こんばんは
今から書くことは少しだけ難しいかもしれません。ですがこれは伝えるべき事象なので端的にお話させていただきます。
まず、この世界には理解不能なことが多々ある事。それを何かと探せば探すほど永遠の迷路に入り込み、正解という出口からは進めば進むほど離れること。残念ながらこれが世界です。
具体的な例を出すとするなら、哲学が一番わかりやすく感じます。人間の考える思考をなぜと考え始めてみると最終的に行き着くのは無。あると思えば思うほど、考えて考えるほど、すべてが無に帰ってくる。そんな理不尽あるかともがいてみても最後は無。かなしい。
でも一つだけ光がある。それは感動できること。すべては無価値で無であるけども、雨が降った後の夕日の美しさ、静かな時間に現れる朝焼けの美しさ、ほかにも多々あるがこれを目で見て美しいと感化する心だけはどれだけ考えても無に行き着かない。人間には図りしれない美しさをもうすでに持っているからだ。
だからこそ、仕事、友達、家族、そこをうまくやろうとしても永久に報われない迷路に入るだけ。だからと言って、人間関係を適当に過ごしていいかと言うとそれも違う。それを実行したら君には必ず不幸だと感じる事が起こるだろう。ここは事象と結果をわけて考えないといけない。
ここでいう、友達とは、なんでも相談できる人、会って笑えるそんな人のことを指す。この言葉だけを見ればそれは一見素晴らしいものに見えるが、人間とは同町を重んじる習性があるせいで、楽しいだけで終わらず、問題が増えてくる。
それは相手に合わせるために自己を捨てる場面だったり、自己の範疇を超えて尚リソースを使わなくてはいけない場面だったりと疲弊することはたくさんある。
それをなんだかんだ曖昧に許せるから長く続くわけだが、これにもいつか限界は来る。唐突に。ああ大変だ。
ではどうしよう。君はそんな場面に直面したらどう行動するだろう。
ここで大事なのは無を思いだすということだ。ここで言い返してもそれを夜な夜な考えてみれば言い返した正論なんて、ちゃんと無に帰ってくる。疑うなら自分がしたことないまでなぜ?を思考してみるといい。人間はわからない事に直面すると無になるようにできている。
無だとしてもそうじゃないとしても結局は無に帰る。ほら、君も死ねばそれは無だ。
だからって悲観することはないと思う。無だからこそ楽しめる事象がたくさんある。そう思えるだけで今までの不幸は幸福に変わっていく。不思議だけど実感するとこれが深くわかる。
この世界に存在する人類が共通して大事にしているものがたった一つだけある。お金だ。
どれだけおもしろい映画でも、どれだけおもしろいゲームでも、全世界の人間がみな好きかと言われたら確実のいいえと答えられるとおもう。
でもお金は別だ。人類が生き残るための術であり、寿命を全うするためになによりも必要なものだからだ。
だからこそわかりやすくもある。
お金を無駄に使ってしまうと、悲観して落胆する。自己が求めたものを長い時間をかけて手に入れたときはひどく楽観する。
だか、これにも一つだけ無がある。
お金という存在を第一に考えるのが人間だ。そのためには自己の健康を犯してまでそれを欲し行動するだろう。無な空間にいてどれだけお金を手にしようとそれは無なのにも関わらず。
でも、それが欲だ。煩悩だ。
それにはどれだけ自己は強いと自負している人でも簡単に負ける。
それを欲する瞬間はなぜ?なんて問いは欲というものでかき消されるからだ。だから永遠に続く。欲しいものは手元に増えているのに、欲はそれに反比例して増えていく。連鎖は始まったら止まる事知らない。
山に籠る賢者ですら、山をおりマックを食べにもどり、また山へ帰るように。
こんな愚かでくだらない事はない。でもそれを悪いとも思わない。こんな俯瞰してみているつもりの私も同じ行動をするからだ。
一度得た幸福は忘れない。だから厄介なのだ。くだらないと思っていても、思ってなくても結局は同じ行動を繰り返す。現実から目を背けず、自己と向き合えば君にも心当たりがあるはずだ。
深く考えてお金を使おうと浅く衝動的にお金を使おうと、その価値は君からみたら雄大だが私からみたら無価値だ。この逆も当たり前にある。
だからこそ、悩みはつきない。だからこそ思考は止まない。
そんな世界で君たちはなにを考え、行動するのか。それが楽しみで仕方がない。