こんにちは。Aikoです。
学校に行く意味を見出せなくて、「学校しね。つまらない」の塊になっていたうちの子😅他にもいろいろあり、親子で精神科のカウンセリングに行き始めて5ヶ月。(並行してスクールカウンセリングも。)
カウンセリングに通い始めた最初の頃の、学校での針のような苛立ちは消えて、今はとてもニュートラルになってきました☺️🌸ホカホカ
カウンセラーと3人での面談や、子ども対カウンセラー、私対カウンセラーで話し合う時もあります。問題と経過を確認しながら、今の発育や成長に必要なことを、都度確認する5ヶ月でした。
自己受容も他者受容も
「認める」は大きな力
「学校に行かなくちゃいけない。」「学校に行きたくなければ、いかなければいい。」という最終的な考え方の前に、子どもの心の中で何が起きてるのかな?というのを、まず一度立ち止まってゆっくり向き合うことができてよかったです。
また、カウンセラーという介助と見守りのバランスと距離感を絶妙に保てる人と一緒にそれができたことも、よかったなと思いました。子どももカウンセラーさんのことを信頼して対面できていて、自分と母親にとって必要なことや大切なことにつながっている。と素直に理解している感じなのでありがたいです。
カウンセラーからは「お薬も一回も出ていない。カウンセリングだけ。後は家庭でのコミュニケーションの力。それでこれだけの成果が出ているというのはすごいことなんですよ。」と、私との面談の時に言ってもらいました。
また。「お父さんへの働きかけと、情報の伝え方もとてもよかった。」「子供との接し方もカウンセリングに来ているとき全体を通じて、すごくよかった」とのことでした。
カウンセラーの意図としては、私の精神や子育てが落ち着いていれば、子供にとって良い環境となるから、多分私のことも意識的に認めたり褒めてくれたりするのかなと思います。
認めるというのは、過剰な神経の使い方を緩めてくれるから、認められたり、褒められた人は負担とストレスが確実に減りますね。「そこはもう大丈夫だから、氣を緩めちゃっていいよ。」「その調子でいいよ。」そんなふうに働きます。「認める」は大きな力。
スピリチュアルの基本の「自分を愛する」つまり「自己受容」ですが、カウンセラーさんという他者からそのような言葉を頂いても、大きな効果があるものですね。あざといのは嫌ですが、私も自己受容と同じく、他者においても受容し、シンプルで素直な言葉でそれをいつも伝えていくことを決めました。言葉もエネルギー☺️
我が家にとって小学校は
アサーティブネスの練習の場
私からの視点と感想ばかり書いてしまいましたが、子どもの方は、カウンセリングに行きながら、問題を解きほぐす色々ヒントの言葉を、カウンセラーからもらっています。
子どもの相談内容を詳しくここに書くことはできないけれど、
「自分を大切にすること。他者との距離。パーソナルスペースの大切さ」
「すごくつまらない授業。1日7時間。どうしていこうか」
「自分の正義が通用しないとき」
「すごく嫌いな人に影響を受けている自分」
そのような気づきの契機につながる言葉がカウンセリングルームでも出ています。
それをどのように子どもが消化していくのか、今後も見守ります。
小学生のうちは、合理的指導と言って、全体的な指導にどうしてもはまらない子や、なんの成果もないような場合には、特例措置というか、ちょっとした特別ルールを設けて個別対応することも可能だそうです。
これまでのカウンセリングで子どものベイシックな部分の精神の落ち着きを取り戻したこと、家庭内での意思疎通や雰囲気が良い方向にまとまってきたことで、今後は学校に対しても働きかけていくことになります。
ですので、次は情報共有と理解を深める対象は学校です。
小学校は個別対応が可能ですが、中学校からはそのようなことができず全体主義の教育と生活指導だけになります。
いろいろあったりもしますが、子どもに対しての理解とフォローも得られる、社会の中ではとても安全な部類の場所である小学校です。
小学校のうちに先生とぶつかり合うことがあったとしても、自分のメンタルの保ち方や、適切な意見の伝え方、自分の正義が通用しない時にどうやって周りと交渉していくのか。そのような類のことを練習しておいてほしいです。
家庭、学校、チーム…
関係者の中に悪者を作り出さない。
学校というのはシステムだから、教育要項もあるし様々な先生方・生徒方がいても、一定の成果が上がるように仕組まれています。そこにハマれないとき、うちみたいなケースや不登校もあるのだろうと思います。
ですが、私は先生方が悪い人や、自分の理想的な教育よりレベルが低い人というような、ネガティブなものの見方はしないほうが良いだろうなと思います。
実際のところ私にとってはどの先生も良い先生です。モノの見方なのかも。実際に子どものことで対処が必要になることもありますが、それはそのトラブルにまず対処対策することが大切で、=(イコール)ダメな学校や悪い先生というふうにはならないです。(私の場合…ですが)
子どもの目で見て「なんて先生だ!😡」ってプンプンになったとしても、それでも、それもすごく良い先生です。どのような視座、広さで物事を見るかにもよりますね。絶妙な嫌味と大人の狡さを入れてくる年配の女性教員さんに、うちの子は大反発しましたが、それも人生の経験ですし、広い目でみると悪いことじゃないです。校長先生ともカウンセラーとも話しをしたり、色々な経験値積んだね😁
ちなみにその先生はハリーポッターのドローレス・アンブリッチ先生にそっくり😆
私は常に子どもの味方ですが、私が家庭内で気を付けていたのは、だからと言って「パパを悪者にしない」ということです。私も、子どもも、パパも、それぞれが独自性のある人間です。それぞれが自分の思う通りに生きています。そして全員が大切です。
トラブルや心が苦しんだとき、子供に親身になるあまり、つい反対側の立場に立つ人を悪く思ったりしてしまいますが、それでも、絶対に関係者の中に悪者を作り出さない。
これはとても重要なことなんだなと思いました。
実際にこの視座が身についてからの方が、とても周囲が平和になりました🕊✨
私的には大発見です!☺️
どこにも、誰にも、悪者を作り出さずに、自分自身や、子供や周りの人たちを大切にして過ごしていく。
お互いにわかり合うのに時間がかかる時は、誠実に少しずつ情報を共有していく。
悪者は作り出さない。
みんなの・それぞれの幸せのためには、少しずつ理解してゆっくり認めあう。それが遠回りのようで最短な道のように思います。
お読みくださりありがとうございました。
カウンセリングを受け始めた頃の記事です。⬇️
聞く準備、話す準備。「心が整ってから話しかける」
そんな工夫をしたりして、子どもと少しづつ向き合って行った頃です。
子どもが本心をいうことで解放に向かっていった時の話。⬇️
言葉に出せる。言える。認める。というのは
とても大切だなと今でも思います。