「きらいだから、もうやめる。」



若い頃は、こういうのが多かった。



人に対しても、
「うわ〜…」と思ったら、そこで終わり。



心を閉ざして、スーッと離れていった。





だから
彼氏のことで悩んでる友達に対しても、
「イヤなら別れればいいじゃん」
と言っていた。



私には、
イヤイヤ言いながら付き合っている
意味が分からなかったから。



代わりはいくらでもいるし、
楽しいことも他にたくさんある。



だから、なぜ??



なぜみんな、
ひとつのことから離れがたいのか
意味が分からなかった





だけど今は、



「そういうこと、だけじゃないんだな」
とも分かってきた。



好きなものを選べばいい、
きらいならやめればいい。



自分は何でも選べるから。



そういう前提のもと、
執着なくサッパリしてる自由さが、
私の良いところでもあったんだけど。



それだけじゃなくて、



関係を
続けていく


という新しいテーマを、
今はチャレンジさせられているようなのだ。



好きな人と一緒にいればいい、
きらいなら離れればいい。



それを超えて、



好きなところも、
きらいなところもあるまま
続けていく。


関係を、断たない。



大前提として、
「人のダメなところ」も容認している。



自分が人の態度に
「ムカついたり、傷ついたり」することも
容認している。



好き、心地良い、だけじゃなくて、
きらい、心地悪いも、あっていいか、って。




大前提で、
人への愛情がある。




だから、もう何があっても、なくても、
「いい」んだなぁと。



ごちゃまぜになって、
じんわり愛情が溢れてくるなぁ、と。



それって全然、諦めでも執着でもなくて、
天気や季節の変化に対する
「愛おしさ」と一緒。


それぞれ、良いよね、と。



雨の日も、夏の暑さも、
そのウザさが味わい深さなんだよね、と。



人のダメなところも、
自分がムカついてることも、
「それが味なんだよね」と。





きらいだから、心地悪いからやめるって、
大事なときもあるよね。



自分の意見を言うとか、断るとかね。
日本人は苦手な人が多いから。



でもそれって
「切り捨てる」ってことではないんだ。



ずっと
繋がっている



という大前提があるからこそ、
「今は、一緒にいたくない」。



「今は、やめる」なの。



関係を断つ、一生きらい、恨み続ける、
ということではないの。




大前提で、
人への愛情がある。


「人」って【自分】も含まれているよ。



いくつかの失敗や、
いくつかの不満だけで、



人や自分との関係を断たなくなった。



好きもきらいも超えて、



人も自分も超えて、
「愛おしさ」が溢れてきた。




すごく、しあわせ。



人のことが、もっと大好きになった。



人生の美しさに、
さらに感動するようになったよ。












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