ネオテニー進化論

 

19世紀までの世界は白人優越の人種差別の時代であった。有色人種は人間とみなされず白人の奴隷とされていた。

 

この世界観を打ち破ったのは日露戦争に勝利した黄色人種の日本であった。日露戦争の意義は「白人優越という世界史の流れを変えた」ことである。さらに敗れたとはいえ大東亜戦争により白人優越の人種差別の息の根を止めたのも日本なのである。これを可能にしたのはなんであったか?そこにはあまり知られていない必然性がある。その必然性の一つにネオテニーがある。

 

ネオテニーという言葉は、幼形成熟や幼形進化と訳される。動物が胎児や幼児の持つ特徴を保持したまま成長する過程を指したもの。進化を説明するのにチャールズ・ダーウィンの提唱した自然淘汰の考え方だけでは不十分で、考えられたのがネオテニー進化論である。

 

幼児の特徴を保持するネオテニーが進化形態の一つであり、ヒトはチンパンジーのネオテニーだという大胆な説を提唱したのがL・ボルグ(註)である。彼はヒトが持つ身体的特徴は、他の霊長類の胎児的特徴の存続であると論じた。(ネオテニーに関する学説は、現在も議論の最中であるがなかなか興味深い)子供の時期、つまり成長可能な期間を長くすることが、人類の進化と発展に繋がったということのようだ。人間が他のどんな生き物よりも未熟な期間(幼児・子どもの時代)が長い。その結果、ヒト社会は発展したという。成長可能な期間とは、学習可能な期間或いは教育可能な期間である。人間の発展は、長い歴史のなかで少しずつ蓄積された知識の上になりたっているのだから、学習可能な期間が長いことが要求されるのは当然と言える。

人間は、実験に基づく科学的方法を確立して以来、それ以前とは別次元のスピードで知の蓄積と継承を進めてきた。この膨大な知の蓄積と継承は、必然的に人間に永い学習期間を要求することとなった。


今後も、人間は、この学習期間を長くする努力をしなければならないだろう。(この傾向は先進国、とくに文明的に成熟した社会において、実際みられる傾向だ。単純な高学歴化のみならず生涯学習への熱が益々高くなっているのはこういうことの表れなのではないだろうか。)子供のように、好奇心や柔軟性、何かを学ぶことへの意欲を保持する事が大切であり、それまでに得たわずかばかりの知識や知恵に満足していてはならない。

 

人間にはネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人種)の三つの人種がある。ネオテニーに関してこの三種族を見ていくと興味深いことが分ってくる。ネオテニーの期間の長さはモンゴロイドが最も長く、次いでコーカソイド、最も短いのがネグロイドである。

 

幼児化は大人社会に極めて高い社交性を要求する。幼児化しないチンパンジーはオス間の競争が激しく、相互協力の集団は小さくて一時的になる。アフリカで乾燥した新しい住環境を生き延びたのは、固く結束した大集団で生活していける人類の祖先だったわけだ。

 

黒人や西洋人に比べてモンゴロイドの幼児化レベルが高いのは、モンゴロイドが寒さの厳しい環境で生き残るためだった。幼児を保護(幼児化維持)するためには大人たちが社交性や協調性を高め大きな集団を作ることが必要条件であった。そのため東洋人(黄色人種)は平等主義で社会主義的であり、西洋人は競争的で自由市場経済を志向する傾向にあるというわけだ。

 

白人優越の世界をひっくり返した日本に、白人諸国の眼差しは極めて厳しい。ノーベル賞も明治の頃は白人でないという理由だけで日本人に与えられず、日本人以外の協力者又は追従者に与えられていた。(血清療法の北里栄三郎、グルタミンの池田菊内、黄熱病の野口英世、アドレナリンの高峰譲吉、ビタミンの鈴木梅太郎等多くの例がある)

 

オリンピックも白人の肉体的能力と美しさを競うものであったが、日本が参加するようになり多くの競技で日本人がメダルを取るようになった。これが面白くない白人はいろいろといちゃもんをつけルールを変更、日本人がメダルを取れないよう意地悪を繰り返している。(柔道、スキー、水泳等日本に不利なルール改正あり)

 

国際優生学会も初めは白人優位を研究するものだったが、研究すればするほど動物に近いのは黄色人種より白人であることが分ってきてしまった。ヒトはサルから進化して動物的な特徴を失ってきたと優生学でいうが、日本人に比べ白人は体毛が濃く、汗腺なども動物に近く体臭が強く、白人優位説には都合の悪い研究結果が出てきて学会も尻つぼみとなってしまった。

 

西洋文明の悪しき影響をあまり受けなかった明治の初めころ、来日した西欧人が等しく感心したのは「日本は子供の国だ、子供がとても大事にされている」ということだった。当時、西欧では子供は労働力として小さい頃から酷使されるのが普通で、西欧人にとって日本は子供の天国に見えたのであろう。これこそまさに日本がネオテニーだったことを証明しているのではないか。この日本の優れた環境(特に子供にとって)は急速に破壊され今日に至っている。子供を育てる環境で大事なことは男女の役割分担である。男と女はそれぞれに得手不得手があり、自然にそれに従うのが子供にとって一番良いことなのである。浅薄で野蛮な西欧文明ではこの真理が分らず男女平等などと子供にとって最悪の環境を良しとしている。それを真に受ける西欧かぶれの学者や知識人が嘘を発表する。男女平等で子供は社会が育てる、女性はどんどん社会進出すべし、政治家も半分は女でなければならない等々。マスコミもこれを垂れ流し一般の人はそれを真に受ける悪しき構図となっている。

 

戦後、特に日本の男はダメになった。男女平等の嘘に騙され男の本当の役割を忘却している。女の役割は子供を産み育てること。男の役割は母親と子供が安全に幸せに過ごせるよう働くこと。さらに大事なことは女が育てた子供たちにどのような社会・国家を準備してやれるのか、その青写真を描き議論し実現させてゆく重大な任務があるのである。残念ながらこの重大な使命を認識している男は数が少ないようである。

 

現役の時代は当面の仕事に忙殺されこの重大な任務をあまり意識しない男が多い。定年となり趣味に没頭する男も多い。何をしたらいいかと悩む男も多いようである。趣味に費やす時間のせめて23割でも天下国家を論じ、次の世代を引き継いでくれる子供たちにより良い舞台を整えてやるという気概を男どもに求めたい。西欧文明の浅薄さ野蛮さを良きもの優れたものという学者や知識人に惑わされず、世界でも最も進んでいる日本のネオテニーを守っていきたいものである。

 

註)オランダの解剖学者。(1866 – 1930)元・アムステルダム大学教授。「胎児化説」などの生物、ヒトの進化に関する学説などを発表して、当時の学会で大きな反響を呼ぶ。主著に「人類成立の問題」(’26)がある。