品川、亀戸に続く新年第3回目の御朱印めぐりは、港
七福神です こちらは、通常の七福神に加え『宝船』
も含め、全部で八社を巡ります。
【十番稲荷神社】(寶船)
東京タワーや 六本木ヒルズを間近に仰ぎ見る麻布十
番は、江戸の昔からの伝統を受け継ぐ老舗と、若い人
を惹きつける佇まいが魅力の街です。
十番稲荷神社は、慶長年間(1596-1615年)の創建で、
元禄4年(1692年)までは坂下町東方、雑式に鎮座して
いましたが元禄6年(1694年)に現地に遷座されました。
江戸時代に大火があった際に、「邸内にあった大蛙が
水をかけて屋敷を守った」という言い伝えから、ガマガ
エルがこちらの神社のシンボルとなっています。
ここで頂けるのは、十番稲荷神社の御朱印と、寶船の
御朱印です。
【榮久山大法寺】(大黒天)
慶長2年(1597年)、慈眼院日利上人によって創建さ
れました。 享保15年(1730年)、日舜上人法華経三万
部読誦の功徳によって大黒天尊蔵を感得されました。
このご尊像が伝教大師作「三神具足大黒尊天」です。
「三神具足」とは、大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪
「三神具足」とは、大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪
をいただき、背には毘沙門天の鎧をつけています。
つまり 大黒天の福寿と、弁財天の円満と、毘沙門天
の除災得幸を、表して居られると 讃えられることとな
りました。
こちらでは大法寺(南無妙法蓮華経)の御朱印と、大
黒天さんの御朱印を頂くことができます。
【麻布氷川神社】(毘沙門天)
天慶5年(942年)、源経基が平将門の乱平定のため
東征した際、武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(現麻布
一本松)の地に創祀・創建されました。
2,000坪以上の社有地を有したといわれましたが、創
建地が増上寺の所領となり、万治2年(1659年)元麻
布へ遷座。江戸時代、江戸七氷川に数えられました。
「江戸七氷川」 とは、江戸時代中期に記された「望海
毎談」 に記載されている 江戸で信奉を集めていた七
つの氷川神社のことを指します。
この「江戸七氷川」も いずれ参拝したいと思っていま
す。ちなみに他は、赤坂、渋谷、白金、高田、小日向、
千石にあります。
【櫻田神社】(壽老人)
治承4年(1180年)、源頼朝の令により霞山桜田明神
として霞ヶ関桜田門外に鎮座。寛永元年(1624年)に
は現在の場所に遷られました。
神社周辺はかつて陸奥白河藩阿部播磨守の下屋敷
があったところ。 新選組の沖田総司の生誕地であり、
総司の墓が近くのお寺にあります。
源頼朝が30貫の田畑を寄進。それを、一般農家の田
と区別するため、御神田の畔に 桜を植えたことが「桜
田」(神社名)の由来だそうです。
こちらでは 櫻田神社と寿老人の御朱印を頂きました。
明日の後半戦は、残りの4社です