文明とは人工物の扱い方!

 

前回まで文化について書いてきたが、文化より捉えどころのない文明の正体について考えてみたい。

 

以前、文化も文明もキーワードは人工物だと書いた。文化は人が人工物をつくる際、人が所属するグループに特有なパターンがあり、その特有のパターンを文化というと述べた。文明とは文化によって作られた人工物をどのように活用し、人をより豊かに、より幸せにして行く営み・仕組みと言うことが出来る。そして文化と同じように、その人が属しているグループに特有のパターンがある。

 

著名な学者として知られるA・トインビー博士によると世界には八つの大文明があるが、現在世界に影響を及ぼす大文明は西洋文明と日本文明の二つであると著作に書いておられる。日本の和食文化が世界の食文化を変えるほどの影響を世界に与えたことを否定するものはおるまい。アニメや漫画文化も同じである。人工物と人との関係である文明についても同じことが言えるのではないか。気が付かなくとも日本文明の影響は世界に広がっているようである。

 

「戦争」、「平和」も人間が作り出すもので、無形の人工物と言える。世界に誇ると称する日本の平和憲法も人工物である。文明の進化とは時間・環境の変化に応じて人工物をよりよくして行くことと言える。平和憲法を絶対のものとして改正を拒否するのは文明の進化を否定することになる。憲法という人工物をどのように進化させ人を豊かに幸せにして行くかが真の文明なのである。

 

もう少し分かり易く、形のある人工物として「銃」を取り上げて見よう。西欧文明の亜流であるアメリカにおいて銃は自分を守るものとしてなくてはならぬものである。銃の所持が当たり前なので、銃による凶悪犯罪も後を絶たない。それでも銃は絶対に必要だというのがアメリカ文明なのである。一方、日本においては銃の所持は厳重に規制され、警察官等必要なものしか所持が許されない。これが日本文明なのである。日本人としては日本文明のほうが好ましいのだ。このように人工物と人間の関係、さらに人工物を如何に人間の幸せや豊かさに結びつけるかという観点でその人工物にどのように向き合うかが文明なのである。

 

日本において現在原発問題が国論を二分している。大東亜戦争で原爆の悲惨さを経験した日本人が原発は危険だからいやだという感情は良く分る。しかし冷静に考えると原発は原爆の様に爆発させることは原理的に不可能であり、危険の種類、レベルで見るとこの両者は全く別物なのである。原爆はどのように考えても人を豊かに幸せにするものではない。一方、原発は危険な面はある反面、日本のエネルギー安全保障にとって不可欠のものである。本当に人が豊かに幸せになる為に文明の進化は自明のことで、反対するのは愚かなことに思われる。

 

このように文明というものを深く考えると、また違った世界が見えてくるのではないだろうか。文化や文明というものを深く考えてゆくと、憲法とか原発のような問題についてもこれまでと変わった視点でこれらの問題に向き合うことが出来るのではないかと思う。

 

以上文化、文明といった小難しい話題にお付き合い頂き感謝申し上げる。