昼寝してたら、やって来た2人組。

私は寝たふりしてたら、旦那が出てくれた(笑)

ニコニコ顔で「あ、ものみの塔さんね!うちのも以前やってました」

あらま、余計なことを…

「病気になって今やすんでるようです」

またまた余計なことを…

でも、それで帰ったようです。
多分、いつもそうやって旦那が出るから、私のこと知れ渡っているんだな。

五分後にまた2人組が。

団地内でダブらないように、ちゃんと管理して下さいな。

それにしても旦那のナント優しい応対。
遙か昔、王国会館に怒鳴り込んで、我が子を震え上がらせた人とは誰も想像出来まい。

これは元2世さんたちのおかげです。
今までお会いした方々が、素敵な若者ばかりで、旦那お気に入りで(笑)
すっかりJWの先入観が変わりました。

ありがとうございます。

昔、お世話になった姉妹がいました。

 

ラインの「友達自動追加」にしたら

 

その懐かしい姉妹の名前が…

 

私、思わずメッセージ入れました。

 

直ぐに既読になったけど

 

やはり返事はなかった。

 

私が組織に疑問をもったので離れた事を

 

彼女は知っているので

 

だって一番最初に話したのが彼女だから

 

彼女、さすが開拓者

 

私のような、「なんちゃって姉妹」の考えに影響される訳がない。

 

いったい組織がどこまで落ちれば、気付くのかなぁ。

 

でも、なんだかなぁ

 

あんなに仲良しだったのに、やはり口もきかないんだぁ

 

お互い、残された人生の日数はそんなに多くないのになぁ

元気にしていますので優しいアメブロの皆さま、ご安心下さい。

 

実は、最近ミクシイなるものを覗いて、私の通った小学校名を見つけまして、懐かしくてググってみたら、「駄菓子屋」のタグがありまして、

そこに、なんと、なんと、私がその名前を呼んだだけでも目がウルウルになる祖母の事が書いてありまして、

これはもう、ここで書いた「こころの故郷」の最終章として、書きたくなりまして、

舞い戻って来てしまいました。

 

ただ、なにせ昭和30年代の思い出。分かる人しか分からないだろうなぁ、と言うことで「高齢者65歳以上限定」と、あえて書きました。

 

私の家は「駄菓子屋さん」

そうです、小奇麗な「お菓子屋さん」じゃなくて、小汚いイメージの「駄菓子屋さん」。

店先が我が家の全ての出入り口。

そこに祖母か母がデーンと座っていて、そのお尻を分け入って上がり、中に入ると4畳半の畳の部屋がある。そこが我が家の居間なんだけど。夏以外はそこが「もんじゃ焼き屋さん」にもなる。

これって何なんでしょうねぇ、「婆さん、駄菓子屋、もんじゃ焼き」

3セットで、すっんごいイメージが沸くと言う。

当時の浅草でも「婆さん、駄菓子屋」までは良くあったけど、「もんじゃ焼き」まで揃ってたのはそんなに多くなかったように思うのだけれど。

 

そんな家に生まれた時から育つと、家業が「恥ずかしい」と言う気持ちがなかった。小学生までは。そう、小学生まで。

いつも同級生の悪ガキどもが店先にタムロしていて、遊び相手には困らなかったから。

思春期を迎える中学生にもなると複雑でしたが、(以前にも書きましたが)今ではそんな環境が自分を作ったのだと分かるのですが。

 

それで今日は突然何を書こうと思ったかと言うと、ミクシイの書き込みから思い出した事がありまして。

 

皆さんの時代、駄菓子屋さんの一番人気って何でしたか?

「くじ引き」って知ってます?

当時、男の子の間では一番の売れ筋で、確かプラスチックのピストルとか、プラモデルや、女子には理解しがたい何かが吊るしてあった記憶があります。

でも一等は絶対に当たらないようになっているのを知っています?

最初から外しておくのが鉄則です。

最初に当たってしまったら、誰もそのくじ引きしません、ハズレのまずいお菓子が残るだけ。

店は大赤字。

だから二等、三等は当たっても、一等だけは最後まで当たりません。

ある男の子が、一等の賞品がどうしても欲しくて小遣い全部をはたいてくじ引きをしました。

あと残り数枚、もう少しで一等、と思って目を輝かせたその時、お金がつきました。

婆ちゃんそこで

「もういいから、一等はアンタのもんだよ、持っていきな。でも小遣いをこんなふうに一気に使っちゃあだめだよ、いいね」

これが母なら、「はい、アンタ終わり」ってなるんだろうなぁ、笑っちゃいますね。

 

4~5人の集団で来る子供たち。子供の世界にも小遣いの貧富の差があります。

どんどん買う子もいれば、それを黙って見ているだけの子もいます。

他の子共がくじ引きに夢中になっているすきに、そっとその子に「一回だけくじ引きな」って、

婆ちゃんらしい。

 

「婆ちゃんのもんじゃ焼き」はね、今でも我が家に引き継いでいるのですよ。

貧乏人子沢山の家の定食として。

だって基本、小麦粉、キャベツ、ウスターソースだけあれば何とかなるでしょ。

それに我が家では子供たちのお腹を満たすように焼きそば麵を加えます。

好みで絶対欠かせないのが細切りイカ、紅ショウガ。

お金が無くなった時はいつももんじゃにどれだけ助けられたか。

オコゲが大好きで最後にジャンケンで取り合いになります。

今ではお嫁さんまでも「お母さんのもんじゃ焼きが食べたいです」って言ってくれます。

 

あの狭い空間、なんとも懐かしい不思議な世界でした。

何気に見つけたミクシイの書き込み

「○○の駄菓子屋のもんじゃ焼き美味しかったなぁ」

「お婆ちゃんの笑顔…」

私のまさに心の故郷でした。

 

ブログ書くの、本当に久し振りで、緊張してます。

 

正直なところ、もう何も書く事がなくなったので、多くの先輩ブロガーさんのように自然消滅かなと思っていたのですが、ご心配下さる優しい方もおられて…

考えてみたら、私の病気が病気なので黙って消えるとかえって心配させてしまうか、と

やはりブログ休止をちゃんとお知らせすべきかな、と思った次第です。

 

今まで、私のブログに絡んで下さった多くの方々、本当にありがとうございました。

本音を隠したJW世界にいたから、「本音で語りたい」と言うタイトルで始めたこのブログ。

コメント頂けることがこんなに胸躍り嬉しい事だと、このブログを通して知る事が出来ました。

そんな私もやっとアメブロ卒業の気持ちになりました。

 

そんな気持ちになったのは、私の後に脱JWした方々が書いている沢山の素敵なブログのお蔭です。

どれもこれも感性豊かで、楽しみに読ませて頂きました。

若い方々のブログは勿論ですが、ここ最近の事として、私と同じような年代の方々が覚醒されてブログを書かれていることが何より嬉しいのです。

 

私は吐くだけ吐いたのでもうバトンタッチかな、と言う心境です。

このアメブロで沢山の方と知り合えました。

若い方から教えられ、学ぶことばかりでした。

特に2世さんは人として魅力的な方ばかりでした。

JWに身を置いたゆえに、彼らと出会えたのであるならば、私の20数年の人生もよしと思えます。

 

それともうひとつ別の理由もありまして。

持病の「友の会」のお手伝いも忙しくなりました。

患者主体の会なので、パソコン出来る人が少ないので、入会後すぐに声掛けられました。

大会運営のお手伝い、会報誌の作成、交流会、講演会の準備、私のような者でも少しお役に立てています。

患者同士の集りは、慰め合うのではなく、元気を貰えるのです。

この病気でなければ知り合う事の出来なかったような素敵な人がいっぱいいます。

患者だけでなく、それにかかわる関係者も、人間的に魅力のある人が沢山いるのです。

 

そうした中で、私は治療の一つとして脳外科手術を受ける決心をしました。

ただこの手術は、この病気になったすべての人が受けるものではあません。

個人の責任で決定するものです。

手術をしたから完治するものではなく、病気の進行が止まるものでもなく、しなくても死ぬわけでもありません。

数年前の状態に少しだけ戻ると期待できる、それだけなので一部の人しか決断しません。

頭に穴を開けて、針を差し込む手術を全身麻酔ではなく覚醒した状態でするのですから、

恐いのですワ、正直。

脳深部刺激療法(DBS)手術と言います。

 

先日、あるミュージシャンの方が私のように決断して手術に踏み切ったニュースが載ってました。http://hot-fashion.click/2016/06/26/post-7628/

 

私の場合、友の会のお手伝いをしていたご縁で、東京の大学病院の名医を紹介して頂きました。本当に幸運な出会いでした。

11月中旬の手術を、今、ドキドキ、ワクワク、ジッとまっています。

私のような難病患者は、心のどこかで「今を生きるか」「長く生きるか」の選択をして生きています。

私は目の前の今を精一杯生きようと思います、後の事はケ・セラセラ。

 

今まで、こんなおばさんのブログにコメントやメッセで絡んで下さった方々、

また直にお会いして、お酒に付き合って下さった方々、

本当にありがとうございました。

 

時々、皆さんのブログにコメント残すかもしれません。

夫との夫婦生活にまた、あったまに来たら記事書くかも知れません。(その時はよろしく)

 

本当はここに、おひとりひとりの名前をあげてお礼を言いたいのです、

でもきっと私の気持ちは伝わると思いますので…

皆さん、今まで本当に

ありがとうございました。