2016.4.14。
その日は、東京にいた。平日。確か木曜日だったかな。
石田洋介さんが自身のShowroom「とりあえずナマ」を始めた、その第1回放送日で、せっかくなのでみんなで見よう、と、梅島Hugoに集まって、モニターしてた。
うのじ。@uno36bk2016.4.14。石田さん @yohsukei 覚えてますかね、初のShowroomの日に熊本で地震がありましたね…。明日で2年。普段通りに過ごしてる、そのたとえ0.1秒先でも私達には予測できないこと、改めて痛感した夜でした。ち… https://t.co/s4ruToSEgg
2018年04月13日 09:05
エンリケさんちからの中継でビール飲みながらまったり放送してる様子をこちらも飲みながらまったり見ていた21時26分、最初の揺れ。
速報が流れ、Twitterのタイムラインも騒がしくなり、深夜じゃなくてよかったね、などと話しながら、放送はそのまま続いたし、こちらもそのまま見て、終電まで飲んで、酔っ払って帰った。
翌朝、ニュースやTwitterの九州地方の方々のツイートで被害状況を知るにつけ、その大きさに胸を痛める。
東日本の震災の際と自身の感覚で大きく違ったのは、やはり、体感のなさ。
こちらには揺れがなかったので(そう思うと東日本の震災の規模の大きさを思わずにはいられないのだが)、現地よりも実態を理解するにはかなりのタイムラグが必要だった。
熊本・大分地震の場合はこれがいわば前震で本震が2日後だったのも他にないことで、本震で熊本城の櫓が倒壊した様子は衝撃だった。
そこから2年。
まだまだ復興への取り組みは続いている。
今、何ができるのかを考える。
まず何よりも知ること、行くこと。
東日本の震災と変わらない。忘れないこと。
うのじ。@uno36bk犠牲者に復興誓う=冥福祈り追悼式―前震から2年・熊本地震(時事通信) - Yahoo!ニュース https://t.co/b8w8oW7P6x @YahooNewsTopics
2018年04月14日 12:05
Yahoo!ニュース@YahooNewsTopics【熊本 3万人超なお避難生活】熊本地震から14日で2年を迎える。被災地では道路や河川といったインフラの復旧は加速するが、いまなお3万8000人が仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている。 https://t.co/OoFSAzQhuC
2018年04月13日 08:39
◆
その年の5月に、白河ジャック&ベティでの石田さんのワンマンライブで「僕らは友達」が初披露された。
くまモン、がんばれ
くまモン、思い出して
僕らは友達
ディアマイフレンド、忘れないで
僕らがいること
震災直後、活動を自粛していたくまモンへのエールのために書かれた曲。
iTunes
このブログでもたびたび取り上げているが、そこから2年、石田さん自身のライブではもちろん、さまざまな場面で歌われてきた。
翌日からのしらかわ子ども夢フェスタ。
「福島のみんなならわかってくれるはず」と小さくつぶやいた石田さんの顔を思い出す。
5月末のすみだキャラフェス、7月のコンサート「PUZZLE」、ヨジロック。
ヨジロックではふなっしーとともに。
そして、9月にはいよいよ熊本で。
台風の近づく熊本城二の丸広場で、天候を危ぶみながら1日だけ開催された熊本キャラフェス。
ふなっしーは自身の各種ロイヤリティからの義援金を、そしてラピート鵜沢さんはPUZZLEコンサートの募金と収益から、石田さんは配信盤「僕らは友達」の収益から、それぞれ寄付目録を熊本県や熊本市に渡すという目的での来熊だった。
GCB47のステージで歌われた「僕らは友達」。
くまモンとはステージでは一緒ではなかったけれど、きっとどこかで聴いていてくれたはず。
熊本の空にエールを響かせたこの場に居合わせられてよかった、と思う。
翌年2月には、岡崎での「ともだち101人プロジェクト」でくまモンと一緒にステージを。目撃できて幸せだった。
くまモンは一時は活動を自粛していたけれど、復活以降は積極的に熊本のPRにつとめ、2017年からこの春にかけては震災の際の助力への感謝を伝えに全都道府県を回ってきた。
精力的な営業部長だ。
朗らかで、ユニークで、腰が低く、優しい。彼が元気であるほど、熊本も元気なのだと感じられる。象徴としての強い存在感。
その後、新譜「MOSAIQUE」にTHE GOT KNEED STONEバージョンが収録され、CDとしてファンの手元に届けられた。
そして夏には台湾で!
現場にはいられなかったが、動画を見ながら、この歌がぐっとスケールアップしたのを実感した。
国内だけではない、より広い場所に通じる力。
秋には二度目の熊本キャラフェス、翌年春にはくまモン誕生祭と、熊本ではすでに三度の披露。
誕生祭では、3/11東日本大震災から7年目に当たる当日、東北へのエールとして歌われた。
この曲の役割の広がりを強く感じた出来事。歌われるたびに、どんどんと遠くに届くようになっていく。歌われるたびに、その力を増している。
2年経った今、そのことを改めて強く感じている。
◆
今日、きくちくんがこんなことをつぶやいていた。
きくちくん【ホンモン】@kikuchikun_neoがまだすとはしっかり働くという意味がまだせとはしっかり働けということがまだせ熊本!本気で言いよっと?何でそやん言われにゃんと?そんな小さな言葉尻にさえ悩まされたあん頃そやんこと悩まんでええ瞬間ばいっ… https://t.co/4SkmMYCcZO
2018年04月14日 13:39
がまだせ熊本、というキャッチフレーズは震災直後によく聴いた。がんばれ、という言葉、それも県内の被害を受けたもの同士が励ましあう意味できっと使われてきたのだと思う。
がんばれという言葉の強さ、きつさへの抵抗感は東日本の震災の際もたくさんの人から聴いてきた。
もう頑張ってるのにこれ以上、何を頑張ればいいの? という嘆き。
私は頑張る、という言葉は嫌いではない。励まされるのも。
ただ、人がこの言葉に抵抗するのはそこに発した人の無責任さ、無関心さを感じてなのだと思う。
この曲における「がんばれ」は優しい。
けして無責任に鼓舞するのではなく、そっと伝える励まし。
いつもそばにいるから忘れないで。
いつだってかけつけるから思い出して。
僕らは友達なのだから、と、そっと背中に添えられた手の温もり。
そんな「がんばれ」だ。
いつか君がしてくれたように
今度は僕らがそれを届けるよ
この曲で一番好きなフレーズ。
優しさの循環。
思いの循環。
受けた思いは、受けた優しさは、巡っていく。同じ相手にではなくても別の誰かにでも、手は繋がっていく。
そんなことをこの曲を聴くたびに思うのだ。
いつだって誰だってどんな風にどんな事態に遭遇するかわからない。
0.1秒だって未来は見通せない。
いつ終わるとも知れない命だ。
だからこそ、好きなことをし、好きなものを好きだと言い、他に優しくすることを惜しまないでいたい。
僕らは友達。どんなに離れていても。
そう言い続けていたい。
3.11にも思ったことを今日もまた思っている。いつだって忘れないよ、という宣言の日だ。
石田さんにも長く強く歌い続けてほしい。そう願っている。
きっと叶えてくれると信じている。