絶賛上映中の映画、「大河への道」では日本地図を作るために、全国を測量した伊能忠敬がテーマになっていますね。
教科書などにも登場する人物です。
でもどんな人だったか、どんな先天運を持っていたか、ちょっと調べてみました。
本命星(宿命)が三碧木星、月命星(運命)が五黄土星、「雷地予」(理由無き欲心)という星で、運のランクは極上の運の「普通運」81位中21位です。
運は良かったようですね~。
幼少時から勉学は嫌いではなかったようで、星の観測や算術など師匠について勉学していたそう・・・。
そんな忠敬は17歳で伊能家に婿養子に行き、そこで商才を発揮したそうで、49歳で隠居するまでに、色んな分野でかなり稼いだそうで、資産総額は今のお金でいうと30~60億程あったそうです。びっくりですよね~~。
でも、ここでも運の良さが伺えますよね。
隠居してから、息子に家督を譲り、今でいう国立天文台長に当たる高橋至時に弟子入りします、この高橋至時は忠敬の19歳下。
自分より年下であっても、きちんと教えを請う、素晴らしい事だと思います。
この至時は弟子達に対して、「授時暦」であったり、デンマークの貴族で天文学者、占星術師、錬金術師・作家でもあったティコブラーエなどの西洋学である「暦象考成上下編」
さらにティコブラーエの助手でもあったケプラーの理論を取り入れた『暦象考成後編」も学ばせている。
そんな高橋至時の先天運は本命星(宿命)が二黒土星、月命星(運命)が一白水星、「地水師」(戦いの道)で、運のランクは貧乏運81位中49位。
ノストラダムスもこの先天運だったんですよね。
運は弱いので、運命に翻弄されることはあったとは思います、実際、この高橋至時の子、景保は伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させているが、後にシーボルト事件において投獄され獄死しているし、自身も非常に身体も弱く、咳をいつもしていた事などから結核であったのではないかといわれています。
忠敬より19歳下にも関わらず、先に亡くなっていますしね。
さて、その伊能忠敬も参考にしていたティコブラーエについてですが、彼の先天運は本命星(宿命)が四緑木星、月命星(運命)が七赤金星、「風沢中孚」(至誠天に通ずる)で、運のランクは81位中26位で、この方も非常に運の良い人でした。
この方の功績はこの時代にしては極めて正確な天体観測をしていたことです。
当時最良の観測結果の5倍程正確であったといわれています。
このティコブラーエの肩書きに「錬金術師」という肩書きがありますが、高等な錬金術師という肩書きを持った人は霊魂の錬金術を行い、神と一体化したと考えられていたので、宗教や神秘思想の趣が強かったのです。
丁度、これも映画で公開されていますが、「鋼の錬金術師」というのもこの思想からくるものです。
天文学者や占星術師という肩書きを持った人間はそういう不思議な存在であったと言えるのでしょう。
当時の日本を隅から隅まで測量し、日本地図を作ろうとしていた伊能忠敬も同じような存在と言えるのかもしれません。
実は大丘先生が書かれた作品の中に「金生麗水」という100号の作品があるのですが、これは金を作る工程を描いていると私に説明をされたんです。
ふとこの伊能忠敬や、ティコブラーエなどのエピソードなどを調べていくうちに、この絵画の存在が目に浮かびました。
不思議な絵です、一度見られたら良い作品ですし、この作品で作ったフォトブロックも数品あるのですが、すぐにお客様の手元にいってしまうんですよね。
これがその作品です。
ちょっと画像は小さいですが、本当の大きさはキャンパス100号サイズです。
《162×112センチ》
この続きはまた後日・・・・・。
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