前回『何故ここに星野リゾート・・・?』の続きです。
今も昔も、釜ヶ崎は日雇い労働者の街
彼らのことを『立ちんぼう』と呼んでいました。
路上に立ち、お金で買われていく人のことです。
少し前までは、早朝指定された場所に立っていると、
何人もの手配師がワゴン車でやって来て、
「土方、〇千円」「人夫、〇千円」と提示します。
手配師は、使えそうや労働者をピックアップして、
建設現場へ連れて行きます。
仕事が終われば、車で送ってくれます。
裏社会が仕切る無法地帯でもありました。
路上に直接、いろんなもの並べ売っていました。
タバコのバラ売りや、靴片方とか・・・
寝るのは、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所
個室もありますが、雑魚寝の場合は、
靴を枕にするのは盗難防止のためです。
働けなくなれば、路上生活者になります。
昼は空き缶を集めたり、ゴミ箱をあさり・・・
夜は、軒下や裏道の塀沿いに段ボールを敷き、
ボロ布団をかぶって寝ます。
そして、命が尽きていきました。
若い頃、私は現場監督をしていたので、
釜ヶ崎の労働者の事情も多少判っていました。
「ここを見ておくべき」との思いもありましたが、
ここに住む度胸はありません。
先日、ゥン十年ぶりに訪れました。
旧愛隣センターの周囲には、路上生活者がいますが、
彼らは、施設に収容されるのを拒む人たちです。
それ以外に、路上生活者はいないようです。
釜ヶ崎のシンボルの三角公園は、大音量の演歌が流れ、
20~30人の老人がたむろしていました。
かつての屋外労働で日焼けした顔つきです。
すぐ横は西成警察署なので、治安はイイ
一人で歩いても、不安を感じることはありません。
ここに流れて来た人たちも、高齢化して、
福祉の支援を受ける人が多いようです。
この街は、車椅子の利用者が多い・・・
貴女にとって、貴方にも
今日が良き日であります様に・・・