日本人は 公平は〇、平等は☓
公平と平等は似たような言葉だが、その意味するところはかなり違っているようだ。この両者を広辞苑で引いてみると次のように出ている。
「公平」とは「かたよらず、えこひいきのないこと」
「平等」とは「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」と出ている。両者とも同じように見えるが、この両者には決定的な違いがある。日本人は古来から平等より公平を重んじてきたようだ。一方、西欧では公平より平等が重視されているように見える。以下この両者の違いを見てゆくことにする。
人間観の違い
「公平」「平等」という言葉は人と人との関係を表すもので、どのように人に接し、人を処遇するかという場合に用いられる。両者とも偏りや差別を否定し、同じように見えるが、決定的な違いがあるようだ。人間とは本来どのようなものかという人間観においてこの両者は決定的な違いがある。上述したように日本人は平等より公平を好み、西欧人は公平より平等を好むように思われる。この違いは人間とは本来どのような存在なのか、日本と西欧では根本的に違うところに行き着く。日本では人は自然の一部で多様なもの、同じように見えるが違いがある。違いは違いとして認めるべきだと考えるのである。その際大切なことは公平なのである。西欧では、人は神が創られたもので本来同じもの故、違いがあるのは良くないことだと考えるようだ。その違いのもとは、神道とキリスト教のような一神教における人間観の違いに行き着くように思われる。
神道において人間は自然の一部で、一人一人が異なる多様なものと考える。それぞれ違いがある個性をどう評価するか、その違いに応じて評価するのが公平だと考えるのである。一方、西欧文明においては事情が異なるようだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖典である旧約聖書によると、人間は神によって神に似せられてつくられた存在である。その絶対神ヤハウェは自らを「妬み神」であると言い自分より優れたものは許せないという厄介な神である。この神によってつくられた人間は自分より優れたものは妬みの対象となり、自分と同じ
で平等であることが非常に大切なことになるのである。違いを認めるのが前提である公平は問題とはならず、平等が重要なのである。日本では公平が、西欧では平等が重視される所以はこの宗教の違いにあると考えと分かり易いのではないか。
アメリカ占領軍が西欧文明を日本に押し付けた
大東亜戦争の敗戦により、戦後の日本は7年もの間アメリカにより占領統治された。アメリカは日本古来の文明が遅れて野蛮なものだったから戦争を引き起こしたと誤解して、日本文明を否定し西欧文明を無理やり、日本に押し付けて来たのであった。これは彼らの根本的な無知・誤解によるもので、戦時国際法でも禁じられている法律の改正(実際は改悪)を強行、その最たるものがいわゆる「平和憲法」の押し付けであった。これは明らかに戦争犯罪でアメリカは国際法廷で裁かれるべきなのである。戦争中も無差別爆撃や原爆で民間人をアメリカは殺して平然としていた。この一事だけでも彼らの文明の野蛮さ、後進性が明らかである。
西欧文明が日本文明より進んでいるところは他者と争うときに有利な戦争文化、さらに戦争文化が生んだ科学やそれを応用した民生機器の実用化であり、あまり威張れるものではない。占領軍の長い統治により日本人が変質し、遅れた西欧文明を進んだ文明と誤解し、有り難がり押し頂き今日に至っているのは情けない限りである。
最近になって日本文明の素晴らしさ、先進性を世界が気付き始めている。日本文明の一部である日本文化、特に和食は世界が評価している。特に生で魚を食べる寿司や刺身が最高の料理となっている。戦後アメリカ人と議論したことを思い出している。彼らは「生で魚を食うから日本人は野蛮だ」と日本を馬鹿にしたが、70数年たって日本の食文化がいかに先進的であったか、遅まきながら気付いたということなのだ。文化より難解な文明に関して野蛮な西欧人が日本文明の先進性に気が付くのは、まだまだ時間が必要なのだろう。肝心の日本人がそのことに気付いていないのだから無理もないことだ。
文明と文化の違い
文明と文化の違いを意識している人はあまりいないようだ。文明は文化より大きな概念で文明を支える大きな柱の一つが文化である。もう一本の大きな柱が社会である。社会は「人と人とのあらゆる関係」と定義できる。日本の社会は西欧の社会よりはるかに先進的である。日本の社会では「個」より「公」が重視される。「家族」、「地域社会」、「郷土」、「国」が個人より重視される。一方、西欧においては個人の自由・権利が最優先される。個人が自分一人の自由・権利を主張し合えば社会はどのようになるか。キリスト教が歯止めとなっているようだが争いが絶えない社会となっている。男女平等も社会に属する問題である。男と女は人間としては同じと言えるが、よく観察すればそこに大きな違いがあることに容易に気が付く。肉体的な違いは分かり易いが、目に見えない考え方・価値観など男女の間に大きな違いがある。遅れた西欧文明では、この違いを無視し、男女は平等が素晴らしいことだと押し付けてくるのである。この最大の被害者は女性である。男と女は肉体的にも精神的にも異なる存在であり、その違いを認め「平等」でなく「公平」に処遇すべきである。違いを認めない「男女平等」こそ女性を不幸にする元凶ではないかと思う。
男女平等が女性を不幸にした
男女平等は女性の負担が大きい。女にしかできない出産・育児(幼児)に加えて男に伍して社会で働けというのである。受胎した女性は10カ月もの間、胎児を自らの体の中で育てている。この期間は母親の状態・ストレスが胎児の成長に直接影響する微妙な期間であり、母親は静謐な環境におかれなければならない。無用なストレスはホルモンなどを通じて胎児の成長に直接かかわってくる。誤解を恐れずに言えば、現代の子供は生まれた時から正常でない可能性が高い。戦争や大災害の後で生まれた子供に異常者が多いことはすでに実証されている。さらに母親にとって育児が負担であることは否定できない。しかし、一方で育児は母親にとって何物にも代えがたい真の喜びであるという研究結果もある。幼子と肌を触れ合わせ直接抱き授乳する母親の表情は実に美しい。それは母親の至福の表情だからではないだろうか。
子供を産むとすぐ他人に預け働きに出る現代の母親は幸せと言えるのだろうか、疑問である。西欧文明が良しとする男女平等は、日本文明から見ると完全に誤りである。男と女は本質的に違いがあり、その違いに応じて夫々適したことをやり、その成果を公正に評価することが日本人には向いているのではないか。現在、男女平等は当然のことになっているが、女性から母親としての喜びを奪っているのはこの男女平等という誤れる思想なのではあるまいか。西欧文明は素晴らしいとよく考えもせず彼らの真似をするのは如何なものかと思う。
今こそ日本文明の先進性、素晴らしさを世界に向かって誇りをもって発信する時なのである。最近、外国人が日本文化の素晴らしさに気が付き、来日する外国人の数が激増しているようだ。和食、盆栽、禅、歌舞伎等の文化に飽き足らず、日本に来ると何故かホッとすると日本社会が持つ優しさや温かさに惹かれる外国人も増えてきているようだ。これが日本文明の中の日本独特の「社会」の先進性なのである。現在、遅れて野蛮な西欧文明に毒され、本来の優れた日本文明の良さを見失っている日本人に喝を入れたい。日本人が本来の日本文明を取り戻した時、日本女性は幸せを取り戻すのである。その時が一日も早きことを祈念したい。