予告を見た時から気になって気になって気になってた映画、やっと見に来れました。
都心はBunkamuraル・シネマのみの上映というハードルの高さよ!

「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」


60年代、"スウィンギン・シティ"、ロンドン。当時の英国の音楽、ファッション、アート…あらゆるカルチャーがロンドンで若い世代によって作り上げられ、それらは文字通り、世界を席巻した。「British Invasion(英国の侵略)」。

当時の風景と現代の風景を自在にスイッチしながら(そうまるで振り子がスイングするみたいに行ったり来たり)、当時のロンドンカルチャーが現代にまでもたらした影響を見つめる映画。
ザ・フー、ザ・ビートルズ、キンクス、アニマルズ、そして、ザ・ローリング・ストーンズ!

公式サイトのメニューアイコン、ザ・フーのアイコンでニヤリとしちゃうね。

私は60年代最後の年、つまり1970年生まれなのだが、カルチャーとしては80年代の人間。60年代は少し先輩達の文化。なので、自分の経験を重ねる、というよりは少し離れた視点で見る感じ。

ドキュメンタリーでありつつ、ポップでキッチュでサイケデリック。大胆な編集。映画で60年代のロンドンをそのまんま形にしようとしたのかな。
先月見た「エリック・クラプトンー12小節の人生ー」が映像にはほぼ手を加えず剥き出しの傷みを晒していたのとは対照的に、映像素材そのものはドキュメンタリーでありながら強い加工と編集を加えたフィクショナルなノンフィクション。ドキュメンタリーの映像に火花の映像を重ねたり、サイケデリックな歪みを加えたり、正確性より時代の空気を再現することに重きを置いた編集だった。
その意味で映像はとても面白かった。


考えてみれば、どんなノンフィクションもカメラという媒介、編集という媒介を通したところでもう100%のノンフィクションたりえることはないのだから、この行為は正解なのかもしれない。
提示されるのは、マイケル・ケインというクールな媒介を通した「60年代の記憶」。
マイケルは、60年代は確かに僕らの時代だった、と強い自負心とともに現代のロンドンと当時のロンドンを自由に行き来しつつナビゲートしていく。

非常にこのあたりこだわりを感じたのは、若いマイケル・ケインの出演した映画やドキュメンタリーの映像と現在のマイケル・ケインがまるで一瞬にして時を超えたかのように自然に繋がっていく、細かすぎるほど細かい編集。
映画の中で扉を開けた若いマイケルが次の瞬間、扉から出てきた時には今のマイケルになって出てくる、というような。
(ほかにも、アド・リブ・クラブで当時の若者達がビートルズやストーンズで踊りまくる場面のために、わざわざ当時のエレベーターを再現したとかそんなプロダクションノートもあるくらい。90分の映画にどれほどの場面を撮ったのやら!)

劇中「ポップは残らない、瞬間を切り取るもの」というような言葉が出てくるのだが、そのとおりこれは「残すための記録映像」ではない。記録映像を使ったひとつのポップな作品だった。


映画のトーンはけして、イエー!60年代すげーぜ!みたいなトーンではなくて(そのあたり、シニカルな英国人ならではかもしれない)、クールだし、けぶってるし、最後なんか、ドラァグなんか蔓延すっから「僕らの時代」はあっという間に終わっちゃったよ!ってトーンで、若いマイケル・ケインが「ドラッグ? なんかいいことがあんならやるけどみんなおかしくなっちゃったじゃん? 僕はやんねーよ?」って批判してる笑顔から終わっていくっていう…。

強い階級意識から解き放たれたニュー・ジェネレーションが新しい若者のための文化を作ったけれど、それは一時代だったね、改革、変革は強い力は産むけれど続かないんだよね、徒花だねという諦観にも支配されてるのがものすごく面白かった。

そんな徒花だけれども確かに世界を動かしたし、今もその輝き、影響は端々に残ってる。
僕らは過去の階級社会、過去の価値観をそれこそ「ぶっとばして」新しい時代の始まりを確かに作ったんだ。

諦観と自負の交錯が複雑な色を作り上げている。

ミーハーな視点で行くと、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー(若い頃のミックのファニーなこと!)、キース・リチャーズ、ピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリー、ツィギー、メアリー・クァント(動いてるメアリー初めて見た!)、ヴィダル・サスーン(動いてるヴィダル…以下略)と今でも一線で活躍する人々の当時の映像と現在のインタビュー(ただしインタビューは音声のみ、今の姿を見せるのはマイケル・ケインだけ)がふんだんなのが楽しい。
デビッド・ボウイもちらっと。ほんとに一瞬だけど、キュートだった。

面白かったのは、ポールがドラッグ使用についてインタビューを受けてる場面で、なんで公にしたのかと聴かれて大変に気だるげに「君が聴くからでしょ? 僕は言うつもりなんかなかったけど、君らが聴くから正直に対応してるだけ」と答えるくだり。

「スターとしての責任は?」
「むしろ君らの責任じゃない?」 

メディアがアーティストのプライベートに首を突っ込む行為についてクールに批判してた。

ポールはもちろん、リバプール訛り。この言葉の差=階級の差(=ぶっ飛ばすべきもの)という意識は映画全編に通底していて、マイケルも何度も語るし(「(クイーンズを話す将校役に)監督がアメリカ人だから採用されたんだろうね、イギリス人ならありえなかった」「コックニーを話す人間なんてミッキーマウス(ねずみ)と同じって思われてる」)、途中途中、若者を批判する議員や役人、見識者達の映像が挿入された時には彼らのかっちりとしたクイーンズイングリッシュが強調され、いかにもな憎々しさで響いていた。


音楽は、「マイ・ジェネレーション」のタイトルどおり、TheWhoはじめそんな彼ら60年代世代の音楽で満ちている。それだけでもワクワクする。
特にビートルズ、特にストーンズ。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はドラッグによって引かれていく終幕の象徴になっていた。

ファッション、フォトグラフィック、アートへの視点も強く、ツィギーとメアリー・クァント、ヴィダル・サスーン、そして、写真家のディビッド・ベイリーなどが多く登場する。
とりわけディビッドには強くフィーチャーしていて、彼の撮った「時代の寵児達」のモノクロ写真は今見ても素晴らしく躍動的で美しくてエネルギッシュだった。


ラストシーンは現代のロンドンの街並と高層ビルからそれを見下ろすマイケルの語り。

たしかに徒花だったかもしれないが、僕らはたしかにぶっとばしたよ。
いつだって、時代を切り拓くのは若い世代。
君達は?どうするの?と強く問いかけるようなマイケルの青い瞳は若い頃のまま、鋭く澄んでいた。