違いを重視する日本文化!

 

現在、世界では男女平等が絶対の真理であり善であるという考えが主流のようで、これに異議を唱えると遅れた人間と蔑みの目で見られる。男と女には違いはあっても同じ人間なのだから、差別があってはならないという考えに一理はあるが、この考えが絶対に正しいと言い切れるだろうか。違いがあると言うことは何か理由がある訳で、その違いを無視することは極めて乱暴な話である。

 

男と女の関係がどのようなものであるべきかと考えるのは文化の問題である。文化の定義は、ある特定の人間集団が何か考え行動する際、特定のパターンに従って行動する。その特定のパターンは親から子へ、子から孫へと教育により伝承される。この特定のパターンを文化というとある。男女の関係をどのように考えるかはまさに文化の問題なのである。中世の西欧社会では長い間、女性は人間として扱われなかった暗い歴史がある。この反動がウーマンリブの運動となり、男女の特性を無視する極端な男女平等が西欧文明の主流となった。

 

世界一長い歴史を誇る我が日本では、男女の関係は神話の中に示されている。神話というのは我々のご先祖様がどの様な考えを持っておられたかを示すものである。神話によると伊邪那岐、伊邪那美二柱の神が「男には余分なものがあり、女には足りないものがる。男女が協力して初めて上手くいくのだ」と男女の違いと協力の重要性を示されている。そのような男女の関係の見方があったので、日本では女性の地位は高く、ある意味で女性優位の社会だったように見える。世界最古の小説源氏物語が何よりその証(あかし)と言えよう。

 

このように長い優れた文化を持つ我々日本人が、世界の潮流だからと言って安易に西欧の男女平等を受け入れるのは如何なものか。一方、日本の古来からの男女の関係も万全のものではない。女性の持つ優れた能力を十分に生かす分野があればその道を開かねばなるまい。しかし、政治家の数を男女同数に無理やりするなどは、日本古来の男女関係の文化にそぐわないと感じるが如何であろうか。

 

男女関係を論じるのは文化の問題で、西欧文化が日本文化に勝ると言うことはない。歴史・土地・風土等それぞれの地域で個性ある文化が花開き、お互いに他の文化を認め尊重することが望まれる。いたずらに己の文化を卑下し身の丈に合わぬ他の文化に盲従するのは愚かなことであるまいか。

                               R1-5-4記

追記:

この度、譲位の儀式が粛々と行われ、皇太子殿下が践祚され、新しい天皇陛下となられた。このニュースは海外でも大きく報道されている。アメリカでも同じように祝福の声が多いが、少し気になる報道もある。それは儀式に女性皇族が出ていない、さらに女性が天皇になれないのは男女差別で男女平等に反する、女性宮家を創るべきだ等々、アメリカ市民の声が紹介されていた。日本の皇統に関し無知なアメリカの民衆の声が如何にも正当であるかのように紹介されているのである。そしてこのような意見が日本の世論に影響を与えかねず、安易に女性宮家設立に結びつくようなことがあってはならないと思う次第。二千年以上も続く世界に誇る伝統の重みを無知な市民の「女性の宮さまはお可哀そう」といった感情的な世論で変えてはならない。時代の波を乗り越えてきた伝統の重みを軽視してはなるまい。ひとたび切れれば元に戻すことは出来ないことを忘れてはならない。伝統とはまさに文化なのだ。