自分を信じる。
ココロに従う。
のが、よく解らないし、続かないな、と想ったら、
いつもと、反対のことをしてみる。
5分早く寝る。 or 5分早く起きてみる。
いつもと違うストレッチをしてみる。
お腹がすくまで、食べない。
鏡を磨く。
ケータイの写メを一部、削除する。
神社に行ったら、お賽銭と、感謝&元気パワーを神様に贈ってみる。
身体を使って、ココロを感じてみる。
いいかも?を続けたり、増やしていく。
自分を信じられなくても、
自分リスペクトがよく解らなくても、問題ないよ。
行動しながら、「 イイ感じかな 」 くらいでOK。
映え条件がなくても、自分伴走者であればいい。
信じられなくても、「 そういうこともあるよ。」って、自分のそばにいてあげる。
ちょっと安心も、味方も在った。
すべてのことを失っても( 失ってはないけど・・・。)、
自分味方でいられるって、豊か。
あなたは、” やさしくない人 ”なんかじゃない。
自分に合ったやり方を、未だ知らないだけだよ。
” 自分に合ったやさしい ” を受け取ったことがないだけだよ。
そんな中で、必死に生きてきた誠実で強い人だよ。
” 自分の欲しいやさしい ” をもらっていたら、こうならなかったはずだよ。
マネすればいいだけだもん。
与えるばかりで、循環していかないと、湧き水だって枯れることだってあるよ。
井戸水に蓋して、溜まるまで、お休み。
井戸のお掃除をやっていこう。
他人の価値観、優先し過ぎを取り除いて、
他人の感情も親身になって、聴かなくてもいいよ、もう。
こわいけど、やってみたかった方だよ。
恥ずかしいけど、受け取ってみたい方をお願いしてみる?
作業の見える化をして、分担してみる?
お店で、座りたい席をお願いしてみる?
シンデレラは、受け取り上手。
人生というティアラは、自分でオーダする。
カタチも飾りも、冠り心地も試しながら選んでいく。
「 なんでもいいです。お任せします。」 そんなことないよね。
あるよね。好きなパーツも、色も。
” やさしさ ” を受け取る自分を、自分で育てていく。
それが ” やさしい自分 ”
蕎麦やお寿司の具で、
「 今年の年越し 」を計っているのが間違いだった・・・。
来年は、自分を条件つきの眼鏡で、視るのをやめよう。
結果を出し続けないと、好きな具も食べられないなんて・・・。
無条件の最強のジブン味方!になろう。
エビに釣られない自分の方が好き( エビは、好きだけど・・・。)
何があっても、蕎麦に具がなくても、
自分に、
「 今年一年、お疲れさま。」
「 もしも、生まれる前に、わざと繊細なココロ 」を選んでいたとしたら?
その目的は、何だったのかな?
ココロを痛めてまで、感じてみたいことは、何だったのかな?
そのココロを抱えたまま、何を成し遂げたかったんだろう?
わたしは、季節も、ココロもヒカリも機微を全身で感じたい。
涙の先には、望みしかないことも、
全ての出来事も感情も、本当のわたしになる為のプロセスのひとつ。
それを文章で露わしてみたい。
生きやすさと引き換えに、
微風に、師走を読みとることも、
「 おはよう 」に、感謝があることも受け取れないのは、嫌だ。
わたしが授かったココロの襞は、美しさと深さも味わえる。
痛みには、必ず、未だ知らない宝物が埋まっている。
探して欲しくて呼んでいる。
痛みを言葉や音で表現する。
その下の本音をさらに、表す。
その発見は、自分と対面できた喜び。
機微を表現してほしい。と自分に頼まれる。
わたしは、それを表現したくて、このセンサーを選びたいと想う。