*2022年8月に文章を修正

 

 平成5年4月、俺は地元の田舎の高校を卒業して、鹿児島市にある専門学校へ進学することになった。

 

 実は俺、小・中学時代はそこそこ友達はいたものの、内気で引っ込み思案な性格だった。その性格が祟り,中学3年生の頃はイジメにもあっていた。「何とか卒業すればイジメから逃れられる・・」
 そんな思いで中学を卒業した。高校に入り「またイジメられるのはイヤだ」と思って、自分から積極的に友達を作って、クラスで目立つような存在になりたいと思うようになった。中学時代に俺をイジメたヤツも同じ学校にいたが、学科が違ったので何とか標的にはならなかったものの、結局、クラスで目立つような存在にはなれなかった。でもまぁ…中学の頃みたいに嫌な思いをしなかったからよかったけどね。

 

 

 そんなこんなで専門学校生となるのだが、「今度こそクラスで人気者になれるくらい友達を作るぞ」と意気込んでいた。俺が選んだ専門学校には、中学時代までの同級生は1人もいないし、高校時代のクラスメイトが何人か一緒だったけど、それなりに気心合う奴らだったので、ホント「これまでの俺の暗い過去を知るヤツは誰一人いないから、今度こそ本当に今までの俺をリセット出来る」と心底思った。

 

(曲解説)「揺れる想い」
 俺が専門学校時代、B'zを筆頭に,ZARD,WANDS,T-BOLAN,DEEN,FIELD OF VIEWといったビーイングアーティストが大ヒットしていました。この曲に特に思い出はないんですが、この頃に大ヒットしていたなと。

 

 

 

 専門学校となるといろんな地域から集まってくるので、話をするキッカケがなかなか掴めないものである。しかしそれはみんな思っている事だし、俺から話しかければ相手も「新しい友達」が出来ることを嫌がるヤツはいないと考えた。
 そのため、まず手始めに、自分の席の前と後ろに座っている人に自分から声をかけた。そして仲良くなった。また、通学途中「あれ?アイツ同じクラスのヤツじゃなかったかな」と思って自分から声をかけて仲良くなったヤツもいる。


 入学して1ヶ月ぐらい過ぎると、(俺中心的な表現で申し訳ないが)俺のグループも含め、いくつかのグループが出来き、昼食時間や休憩時間もそのグループ単位で行動するようになる。

 そこで俺は、他のグループの誰か1人と仲良くなろうと話かける。そうすれば俺もそのグループにとけ込めるし、俺のグループの人達も、そいつらととけ込める。つまり俺が先陣を切って他のグループに入り込めば、あっという間に友達の輪が広がるという考えがあったからである。

 

 そうやって過ごしたら、ホント、専門学校ではいろんな友達が出来た。元々専門学校というところはヤンキーなヤツは来ないので、そういった部分でも最初から俺と気心の合う人達ばかりが集まったんじゃないかな。

 

 同じクラスには3つ年上の先輩もいた。その人は元々、鹿児島大学の学生だったのだが、自分が思い描いていたのと違っていたため、休学届けを出してこの専門学校に来たらしい。ある日、席替えによって俺の席の前になったのが運のツキというか(笑)。例によってさっそく俺からいろいろと話しかけるウチに、俺のグループと仲良くなって一緒に行動するようになった。

 

 

(曲解説)

「IT’S ONLY LOVE」福山雅治
 この頃、福山さんが大ブレイク、そしてダイドーブレンドコーヒーのCMにも出演してました。なので、カラオケでこの曲歌うとみんなポスター破く真似をしていた(笑)。

 

 

 後から本人に聞いたのだが、「新しい友達が出来るに越したことはないが,大学経由で専門学校に来たから同じ歳のヤツがいないし,だったら無理して友達を作らなくていい。資格を取って就職決まればとっと辞めるつもりだった」らしい。ところが俺らのグループと一緒に行動を共にするようなってから学校生活が楽しくなり、目標にしていた資格取得後,親に電話して「学校生活が楽しいから卒業まで居させてくれ」とお願いしたんだそうで・・。もちろん俺だって一緒に卒業したかったしね。


 

 その人は年齢が上だといこともあって「先輩」というあだ名を付ける。もちろんそれは相手に対しての敬意を称したもので、こういった部分は中学校でイジメにあった教訓がある。「相手が嫌な思いをするようなことはしたくない」という事を、身をもって経験したからである。