数日前にいきなり理解した。


引き寄せや潜在意識界隈で言われてる「思考は現実化する」が「嘘」だって。


「良い気分でいることが大事」も、「先に内面で叶ったつもりになれば現実でも叶う」も「嘘」だ。


急にわかったよ。


今まではてっきり自分の内面の在り方が外に投影されるんだと思い込んでたけど、それは間違いだった。


そもそも矢印がまったく逆だったと気づいた。
「望んだから叶う」んじゃなかった。



以下ちょっと壊滅的な語彙力で説明してみる。




例えを「PS5」にする。


たとえば少し前の話だけど「PS5が欲しいな」という願望をもったとするじゃん。


で、その人はいくつか抽選に落ちて悔しい思いしながらもついに最後はとうとう当たって購入できたとする。


その場合、なんで実現できたのか?って話になるけど。


ここでふつうの常識的な考えだともちろん「自分が諦めずに頑張ったから」あるいは「運、タイミングが良かったから」とかもっともな理由を付ける。


というかそもそも自分が「PS5が欲しい」と望んだから、という起点を当然として疑わない。


そんなん当然じゃん、てふつうは思う。
欲しいと思ったから、そのために手に入れる行動をとったから叶ったんだと。


でもそれは違ったと気づいた。


本当はただそう自覚するように、後付けでエゴに「錯覚」させられているだけだったということ。


あたかも自ら自発的に判断なり行動したから達成できたのだと思い込ませられているだけ。


「PS5が欲しい(願望)」→「現実的な色々な行動(プロセス)」→「PS5を手に入れた(結果)」


という、いかにも意識が納得しやすい順番にもっともらしく組み立て直されてるだけ。


本当は「PS5を入手した」→「PS5が欲しいと思いつく」の順番が正解なんだ。


もともと「PS5を手に入れた」という事実は初めから固定済み →  それに合わせて、自分の意識が「自分がPS5を欲しいと望んだからこそさまざまな行動をして手に入れた」というまぼろしの「私がPS5を入手するまでストーリー」を認識させるために、時系列がまるで逆の錯覚をわざわざ起こしているだけ。


ただそれが何のためだとか、自発的に行動したと錯覚させる理由は何なのか?というとその辺はまだ全然わからないんだけど……。


しかし「願望」っていうのは結局あとから付け足される反射的なもので、ぜんぜん崇高なものでも無ければかけがえない希望の意志とかでも無いよってことはわかった。


今のところ何が言いたいかというと


例えばあなたが苦労してPS5を手に入れた翌日に、兄弟がベランダからそのPS5をいきなり放り投げて破壊したとする。

しかしそれはあなたの管理不足とかのせいではないしましてやPS5をぶん投げた兄弟のせいでもない、てことです。責任はどこにも発生しません。

さらにはベランダからぶん投げたことが「原因」ですらありません。


そこには「破壊されたPS5」という結果が、揺るぎない前提として固定されているだけ。


あと逆にPS5をすんなり手に入れたからといってべつに運が良かったわけでも無いし、その人の判断や行動が優れていたわけでもないってこと。


ぜんぶ結果ありきで付け足されるわけなので、エゴが納得する形でそれっぽい思考や動機が先回りで辻褄合わせで構築されてるだけだ、と気づいた。




だから「思考は現実化する」は、「嘘」だとわかりました。順序が逆です。




おしまい。