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社会復帰奮闘記

大うつ病から双極性障害へ
私が体験した絶望から復帰への奮闘記

2・否定

引越しが友人や上司のお陰で無事に終わり、一息ついた時でした。
もう私に食事を作る力や掃除をする力、ベッドから起き上がる力すら残ってなく、
更に体力が回復しない、毎日泣いてる生活で、微熱だった体温も38℃をうろついてました。
その中でも迫ってくる仕事、、、上司に頼んでシフトを変更し、平日はほぼ休みといった状態なのに
なぜか恐怖を感じるのです。

ちゃんと仕事ができるのか、私が足でまといにならないのか、また仕事でしんどい思いをしなければならないのか。

不安と恐怖とずっとずっと戦っては安定剤を飲み、それを繰り返す生活でした。

しかし期日は近づいてくる。仕事はこなさなければならない。


当時、うつ病に悩まされ寝込んでいたときのつぶやきです。
普通に20連勤、、、今思えばゾッとする数字です。
そして仕事という宗教にどっぷり浸かっています。

仕事のために体調を整える
仕事のために熱も省みずこなしていく
仕事のために何も食べれなくともこなしていく
仕事のために 仕事のために

自分の心身が悲鳴をあげているのをこうやって呟いているくせに
仕事という宗教に捕らわれ、どうにもできない自分がそこにいました。

仕事のためなら自分がどうなったって構わない
仕事が私の全て

ぐるぐると頭を駆け巡る宗教の唱え。
それが生活をじわりじわりと崩壊させるのも知らず
私はずっと信じ続けてきました。

仕事が私の全て。

何故こうなったしまったのか。
原因は性格にもあるでしょうし、そうならざるを得ない環境でもありました。

私は頑固でプライドが高く、常識を逸脱したものが大嫌いでした。
そしてYESマンでもあり、引き受けたものは絶対にこなさなければ気が済まない
そんな日本人ならではの性格です。

それがこの病気では裏目に出てしまい、拍車をかけてしまったのです。
頼まれてしまったものはどんなに体調が悪くてもやってしまうし、
うつ病を怠け病だと決めつけ、ムチを打って仕事をしていました。

そして環境においては一人暮らしで稼がなければならなかったし
両親の仕送りもありましたが、自分一人で生きていくとどっかで決心していたので
あまり使うこともなかったのです。

そして上司の存在。私と二人三脚の上司はほぼ休みがありません。
しかし上司は10年を超える業界ではベテランの位置にいます。
私との仕事の疲労はご理解のとおり、違いが出てきます。

常に緊張をしている私と、ベテランが故に気を抜けるところは上手に気を抜く上司。
どちらが仕事で心身を摩耗するのかは明白で、もちろん私です。

上司と私、仕事の量という比べてはいけないものを比べ、そして私が劣っていると知ると

早く追いつかなければ

という焦りが出てきます。
その焦りは仕事をこなすことで解消できると踏んだ私は

仕事をすることでその焦りを解消することができると思ってしまったのです。

宗教に近いものに入り浸ってしまった私は
生活がボロボロと崩れていくことも目をそらし
ただただ目の前にある書類に目を通していく。
そうするしかなかったのです。
緊張と不安の日々を背負い、ずっとずっと頭は興奮状態でした。



そしてある日の現場の帰り道、私は倒れました。