こんにちは!KYOKOですニコニコ

 

ランチでワインを数杯飲んだら、、、翌日の午前中までお酒が残っていますガーン年のせいなのかなぁ?こんなはずじゃなかった。体調の変わり目なのか、、、経験ある方いますか??

 

 

また写真を撮り忘れたので過去写真です
カルディで売ってるノンアルワイン♡

 

わたしはモラハラ支配下から「モラハラは異常事態」という当たり前すぎる気付き(これ、経験者ならわかると思いますが渦中にいるとそれが異常事態と認識できないあせる)を経て、そこから抜け出したい一心で潜在意識やこの世の仕組みを学んだのですが

、、、

 

その過程で、自分を大切にすることと向き合いました

 

自分を大切にする

 

はじめはその言葉の意味がわからないくらい

自己肯定感も自己効力感も低く

 

自分なんてどうでもいい

どうせいつか死ぬし

いてもいなくてもどうにかなるし

どっちでも良い存在

 

そんな風に自分を捉えていました

 

どれくらい自分を大切にできなかったかと言うと

 

真冬に暖房を入れることに罪悪感を持って

厚着してぶるぶる震えながら

他の家族がいる時だけエアコンをつけて

エアコンがついている間は

暖気が漏れないよう

ちゃんと戸が閉まっているか監視して

怯えていました

 

エアコン運転中に戸が開いていると

その度に夫から怒られました

 

電気を無駄にするな

電気は地球資源を使ってる

地球環境に配慮しろ

 

エアコンの暖気が戸から逃げることで損なわれる1円以下の電気代より自分の価値を低く捉えていました

 

自分には価値がない

 

そんな風に自分を捉え扱っていると

現実は内面の投影なので

モラハラとして現象化します

 

なーーーーんて

 

今なら冷静に言ってみることもできますが

 

自分を大切にすること

 

はじめはすごーーーーく

難しかった!!!ショボーン

 

土台として体が動かないし

やる気もないんです

自分を大切にとかマジ意味わからん

と本気で思ってました、、、

 

自分に甘々でいい

自分のすべてに〇をつける

自分の願いを叶えてあげる

 

色んな人が色んな表現で教えてくれますが

 

抵抗もあるし

どうやるの?って感じ

 

自分を許可する

人生を決めるのは自分への許可の広さ

 

なんて情報も飛び込んできます

 

って言われてもねぇ、、、

 

そんな風に思えないんですよね、、、

 

 

そこから脱出するキッカケをくれたのは

独身時代をよく知る古い友人たちでした

 

無職になって時間があったので

昼間に会える古い友人たちと

何年ぶりかのランチに行きました

 

メニューを見て

 

うーん、なんでもいいや

一番上のでいい

 

と言っている私を見て

 

えええええ!

らしくないやん!

どうした!?

あかん、これはリハビリが必要や、、、

 

という反応が

別々の友人から

異口同音に返ってきました

 

あれ

 

自分はこうじゃなかったんだっけ?

 

これが自分らしく

自分を大切にしはじめる

手掛かりになりました

 

KYOKOが食べたいもの選べないなんて

 

何かがおかしい

 

と、周りの人が言ってくれて

それが続くことで

今のわたしは何かがおかしいと

歯車が狂っていると

やっと認めることができました

 

このキッカケがあってから

自分の望みを叶えてもいいのかもしれない

食べたいもの食べていいのかもしれない

と次第に思えるようになってきました

 

その時はまだ

自分は弱い人間と決め込んでいたので

人から言われたことに

モロに影響されていました

 

夫から言われる

 

お前が何をやってもダメ

腰が重い

家事も満足にできない

 

にもモロに影響されていましたが

 

友人たちに言われる

 

ランチを選べないKYOKOはおかしい

 

にもモロに影響されました

 

それが自分を変えていくきっかけになり

今ではわがままKYOKOが戻ってきています笑笑い泣き

 

他人の言葉に影響される人間ほど

信頼する人からの

前向きな言葉がけが有効

 

主導権を他者に渡し

夫の言葉を真に受けてきた私

 

でも友人がいてくれたことで

そちらの言葉も真に受けることができた

 

明日はその後の具体的な行動と変化を記そうと思います

 

読んでいただき、ありがとうございます!乙女のトキメキ

 

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特定の手法に限定せず、対話を通して無意識の思考癖、パターンを掴みます。

 

思い込みの世界の中で、自らの思考癖に自ら気がつくのは難しいものです。

 

対話の相手がいることで、相手がミラーとなり、自分の姿が見えてきます