とんでもない現実に気づいてしまいました。
まあ久しぶりにわたくし昔に執筆したブログを見ていたのですが、まあなんと素晴らしい文章。
今みても本当に感嘆いたします。素晴らしいです。
それはいいのですが!恐ろしいことがあります。
なんと、
今のわたしにはおそらくこの文章を書けない
という事です。
簡単に言うと、心・精神性が成長/退化してしまったのです。
以前はですね、ブログを毎日書いておりました。
ですから文章能力もありました。
そして、今とはちょびっと違う生活をしていました。なので思考力も素晴らしかった。
ですが、数ヶ月わたしはブログを書くのをお休みしていました。いや、ブログよりやりたいことを見つけたのでやっていました。
そしたら退化しました。それだけです。
人間とは、もともと天才なのです。
なのに、ほかの人間と交わるせいで凡人になる。
これが結論です。
例に出してみると、幼少期です。
あなたは好きなように生きています。好きなように遊んで好きなように絵を描き好きな物だけ食べて、というように。しかし、周りには友達や先生がいます。学校に通います。自分の価値観や常識を統一されます。
好きなように遊んでいたら他者から非難を受けたり、好きな絵を書いていたら他者からバカにされたり、好きな物だけ食べていたら周りの目を気にするようになり、、、
周りの目を気にするようになります。
というか、周りの目に邪魔され、妨害されます。
その結果あなたの個性は失われ凡人になるのです。
では天才や偉人になるにはどうすればいいか、
それは己を貫くことです。
周りからどれだけバカにされ非難され貶され虐められ疎外され見離されても、自分を貫いたやつです。
そいつは、感性が退化していません。平均化されていないのです。人間本来の力を発揮している。
だからこそ後世語り継がれる偉人となれたのです。
しかし、後世でちやほやされても当時孤独なら悲しいですね。というか、人間の愚かさが詰まっている気がします。
人間は、弱い者(A)などを排除しようとし(いじめ)、
その結果(A)は個性を深めるが社会から孤立する
(A)は平均化されないので、作品を生み出し続ける
社会は凡人が9割なので、特別な能力が無い。
その結果ないものねだりで、(A)が残した才気溢れる作品に魅了される。
しかしその頃には(A)は死んでおり、チヤホヤされることは無い。
という感じ?まあこれはめちゃくちゃ仮説で、めっちゃくちゃな文ですはい。
色々試行錯誤して文を書いた結果、
いまの私は本質を呟くときでは無いようです。
内容が無いようだ。
ということで、なぜ今本質をつぶやくときでは無いのか、説明します。
私の人生、というか18歳のころには波がありました。、
気になったので、18歳の頃、いや、女に目覚めた時からのことをお話しましょう。
エピソード0:初恋(17歳)、振られ病む、女遊びしようとするもできない。女性経験ほとんど無いまま受験勉強へ。
本編:18歳
童貞卒業→女に飢え始める時期→女と話しまくる時期→女にドキドキしている時期→女と幸せな時期→別れて悲しむ時期→勉強するも女と遊ぶのを我慢している時期→我慢が爆発しめちゃくちゃになる→ほんのちょっと女遊びする時期→女も誰もおらず、自分の感性を伸ばしている時期→女と嫌になるくらい遊んでいる時期→超絶落ち着く→この女で最後にして勉強再開しようとする→女にどっぷり浸かる→女と幸せな時期 👈ここ今
という感じです。私の18歳の1年間はですね、はっきり言うと、「女」でした。
ずっっっっっっっっっっと女のケツ追ってました。
まあ今もなんですけど。
でまあ、よく見てもらえばわかるんですけど、
「女も誰もおらず、自分の感性を伸ばしている時期」があります。
女遊びしている期間の間に、賢者タイムみたいな時期があるんですよね。そう、これがブログを執筆していた期間です。
この時私の思想や考えはかなり強くなっていました。なぜならひとりぼっち、孤独だったからです。
時々たまにセックスする女はいましたが、非常に浅い関係で本当にセックスしかせず、正直嫌いでもう今は会っていません。
つまり、このとき家族以外本当に女も友達もほとんど関わっていなかったのです。
それと比較し、今の話をします。
正直言うと、今の私は幸せです。
なぜなら、女に困っていないからです。
女と同棲していて、一緒にご飯作ったり遊びに行ったりセックスしたり、共に生きているのです。
18歳の頃を見れば分かりますが、あんだけ女のケツを追っているのでもちろん今でも女が好きです。
その女に困らない生活をしているのですから幸せです。言ってしまえば、堕落しています。
現状に満足してしまっています。
これが答えでしょう。
現状に安堵し、怠惰な生活を送り、やりたい時にやる。これが今の私の生活です。
そりゃ感性も落ちる。
かつての鋭い言葉でバンバンこの世の真理を発信し口撃していた私はもう薄くなっています。
今は女好きの要素が多い。つまり、
私の感性や思想↔女のケツを追う
ということです。
両立できない、併存できない、対極にあるもの。
東と西、犬と猿、水と油、アメリカとロシア、高齢者と餅、僕とあの頃の君、、、、なのです。
もし私が女と出会っていなかったらどういう道を辿っていたでしょうか。かなり気になります。
己の才能を伸ばし続けたのか、、はたまた高校の延長で凡人生活を続けていたのか、、、しかしですね。今のこの立場で考えてみると、圧倒的に今の道の方が正しかったと言えそうです。
しかし、これは私自身の主観、私の幸福や幸せを加味した答えです。客観的に文化的資産や文化的な価値を考えた場合、私は女に出会わなかった時の方が、それは圧倒的に正しいと言えるでしょう。
私は今よりもはるかに画力・想像力・感性が発達し、歴史的財産を生み出していた可能性もあります。
しかし、今は今です笑笑笑
楽しいのでおっけーです。
でも、過去の出来事を修正して、想像するのは非常に楽しいですね。
まあ色々話したんですけど言いたいことは、
いまの私は本質を発信するときでは無い。
また孤独になったときに会いましょう。