしもだけど、アリー、ほんと結構ひどいよ?
 
むしろね、これ、最後の歌があなたしかほしくない、じゃなくて、あなたなんかいらない、あなたは私を知らなかった、ひどい人、みたいな歌で自分をタフに持ち上げて、どんな境遇にも折れないしたたかな「スター」になった、って描き方してくれてたらいっそひどい女だけど爽快だな!って思えたんじゃないかと思うんです。
 
あれだけないがしろにしといて、死んでからそれはないよ、アリー。

なんかに似てるこの不満…と思ったら、あれです、ララランドです!あれもダンスシーンや音楽シーンは最高なのにドラマが最低だったなーと。

ということで、音楽的に楽しむなら満点、ドラマとしては50点くらいでした。