富国強兵のどこが悪い!

強兵=戦争の短絡的思考から卒業しよう!

日本は明治維新で開国、以後、西欧列強に遅れるなと「富国強兵」に官民挙げて突き進んだ。その結果、富国強兵に成功したが、思い上がった軍人が暴走して大東亜戦争に突入、多くの犠牲者を出し、最終的に戦いに敗れた。富国強兵の路線は誤りだった。戦後、我々日本人は歴史をこのように教えられてきた。しかしこの歴史解釈は本当に正しいのだろうか?

 

明治時代、富国強兵に成功しなかった場合を考えて見よう。日本はどうなっていたであろうか。最悪の場合、日本は清やロシアの領土に組み込まれているか、これら強国の植民地となった可能性を否定できない。富国強兵は大正解だったのである。

 

翻って現在の日本を考えて見よう。大東亜戦争で肉親・知人を亡くし悲惨な戦後を経験した多くの国民は、戦争は絶対にやるべきではないと考えるようになった。その結果、戦前の歴史は間違っていた、富国強兵は誤りだった、これからは貧国弱兵で行くべきだという民意が形成されたのであろう。戦後、日本を占領し統治していたアメリカも、再び日本が富国強兵の国として復活することは悪夢だったのであろう。富国強兵路線が誤りであったという歴史を強力に日本人の頭に刷り込む政策を進めたのである。しかし、正しく歴史を見直せば、先人がとった富国強兵は大正解だったと評価できる。当時は力が万能な時代であった。強者が弱者を飲み込む非情な世界であった。現在は当時ほど露骨ではないが、やはり最後は力がモノを言う世界であることは間違いない。

 

日本は一度の敗戦で、それまでの我々先人が営々と築いてきた歴史を誤ったものとし、旧戦勝国に媚びているように見えて仕方がない。戦後の日本人は富国弱兵でこれからは行こうと考え、実際平和憲法で交戦権まで放棄した。その一方で徹底的に富国になるべく努力を重ね、一時は世界第二位の経済大国になった。しかし力がモノを言う国際関係は昔と少しも変わってはいないのである。富国になればなるほど自国の安全、世界の秩序を守る力が必要なのである。富国弱兵は論理的にありえないのだ。

 

国力に見合った兵力は絶対に必要で、明治の先人が選んだ富国強兵路線は現代でも誤りではなく正しいものである。富国弱兵の心算でいれば最終的には周囲の強国の草刈り場になってしまうのだ。現在はアメリカという超富国強兵の国と安全保障条約を結んでいるので事なきを得ているように見える。しかしアメリカが好意で何の見返りもなく日本を守ってくれる筈はない。そこには高価な代償があるのだ。アメリカはアメリカファーストで日本の鼻面を引き回しているのだ。主権を失いアメリカの属国と化した国というのが日本の現在の真の姿ではないだろうか。

 

そんな情けない状態から抜け出し、真の独立国を目指すためには富国強兵路線を国民が受け入れることが第一に求められる。現在は政策の誤りで30年近く経済が停滞し、残念ながら富国強兵の反対の貧国弱兵の国に落ちぶれているのが日本なのである。

 

いま日本がやるべきことは何であろうか。アメリカの属国状態から抜け出すために何が必要か、国民一人一人が真剣に考えねばならない。日本の国土からアメリカの基地をなくし、完全な主権を取り戻すまで、臥薪嘗胆が必要である。その実現の為には、予想されるいばらの道を突き進む決死の覚悟が必要であろう。その前提として、自分の国は自分で守る、その為には富国強兵しか道はないことを悟るべきである。

 

アメリカにとって現在の状態は理想に近く、簡単に現状を変えることを認めないことは当然予想される。日本の完全独立回復まで長い道のりが予想される。50年100年という長いスパンでアメリカを説得し目的を達成せねばならない。それには日本が富国強兵の国になり、それがアメリカの利益にもなることをアメリカに理解させねばならない。このままアメリカの属国のままでいるのか、眞の独立を勝ち取る為、敢えていばらの道を進むのか、日本国民の覚悟が問われている。

                              R1-5-17記