哲学の道で思想をさがせ! |     unmirage / Short Film & Night Photo

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京都で あえて無いモノを探す。。。

 

 


吾輩は 猫である。

たぶん 猫である。
名前は あってもなくても どうでもよい。

「ない モノを さがす」

よくわからない指令を受け
哲学の道で 「思想」とやらを探してみるのだにゃ。

しかし 人間様でも「哲学」と「思想」
そのふたつの 違いを説明できるヒトは 少ないのでは?


猫の吾輩に 

わかるわけがにゃー。

哲学の道は、銀閣寺からつづく 約1.6キロの小径だにゃ。
近代日本の哲学者・西田幾太郎がよく歩き、思索にふけったことから
「哲学の道」と命名されたにゃしい。

 

 

 

 

 

地下鉄東西線 蹴上駅

 

 

 

左京区にある蹴上(けあげ)駅から 哲学の道に 向かうのである。

蹴上をはじめ、地下鉄東西線だけを見ても読めない駅名が多い。
山科(やましな)・御陵(みささぎ)・椥辻(なぎつじ)…。

名前を付けることは、人間様がコミュニケーションを とるときに
物事を 共通認識できるよう記号化することが 本来の目的のはずだにゃ。

それを 人間様は 象徴的でわかりにくい命名をしたり
読めない漢字を あてはめて 喜んだりする。

これを 思想 と呼ぶのか 吾輩にはわからにゃい。

 

 

 


 

吾輩好みの トンネルを横目に インクライン横の坂道を下り

 

 

南禅寺を 通り抜け 哲学の道に向かうのである。

 

 


インクライン

 

 

インクラインとは 明治時代に造られた
坂道で 運輸船を台車に乗せて運ぶ装置のことだにゃ。

 

 

 


南禅寺 山門

 

 


 

しかし、この看板下の「HITACHI」の文字を
見ると大阪の通天閣に 通ずるものがある。

 

 

重要文化財を訴えるものが広告と 同列に置かれるのは
思想がないからかにゃ。

お金がないと、寺社仏閣も維持できないという 

厳しい現実があるのだろうが
お金は 人間様にしかない概念である。

本質は ただの四角い紙や 丸い銀・銅。

なのに りっぱな思想や哲学も これには勝てないのだにゃん。


 

 

 


 

 

とにかく 水路と湯豆腐の店が多いのにゃ。
 


もみじの永観堂を過ぎると こんな石碑が

 

 


 

文字は 力強いのに

この中途半端な指さし方は にゃんたることか。


 

 

 

 

 

若王子神社の横から哲学の道は始まる。


北から来れば ここが終わりとなるが
始点がどちらなのかは どうでもいいのだろう。
哲学は そんな些末なことに こだわらない。

さて 思想はどこかにあるのだろうか。

 

 

 


 

疎水沿いに 道が続いているだけで
思想なんてものは どこにも見あたらないのだにゃ。

 


哲学の道だけに

哲学的テーマは 

なんとなく見つかるのだけれども…。

 

 

 

 

水路の上を 水路が走っている。


水が交わっていけない

という考えは 思想なのかにゃあ?



散策しながら見たものに
哲学的テーマを 当てはめてみるにゃん。

 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

ひとつ上はともかく

 

 

これらは 思想のテーマには なりにくい。
にゃんでかな?



哲学の道を はずれて

住宅地に 迷い込んだりしながら 歩いていると
狛犬ならぬ

「狛鼠」

のいる大豊神社、安楽寺、法然院などに 立ち寄ることもできる。

 

 


法然院


しかし、人間様は石を彫っただけのものに 意味を与えて
本質とは違う物を そうだと思いこんだりする。

これを 思想 というのか、理解できない。

 

 

 

 


 

 

桜の老木は 何も語らないが
吾輩には知るすべもない 色んな物をここで見てきたのだろう。

 


 

 


 

 

道沿いには甘味処や喫茶店、雑貨屋などがぽつりぽつりとある。

 

 


結局・・・
哲学も 思想も 

吾輩にはどうでもよいが

 

 

 


 

「二人静(ふたりしずか)」


と名付けられた センリョウ科の 植物を見て
言葉を 自由に扱う人間様を 

少し うらやましく思ったのである。

吾輩にとっては

草木は 草木以外の何ものでもなく
食べられる物か、そうでないか、

ただ それだけなのだにゃん。

 

 

 

 

 

人は人 我はわれ也 とにかくに吾行く道を 吾は行なり


と、西田先生の言葉がある。
そんなことを改めて言われなくても 

猫である吾輩は
いや、猫だけでなく 人間様以外の生き物は

吾行く道を ただ生きている だけなのだにゃ。


・・・。