今日あった事をブログに書こう。

 

 アプリを立ち上げる度に目に入る言葉、そう言われてもなかなかどうして。嗚呼そうかわかったじゃあ書こう、どうせ仕事中だ。

 文章構築というのは本当に面白い、何処かで見聞きした情報を集め、自分に照らし合わせて組み立てる。パズルの様な、プラモデルの様な、そんな工作をコソコソと仕事をサボりながら認める第十九回。

 

 我々は運命共同体だ。同じ星の元に生まれ、同じ時間軸において生活をする。住んでいる場所や環境によって境遇は大きく違うが、まあ人間としての生は同じである。

 職場という環境の、今隣にいる男性も、きっと食事で栄養を取り睡眠によって休養を得る事もきっと同じに違いない。

 空を仰ぎ見て、都内からでは満点の星空とはいかないが、夜空のその先の宇宙に想いを馳せる。地球を大きく離れ、太陽を通り越し、銀河系を抜けたさらに先、そこには我々と同じような生命体は存在するのだろうか。

 未開拓な闇に浮遊する多くの惑星、その中で生命を営む事ができる環境を持った星の存在はきっとゼロではない、人知を超えた果てしないその先にはきっと多くの可能性が眠っているに違いない。

 人類には限られた時間がある、惑星の寿命が潰える時、我々の命も共に消えゆく運命なのだろうか。人類はその運命の時間に抗い、SF映画の様に地球を脱出し新天地へ向けて旅をするのか、将又母星である地球と運命を共にし、消えゆく時間を全うするのであろうか。

 人類最後の瞬間の景色とはいったいどんな風に写るのだろう。もし可能であるならば、三途の川に留まりその瞬間を亡霊になりながら見てみたい。

 そんな宇宙の壮大なスケールに比べれば、こんな仕事をサボる事など、とても小さく刹那的な現象であるが故に問題はない。

 

 宇宙的規模から個人的観点に戻り思案する。何故こうも人というのは小さき存在なのかという事を。

 

 深夜、会社には自分を含め複数の社員が業務に就いている。賑やかな音を立てていたテレビは、やがて放送スケジュールが終了し、試験電波放送へと切り替わる。カラフルな四角達は斜めにスクロールを繰り返し、スピーカーからはピーっという耳障りな電子音が鳴り響いている。

 あぁ、なんと人間とは恐ろしい者か、この心の平穏を乱す電子ノイズをここに居る誰一人として止めようとはしないのである。この業深き無関心は何故に執行されているのか、神に見放され救いの無い苦痛を与えられる様な感覚、まさに悪魔の所業。平穏へと誘うただ一つのボタン操作は依然として実行される気配すら無く、時だけが無常に流れ続ける。途切れる事のない音波の砲火に身悶えし、集中力は途絶え、脳内の隅々にまで反響する高域の音声は万力の如く、ゆっくりと、そして力強く脳を締め上げていく。

 思考は停止し、音声以外を認識出来ないほどに衰弱し朦朧とする意識の中、既に枯渇してしまった力を振り絞って辺りを見回すが、その光景に驚愕する。そこに居るどの人間も等しく、音声など存在しないと錯覚を覚えるほどに、涼しい顔で我意に介さずと作業を行っていた。

 

 我々は罪深い生き物だ。工場や車等による大気汚染、経済や化学の発展によって発生した廃棄物による環境汚染、私欲の犠牲となって崩れていく生態系。自分の手が汚れさえしなければ、周りがどう変化しようとも無関心を装えるのだ。

 自分が行わなくても誰かが問題を解決してくれる、きっと誰かが自分の代わりとなって行われるべき行為を実行してくれる。そんな思考がいつまでも続く限り、食卓の上に一つ残された唐揚げは、永遠に無くならないのである。

 

 鳴り止まなかった電子音は、放送局による通常放送の開始によって途絶えた。苦痛から解放され、視界に色が戻り、締め付けられた脳が解けていく感覚に酔う。

 こんな永遠とも思える長い長い苦悩の時間を感心を持たずにやり過ごす事ができる者はもはや人間とは思えない、人の苦痛を糧にする鬼や悪魔の様な姿だった。

またいつこの様な電子音波に晒される地獄に落ちるかわからない、その時は彼らが鬼や悪魔ではなく、人として行動し、チャンネルを変えてくれる事を切に願うばかりである。