こんにちは☺️愛子です。
入学式や始業式もすぎにわかに忙しくなってきました。家業の仕事、学校や地域での父兄としての役割、家庭教育と、些細なことですが日々たくさんのことが発生し、でも割とさくさくと進んでいきます。忙しいか暇かといえば… まあまあ忙しいかな😶
先日、4月の北澤さんの遠隔ヒーリングを受けました✨✨最近はヒーリングの体感が軽く、より繊細になっています。
ヒーリングの体感を比喩で例えると、昔はオーケストラの交響曲のようにボリューミーで明暗や盛り上がりがあったのですが、最近は小川のせせらぎや風の音のようにさりげなく、心地よい小さな音のように変化してきました。そして今は音も消えて響きの波動だけを受け止めるような心地にもなってきました。超音波とか耳で感知できない振動数の波動が私を透過していく感じです。観念から発生するドラマが抜けたことで、そこにエネルギーを取られず、より高次の繊細な部分の浄化も始まっているのかなと思います☺️
最近は、人間としての基本の人生をまっとうに生きることがメインです。
形のない神や尊きものとしての記号の煙に巻かれず、教会や神社仏閣などの権威へ自分を明け渡さないでしっかり生きようというのは子供の頃からですが、ますますヒーリングが進むほどに、人間が作った過去の遺産を自分自身の人生に関連づけて引き入れるようなことはなくなりました。
正直、宗教ほど人間臭いものはなく、人間の最大の方便であり生臭いもの、血の匂いのするもの。として距離を置き冷ややかな気持ちもありました。しかし、本当に宗教とともに生き何千年も累々と折り重なってきた素朴な人々の想いと歴史には深い尊敬の念があります。
人間の思考の最大規模の創造物のひとつは建築です。私はその時代の人々の集合的無意識が豊かに様式化され、その時代の天才といえる建築家の思考の中を時間を超えて歩くような、歴史的な大規模建築物の見学が大好きです。特に宗教建築は至高の存在のために創られたものだから、本当に面白いです。
しかし、人間から生まれた宗教に人間を救うことも、人間を創ることもできないから、私は一人のシンプルな人間に戻ることができてとても満足です。
スピリチュアルについても同様です。
どうでも良いことですが、それでも私ままだナザレのイエスは好きです。でも、聖書ほど混乱している書物も多分ないんじゃないかなと思うで、その辺りを整理するためキリスト教や聖書の聖典化の歴史についての本は読み続けています。これも私の遊びでありクリアリングです🦄☘️✨
凡庸に見える今の私自身と、私のそばにいてくれる周囲の人たちと織りなす現在の世界を、ひたすらそのままに素直に生きて体験していくこと。それだけで1日1日が過ぎていきます。
一周回ってすごくシンプル。
でもそれだけで十分すぎるほどの愛も感じます。
愛の本質の捉え方も変わって、冒頭の北澤さんのヒーリングのように、無音の響きのように感じます。
日常の中にバタバタ、ガタガタがあったとしても、それがあったな。ということだけを認識できていれば良いだけなので、日々簡単です。そんな日常の中にも無音の愛が満ちているのだなと感じます☺️
でも自分で思っていたよりも、私は子どもたちと関わることも、自分だけではなく地域の中で見守り合うような子育ても好きだったんだなぁと知りました☺️入部前はもっと私はドライだと思っていたのにね☺️
お読みくださりありがとうございました🦄🌈✨